Office Arganza

A Diary

2022-10-06 11:21:00

エルフたちのララバイ

膝掛けが欲しくなるような今日。11月並みの気温。

infoで「エルフの事を書きますね」と予告した後、ちょうど話題にしていた「力の指輪」のたまっていた分を見終わり、金曜配信の週イチのペースに追いついて、やや意識が離れてしまったような感覚の今日。一昨日、書いたけど全文消えてしまった、という日記の記事は、また別の話題で。普段、韓流を中心に1日1話ペースで何かしら見ているから、通常のテレビ放送のような、続きの新作を待つのに7日掛かるというのは、中々、私の時間の粒の密度からすると、かなり遠ざかるような感じもしてしまう。

そう、消えてしまった記事にはそういうことを書いていた・・「Time is gold」というタイトルで。先日の「エスカレーターで止まっていられない」という話にも通じるけど、短気でもなく、人に待たされるとイライラするという訳でもなく、どちらかというとボンヤリ、マイペースな私が、時間の粒子の中に密度を詰めこむ、という感覚になれたのは「シングルマザーで自営業」の十数年の賜物だ。要するに人はゆとりが無ければ何とか出来るようモードチェンジする他ない。となると、火事場の馬鹿力と同じように、物質界を超えた法則で何とかするという、修行?に晒される。

 

そこでの基準は「意味」であり、その意味というのも、こういう仕事をしながらなので、物質界の基準ではなく、エネルギー次元での「中身」がものを言う。・・でも、まあ、この宇宙人的感覚は子供の頃から実はあり、興味向くものやペースや言動も、やはりちょっと普通の子供ではなかった。けれどこの三次元で生きるために、自分の中にある「その感覚」を呼び覚ましながらヒトとして生きていくために、シングルマザーで自営業、それも、ひとり親への保証は無いに等しく、自営業者に厳しいばかりのこの国で実践することに(魂は)したのだろう。・・本来持っていたものを出現させるために、必要な修行期間だったと思う。

人によって、時間の粒子の密度は違う。そこにどれほどのエネルギーが入っているか、振動も違う。これが、Alice Baily 著にある「インテンション」ではないかと思っている。緊張感とか、日本語では訳されてしまうけど、「密度濃く詰まっていて、かつ冷静で無駄がない」というような。「集中力」のほうが近いかも・・「インテンシブコース」のIntensive は同じ単語の形容詞だ。集中的な、という意味で使っている。

 

平等に与えられた時間の中で、この物質界の法則の中にありながら、時間の意味を変えるには、自分の意図を集中して注ぎ、周波数の高い粒にすることで、「質」を変えていく。それが5次元創造や、スピリチュアルな成長に繋がっていく。

(あっそうだ。物理学賞の受賞者発表もあった所だけど、量子は粒ではなく、正確には弦、でしたね。)

一昨日はそんな内容を、もっと三次元的な、昔こんな事があったり、あんなことも、と、長々と綴っていたら消えてしまった。それで良かったのでしょう・・あんなこと、こんなこと・・の、過去のエネルギーたちも昇天したのを見届けて。

「静かで落ち着いた集中力」と純粋性が結びついて、サットヴァ(Sattva)として機能するのではないかな。自分もまだまだ、半世紀も生きて来たのにボンヤリしていて、物質的に豊かで平和な時代のゆるい空気の中で、本来ヒトが育てるべき力の一つが育まれにくい社会の、一員として生きて来ていることを実感する。成長進化とは、時間がかかるものだな、と。

(P.S. エスカレーターは安全のため歩かずに立ち止まっておきましょう。。。笑)

 

では、エルフについて、『Lord of the Rings』の新篇、「力の指輪」視聴雑記を書いてみよう。

原作を読んでいない上に、今回、制作が始まった経緯や、脚本の背景などについても調べていないので、本当にお茶の間的な話になるかも。プラス、アルガンザの「ジェネシス」神話を絡めての考察。

本編の「ロードオブザリング」でも然りで、やはり見ていると何でも、ジェネシスの原型論にあてはめてしまう。エルフたちは神の使い、半ば別次元の存在が地上に降っているようなので、やはり「白」だろうけど、ドワーフは「赤」で、ホビットは「黄」、人間は・・何だろう? 明らかな黒、も非常に分かりやすい。人間は、これら全ての要素を持っているということだろう。白にも黒にもなびくし、赤い時も黄色い時もある。

原作を読んでいない私には、かつての映画版の本編で、最後に闘い疲れたフロドが、平和なホビット庄に帰らずにエルフ達の「西の故郷への帰還」に同行するという流れに、胸打たれるものがあった。最近ウクライナのニュースで、戦地の女性が「もう元の私には二度と戻れない」と語っているのを見た。多くの破壊を見てしまうと、人はそうなる。増して平和を愛する純粋なホビットであるフロドの変化を思えば。・・彼の終末の静かな様子がとても印象的だった。ホビット村の周波数の中にあっては、体験した記憶をすべて忘れて封じてしまうか、ただただ悲しく壊れていってしまうのではないかと思う。

同じく映画本編の最後のシーンで、印象に残っていた事がもうひとつ。「西のエルフの故郷」とは、どのような世界なのだろうか・・・と。

 

今回「力の指輪」の第一話で、長年のその謎が解けて興奮していた。そのシーン、何度も繰り返し見てしまう。。笑

ガラドリエルが仲間とともに、王の命で「西の故郷への帰還」を許され、船に乗っている。船なんだな〜、フロドの時と一緒だ。海から繋がっているのね と見ていると、

あるゾーンまで来ると、独特の静寂に包まれて、前方に・・出た!ワームホールが開く!

海の上のワームホールに、船や飛行機が吸いこまれて行方不明になる事件が多発、という話題を「古代の宇宙人」でもやっていたっけ。その時に見ていたCG映像と同じような様子で、興奮。高次元への扉が開く時は、やはり目を開けていられないような光がそこから溢れ出す。そして精妙な空気が寄せて来て、明らかな別世界を見る。用事が済むと扉は閉まる。何らかの合図・必要性で開くのだろうけど、ドラマではエルフたちが歌を口ずさんでいた。

個人的にはこの、エルフ族の故郷=ワームホールを超えていく高次元の地球 という描かれ方をしていて、とても喜んだ。納得もしたし、アルガンザの「ジェネシス」の視点からいっても、無理なく噛み合って嬉しくなった。

 

そこで、放送している Am●z●n Prime の紹介ページをようやくマジメに読むと、「西の故郷」(ヴァリノール)とは「ヴァラールの国」という意味で、「ヴァラール」は神のような存在たち。ここから先はウイキを覗くと、単数形が「ヴァル」で、その複数形だそう。つまり「「神々」である・・後々(ウイキの原作についての記述を読むと)、「力の指輪」にも登場しているエアレンディルの訴えを受けてヴァラールから援軍が中つ国に派遣されるとあり、そんな一幕がまた映像化されるのかしらと楽しみ。原作では作者の時代を考えても恐らく、神々の世界も地上世界もフラットにつながっているような世界観かもしれない。だとしても、周波数の違う世界を行き来するにはやはり次元という区分を超えていくための「扉」が必要である。

 

色々と予定している執筆物の中に、「ジェネシス」をまとめながら見えてきたアトランティスの様々な時代を描く構想がある(すでに一部書き始めている)。そこで考えさせられたのが、それ以前のレムリアまでの5次元世界とは違う、3次元の出現(「神々」による創造)のしくみと、長い長〜いアトランティスにおいても、時代によってヒトの作りは変わっていて、初期の頃にはきっと半分、5次元的だったのではないかと。そして終わる頃は、僅か今から13000年前だから、完全に物質界を生きている。けれど、必要に迫られた時には五次元の神々の世界を、物質的に「訪ねていく」事もできたのではないか・・とも思うし、アトランティス後、我々の文明期に入ってからも、聖職者のような人ならば次元の扉を時折抜けて、また戻って来る、というような事もあっただろうと考えている。それらの、多次元にまたがる舞台設定を、物質的なリアルな描写で描くべきかどうか、という迷いがあった。またその手法は中々、難しいものだ。

 

原作の「指輪物語」は北欧神話をベースにしているから、他の神話も同じくだけど、5次元と3次元がまだ、共立していて、往来が頻繁にあったし、全ての人の目に見える形でそのための「扉」があったのだろうと。「力の指輪」や映画の本編から察するに、その世界観は神々(恐らく非物質)の住む世界と、その膝下で暮らす物質体を持ったエルフたちが在り、エルフたちは次元の扉を超えて人間その他の種族が住む世界へ出て来る事が出来る。その逆は難しいらしいけど、「力の指輪」でも「西に行った」者の話がチラチラ出てくる。(エアレンディルの下の息子、かな?)エルフと一緒ならば、扉を超えられるのではないか? 人間ではないけどフロドの例もそうだ。

 

物質体を持つ、と言ってもエルフたちは不老不死で、何でも有能にやってのける。戦で深傷を受けるとセルフヒーリング機能が効かなくなるせいか?亡くなってしまうこともあるそうだが・・闇に囚われる事も稀にある。

アルガンザの「the Genesis」においては、2017年の冬以後、アトランティスにおける大戦争と、そこに出陣するエルフ軍、ケルビム軍のストーリーが出て来る事が続いた。一番、私たちがフタを開けたくなかった記憶だと言えるかもしれない。この路線もだいぶまとまって来て、神々の世界に住まい半ば神でありながら、レムリア期には自然界(が当時は人間の魂の生き場所)の秩序を守るために高次自然界に在り、アトランティス期には、大戦の援軍や、人間たちの要請があった時にワームホールを超えて現れてくれる助け手として、活躍していたのだろうと思う。

そんなエルフ(エロヒム、エロス)たちが地上で犠牲になってしまったり、完全体のまま「故郷」に帰れなかった場合に、地上のシステムに情報的に囚われてしまい、そのカルマゆえ、人間界に生まれ輪廻転生しなくてはならなくなった。ジェネシスにおけるエルたちの物語は、そのまま今を生きる私たちに繋がっている。原作者のトールキン博士も、無意識でアカシックを受信し、描かれたのだろうと思う。

 

アトランティスに関する、神智学の文献の中に、「人間がマヌたちのアドバイスをちゃんと守っていれば、肉食動物は生まれなかった」という一文がある。マヌ、というのは、アルガンザの観点ではちょうどまさにエルたち=エルフたちを中心とした、「5次元の神の世界と人間の文明を繋ぎ、導くグループソウル」である。アトランティス期、人類が神々の教えを守らなかった事で、肉食する動物が誕生したそうだ。そして人間たちも争い合うようになったのかもしれない。

「力の指輪」を見ていると、誇り高き、神々の子であるエルフたちは、正義感が強くいつも正論で、人情や感情などはあまり重視しない。何でも出来る多彩な才能と、キリリっとした容姿と周波数。けれど、言葉は丁寧なのに率直すぎて、人間やドワーフの感情を損ねるらしい。。。無意識なる失言、それでも特に悪いという反省もなさそう。笑 そんな、相違をどれも偏りない愛を込めて描いているような眼差しは、原作から踏襲されているのだろう。

 

ホビットの祖先であるという「小さい人たち」ハーフットは、移動する行列で、「誰も列を逸れない!」「いつも仲間と一緒!」と唱えて進む・・・という、すごい同調圧力で(笑)体が小さいから無理もない防衛本能、外の世界に興味を持ってはダメ、勝手な行動をとってはダメ、冒険も空想もダメ、収穫や仲間のことに集中していなさい、という。それが少し洗練されて、後のホビットになるのかもしれないけど、日本人やアジア人を見るような気がするのであ〜る。

クリスタルもちょいちょい出て来て、やはりスピの人々はこの作品、みんな好きなのかもしれない。・・でも「光と闇の闘い」がテーマであるから、どこまで見続けられるか、Prime 特典の1stシーズンを過ぎたら、見続けるかどうか、まだ分からない。ただ、ヴァラール、ヴァリノールには興味津々。どんな風に描かれるのだろう。時折記憶に残る、シャンバラのある五次元インナーアースの世界と、やはりきっと、似ているのかな。

Love and Grace

2022-09-24 16:31:00

物質ではなく情報

NHK コズミックフロントで、以前から興味を持つ「ホログラフィック宇宙論」を扱っていて、とても面白かったので記録のために。

アルガンザでは、カレッジのマスタークラスである「意識の学校」で少しだけ、量子物理学を取り入れていて・・もちろん名前の通り「意識」という問題を突き詰めていくのが目的で。インド思想、ヨーガ哲学などを紹介する傍ら、それと関わりを持つ内容を脳科学や量子論などの最新研究や、音の周波数やクリシュナムルティの思想なども紹介していた。

その路線で言えば、量子物理学界で最新の理論として熱く注目されているホログラフィック宇宙論は、かなりメタフィジカル、スピリチュアル、特にインド思想、インド哲学の宇宙論に馴染み安い。というか、そのものだとも言える。つまり、数千年前にインドで既に、宇宙の真実は記されているし、西洋や中東の古代文明とは違って焚書に遭うこともなく、温存されて残っている。一部の仏教がそれを踏襲しているし、お陰様で現代欧米で起こったニューエイジの潮流で、インド以外にも紹介されたという訳で。

 

物理学者の先生方はそれを、数学を使って証明しなくてはならないというハードルを、幾重にも、多くの学者たちの努力と直感・情熱によって乗り越えて、古代から伝わっている宇宙の仕組みと、人間が積み重ねて来た学問の世界が、ようやく、統合されようという時代になっている。(まだそう簡単には行かないとは思うけれども)

興味があって物理学の本はけっこう並んでいるものの、ちゃんと一冊読了した試しがなく(笑・本のコレクターなのです)、この番組でようやく理解出来たことも多かった。アインシュタイン、ホーキング、で知られる相対性理論では、宇宙の全体像、成り立ち、仕組みそのものを数学的に取り扱うのだそうで、一方で、量子物理学では、物質の本質である量子によって、宇宙や現象の様々を説明しようという。

 

そこに、20世紀末のあるセミナーでホーキング博士が爆弾発言。ブラックホールの中に吸い込まれた物質は、ブラックホールが熱を発して蒸発を起こす(「ホーキング放射」)中で、すべての情報が完全に消滅する、という説を発表。「ホーキングの情報パラドックス」と呼ばれるようになる。これに衝撃を受けたのは、量子論の研究者たちで、いくらブラックホールでも、存在の全てを完全に無に帰するなどあり得ないと強く反感を抱いた。

その中心が、スタンフォード大で現在も(80代ながらに)教授を務めるトスキンド博士。「全て消え去る、何も残らない」に本能的な強い反発を抱いたようだ。失われたら、その後の、その物質を作っていた要素の手がかりが何も無くなる。そんな筈は無い、と。(この気持ち、個人的にはとてもよく分かる。それこそ本能的に)

 

10年かけてこの問題を考え続け、理論武装し、「相補論」を提唱。地球の重力内から見ると、ブラックホールに引き寄せられたものはブラックホールの質量の強さゆえに止まった様に見える。一方で、物体と観測者が一緒に居る場合は、ブラックホールに落ちていく様に見える。そのどちらもが、相反する二つの現象でありつつも、観測の視点により同時に起きている、補い合っている。観測者の視点により、どちらも正しい。それが「相補論」。

これを、オランダのユトレヒト大学のトホーフト教授がさらに整理し、ホログラフィック宇宙論とした。ブラックホールの密度の上で停止した「情報」が、ブラックホールの起こす「ホーキング放射」により、映し出される。それが物質宇宙の実際であり、二次元の平面(ブラックホールの表面「事象の地平線」)にある情報がホログラフィーとして投射されている世界である、という。世界中で、相対論と量子論という物理学の二大理論を統合しようという動きで盛り上がったそうだ。

「サンダバーバラの闘い」と呼ばれている、半年に渉る(!!)物理学会での白熱した様子、面白かった。。「量子はブラックホールに飲み込まれる一方で、その物質を構成している情報は保存される」と説いても、当時はまだ多くの学者たちは、ホーキング博士が正しいという姿勢であり、反応は鈍かったという。時空の研究をしている相対論者たちにとっては、その説を理解する事が(フィルター的に)出来なかったという。

サスキンド博士は、彼らが何故、これを理解出来ないのか、理解出来なかったと当時を語る。(そうそう、そうですよね!)

この論争を最終的に決着させたのが、マルダセナ博士による今では有名な「超弦理論」で、量子を粒子としてではなく、震える弦として考えることで、その震えや動きによって表現される様々な情報が、宇宙を作り上げているという。素粒子の震えの情報のひとつとして重力も存在する、ということで、「重力を含まない量子論」により相対論を説明するという偉業。これにより、量子物理学界の方向性は統合されつつあるようだ。

サンタバーバラの学会でサスキンド博士が発表する際には、「あのホーキングが負けを認めるかも?」ということで大いに盛り上がったのだとか。。ご本人は即時には認めなかった様だけど、サスキンド博士曰く、この場に居た多くのホーキング支持者たちには「意識のシフトが起きた」のを目撃した、とのこと。最初の「爆弾」と反論から、30年。そうそう・・研究史が好きなんだけど、重要で真理に触れる学説ほど最初は反発を受け、数十年掛かってようやく受容されるという事がよくある。

 

そして、メタフィジスト、エナジーワーカーとしての考察。

情報が、「完全に消え去る」ことは、無いと思う。そしてこの宇宙そのものや、マクロ、ミクロ、ブラックホールからの情報の投射と同じ仕組みが、私たち自身でもある。消えたように見えて、システムの光の中で燃えたように見えて、情報は残り、次の創造の素になる。輪廻転生はそうして、情報が持ち越される。それが時に混ざったり、関係し合ったり、変容したりはするけど、消える、ということは無い。

映画のように投射、投影されている情報は、数値化、コード化されることで個人の、ソウルグループの、家系の、人類の、時代ごとの、性別ごとの、輪廻からの、情報を積み上げてミックスし、並べて、私たちという存在を作り出している。

エナジーヒーリングで起きることも結局、その「情報」に変化を加えることだ。マイナスの、ネガティブな、良からぬ感情や性質、運などを含んだ情報を、素粒子の震えの性質から解毒・解消・変容させられる波動を送り反応させることで、弦の震え方、量子の振る舞いを変えていく。

 

ヴェーダ、サーンキヤ哲学でも宇宙の始まりは創造主の「視点」と、素粒子の集まりという「具材」=プラクリティ。視点が具材を見つめることで震えが起こり、ビッグバンへと進展する。つまり、ひとつのブラックホールの「事象の地平線」という映写機から、ホール内部の具材が爆発するように映し出される仕組みは、宇宙の始まりと言われるビッグバンと同じなのだろうか?・・(素人の呟き、全然違っているかもしれない)

宇宙が無数にあると言われるのも、私たち物質界の人間が考えるブラックホールという存在の、ひとつひとつが小宇宙で、またこの外側にも別の宇宙が映写機からの投射を行っていると思えば理解できる。そして、私たち人間というシステムも、ひとつひとつがブラックホールを備えた宇宙、のようなもので、どこに書いてあった訳でもないけれど自分の感覚からして、チャクラが並ぶ体の中心のエネルギー軸「スシュムナー」は、ある意味、ブラックホールなのではないかという気がしている。チャクラというセンターから、情報が投射されているのだ。チャクラは、内分泌腺に情報を送り、現実を作るものだと神智学では言う。

少なくとも7つの階層の情報域があり、その情報をプラーナが運び、スシュムナーとチャクラを通じて肉体という現象に働きかけ、現実を生み出している。それが人間。7つの階層には、魂、霊、モナド、といった違う周波数域の波動で震える「弦」が情報を蓄えている。そのすべてが、システムにより三次元に映し出しているのが我々、この瞬間。この肉体。この想い、この思考、この現象。

メタフィジカルの分野で、何もしなくても、物理学が自ずとスピリチュアルな領域へ、近づいて来ていつか統合されるだろう。けれどそれまで、ただ待っているには人間社会がまだ想いや感情に支配され過ぎていて、こちらからも、近づいて行くことで、統合の時間は早められるのだろう。

 

当該の番組、来週木曜日に再放送があるそうです。

 

Love and Grace

昨日はインスタと Face Book、今日はInfo記事も更新しています

2022-09-17 07:24:00

時つ風

9月に入り、時間の流れが早く感じるようになったなあ・・と思っていたら、満月を境に、時間が長く伸びているような感覚がある。これもまたそろそろ変化しそうにも感じる。

個人的な事象としては、1年くらい継続していた「状況」の変化が具体的に地殻変動のように起きていたのが6〜8月まで。象徴するように、1年近く通っていた場所とのご縁に一区切りがあったり、プロジェクトの幾つかがひとまず区切られたという事も。このような共通する場面で感じたのは、「トレーニング期間」の終了と、各自の選択による道の分かれ目。

世間でもきっとこのようなテーマが、実感されていく秋なのではないかな。

 

エリザベス女王の逝去が、まさに時代の変わり目の象徴でもあるのだろう。ほぼ1世紀の、連邦国家の君主としての人生。ただその座に居続ける(正気で、健全な状態で)だけでも大変なことで、強く気高い魂でないと、カルマや歴史の重みに乱されてしまう。前回の記事の続きとして・・

BBCで女王の人生を振り返る中で、ダイアナ元妃が亡くなった直後、孫たちの面倒を見るため地方の城に留まった事に対し、世間のダイアナ元妃に想いを寄せる人々は「弔う気持ちが無い」と反感を示したそうだ。女王はそれを受けて、母を失ったばかりの孫たちを残してロンドンに戻ったという。

ちょうどそのニュースを見ていた数日前、ネットで視聴中だった韓国時代劇『ヘチ』で、歴史上数奇な王で知られる英祖の若かりし頃、兄王が死去した際に、空位の間に暗躍する政治的な派閥を牽制するべく、通常より(喪に服する期間を早めて)即位を急ぐという決断をし、反勢力の煽りもあって民衆から「弔う気持ちが無い」と騒がれ非難され、挙句には自分が兄王を毒殺したという噂まで広まって、悲壮するという場面を見ていた。

歴史上、諸説あって詳しくない私には何が真実であろうという推察をする程にも至らないけれど、このドラマでは少なくとも、欲を持たずに兄を支えつづけていたし、毒を守られた兄王を助けようと必死で動いていた為、「人間としての心情から愛ある人の行動を取っていたのに、真逆の捉え方をされて非難を受ける」という、(女王のエピソードと)同じパターンを見ていて、君主や責任ある立場というのは、こういう悲しみをたくさん味わうものだよなあ・・・と呟いていた。

 

そうそう、この『ヘチ』も質の良いドラマだった。去年NHKで放送していたそうで、見ている方もいるかと思うけど・・この前に『奇皇后』を見ていたので、この昔ながらのドロドロ激しい欲望と権力の〜 という古風なパターンからの『ヘチ』、最初は上品な映像と展開に、ぼんやりしてしまった(笑)。ヘヴィメタを聞いていた所から、ボサノバに変わったような。

どうしようかな?と思ったけれど、

出ている俳優さんたちが、他の現代ドラマや映画含む作品で「良いなあ」と思った方々ばかりだったので、見続けることに。4〜5話くらいから、『奇皇后』等の「史劇ハードエンターテイメント」とは違う、新しいタイプのよりリアリティに近い人間ドラマを、美しい、目に見えるような時間の流れと映像で表現しているのだな、と理解し、その旋律に乗ることが出来た。

『ヘチ』とは、古代中国から朝鮮にも伝わった伝説上の生き物だそうで、狛犬のような、獅子のような、麒麟のような姿をしている。けれど「正義の守護者」で、「人々が争った際に、悪のほうを滅ぼす」という性質があるそうなので、獅子、ライオンのイメージが強いのかなという気がしている。

 

時代的には以前見た「トンイ」や「チャン・オクチョン」その他、思い出せない幾つかの作品でも描かれている英祖(「イサン」のお祖父ちゃんにあたる)の若かりし頃。印象的だったのは、タイトルが「ヘチ」であるにも拘らず、若くして苦労した英祖が味わったのは、「善と悪の共存」がこの世界の真実であり、それを変えることは出来ないという法則。

韓国の歴史ドラマには多かれ少なかれ、このテーマはいつも流れていると感じる。けれどそれがタイトルでもあるように、最終回の結論的な概念となっていた。・・それでいいという訳ではなく。。

善に向かえばまたすぐに悪が追い付き、進んだと思ったらまた戻される。良いほうへと努力をし続けても、少しずつしか進まない。多くの人はそんな世の中の仕組みを知り、そこで諦めてしまう。若い頃の情熱や純粋さを失い、適度に悪(といっても極悪非道というレベルではなく、普通の人々の普通の慣習、怠惰など)に染まって適度に生きていくものだけど、

この主人公は違う、そんな姿に自分は目が覚めたという感じで、ストーリーの軸でもある重臣が政治から引退し陶器に絵付けなどしているラストの場面に、このドラマの言いたい事が詰まっていた。通常の時代劇は、赤い衣装を来た重臣たちにはそのような人間性とともに描かれる事はなく、ただただ権力のために策謀ばかり巡らす、主人公にとっての「倒すべき壁」として描かれる。

けれど、寧ろこのドラマはそのラスト、隠居した大物政治家がその境地に至った事が隠されたメインテーマであり、最初から人間的に出来上がっている主人公とその周囲のキラキラした人々のほうが、トリクスターなのかもしれないと思わされた。その他、悲しみや傷心から堕ちてしまった悪役たちの描き方も独特で、流罪になる権力者なのにちゃんと反省している人々(笑)など、異例のキャラクターが多かった。

 

エナジーワーカーをしていると、善と悪のテーマは単に概念ではなく、エネルギー的な存在として体感される。最初に体感があり、人を善から引き離そうとする力の働きを見ることになる。善が働こうとすると、逆を向かせる力が常に動くことが見てとれる。「ヘチ」で示されたように、一進一退なのだという仕組みが良く分かる。

世界の全てにそれが働いているということを悟った時、尚且つ、自分は常に善を向いていようと決めた時に、大きな切なさに襲われる。けれどそれすらも乗り越えて、一進一退でも少しずつ前に進めればいいさという境地に至った(既に最初からそのように生きている)人々が『ヘチ』の主人公サイド。

ちなみにではその「善と悪」とは分かりやすくいうと何か?と言う問いの答えも、劇中のセリフでちゃんと現れていた。「利他」か「利己」かということ。他人というより全体のため、愛ある人としての当然の行動を取る人。自分の利をベースに物事を考え行動する人。・・・悪というのは何も、特別な法外の行為を言うのではない。

そして「まあ今はこのくらいで」「今は周囲の(慣習・怠惰・日和見)流れに乗っておこう」という選択をしていると、それは結果的には善であろうとする人々の「邪魔をしている」=「悪に加担している」事に他らならないと、人間がもっと気づいていくべき時だなあ・・・と、感じ入りながら、身終えたのだった。

 

タイトル「時つ風」

「程よい頃合いに吹く風」を意味する古い日本語。「自節に適った風」「順風」(Weblio)

眠ったままか、起きていても何もしない=悪に加担(日和見)の人々と、新しい風の時代に乗って自らを自分の意志で変えていこうとする人々と。

お試しや練習問題、その中で考え気づく機会を与えられていたシーズンが終わり、道が別れていく。今はそんな変わり目だと感じる。「時の風」をうまく生かして、人生のかけがえのない時間を、一歩一歩、刻んでいって欲しい。

Love and Grace

2022-09-13 10:49:00

イギリスのこと

エリザベス2世女王陛下の御逝去にまつわるニュースを、日本では翌朝になるのかな、なぜかその日はアメリカでも日本のニュースでもなく、BBCを見ようと覗いて知った。6月の在位70周年の記念イベント、コンサートなどもBBCで(世界的アーティスト達がぞくぞく登場するので)目を離せず、長時間見ていた記憶もまだ新しい。

ごくごく個人的な、イギリスについての雑感を書いてみよう。というのも、ウクライナ戦線が始まった時、「ロシアのこと」として、ロシアにまつわる自分史的雑感をここに書こうと思っていたので(まだ実行していないけど)・・今回のニュースをキッカケに、振り返ってみる。

現生を生きる私にとっては、イギリスに実際に滞在したのは7泊8日、一度きり。24歳の夏、一人旅だった。ただ、心理的な、理由は分からないけれど直感的なイギリス、というメタフィジカルな枠でとなると、けっこう色々と浮かんでくる。まず、最初に個人的に抱いた、英国への感情というのは、「怒りと嫌悪」だった。思えば不思議なことで、むしろ過去世で繋がりがあったからこその反応だったと思う。

前にも書いたように、歴史ものの少女漫画や、日本の時代劇が好きな(笑)子供時代で、今思えば、要するに歴史が好きだったんだろうと思う。そんな私が、高校時代に選考した世界史に没頭するうちに、フツフツと湧いて来た感情が、思春期特有の極端な反応も手伝って、「今ある世界的な問題はみな、かつてのイギリスのせいではないか」という反感だった。思春期の子供が親や大人の社会に対して抱くような、ちょっと頑固で視野の狭い感情に過ぎないが、当時の自分にとっては、日本社会への嫌悪感とともに、かなり強く抱いていた感情だった。

当時は、オリエントやグレコローマン、イスラム文明、古代中国や、チベット、中央アジアの歴史、ネイティブアメリカンの文明、などに好感を持っていたため、まあそうなるかもね、という筋ではある。でもアメリカ合衆国が大好きだったので、矛盾してはいる。(笑・いかにも若者)

 

それが不思議なことに、イギリスへの反感やある種、逆恨みのような(笑)若い怒りは、24歳で渡英するころには全く消えて無くなっていた。理由は定かでないけど・・19歳から仏教信仰をしていて(〜29歳まで)、過去世のカルマに向き合う修行なども個人的に続けていた中で、イギリス人としての過去世のようなものも実感されて、国が嫌いで、「脱出!」と世相に乗ったこともあってアメリカへ移住したような人物を、当時よく見ていた夢や、修行中のヴィジョンとして体験していた。

ニューヨークが好きで、初渡米として21歳の時に、短期留学をしてとにかく楽しくて幸せでしかたなかった訳だけど、ニューヨークの摩天楼の、意外と実は100年以上を経ているような古いビルの雰囲気が好きだった。街の作りも古風で、無秩序な日本の街とは違い、平安京や平城京のような碁盤の目のようなアヴェニューとストリートは心地よく、中央にセントラルパーク。なんて素敵な街だろうと。世界中の人と文化が集まっている。

白黒映像で見るような19世紀後半あたりのニューヨークにも、反応する所があった。19世紀〜20世紀初めにかけては、多くの移民がヨーロッパからアメリカへ。その玄関口はニューヨークシティ、マンハッタン島だった。そのあたりの記憶がとてもある。ゆえに、イギリスが嫌いなイギリス人で、ニューヨークに向かったのだろうと、信仰時代に自分の過去世のひとつを自覚していた。恐らくもっとも最近の過去世だろうな。この頃は、神智学教会の先人たちも多くアメリカに移住している。

ニューヨーク旅行から3年を経て、今度は仕事の夏休みにロンドン・パリへと一人旅をすることに。1997年。本当はパリに行きたくて、でもパリは敷居が高く、終盤の3日だけ滞在。ロンドンには確か7泊8日、週単位で借りられるウイークリーマンションのようなものを借りて滞在。毎日自炊しなくてはいけなかったけど、大概は地下鉄の駅近くのサンドイッチ屋さんでカスクートのようなものを買い、ハイドパークに行って、半分だけ食べる(大きいので)。残りの半分を持ち帰って、夕飯にする、みたいな生活をしていた。日本国内の一人旅でもいつも割とストイックな旅をしていたので、それで大丈夫だった。

美術館や博物館を巡り、ミュージカルを見て、多少の観光スポットにも行き。ただ、私のロンドンの印象、感想は「つまらない」「刺激がない」「なんか盛り上がらない」というもので、決してイヤではないのだけど、馴染み過ぎて、普通過ぎて、ワクワクしないというものだった。きっと、前世で住んでいたのだろうと思う。。東京のほうがよほど、居心地が悪くて緊張感がある(笑)。街並みや漂う雰囲気も、先にニューヨークを体験してしまったため、退屈に感じられた。でも、住むには良き、と思った。(その後向かったパリには、マンハッタンと同じようなワクワクや興奮があった)

 

帰りの飛行機、チェックインの際に「空いているから」とビジネスクラスに乗せてもらうという嬉しいギフトも。隣に座った日本人ビジネスマン(パリ在住とのこと)の方と、妙に話が盛り上がってしまい、聞けば獅子座生まれ、私は水瓶座。この組み合わせはワイワイと盛り上がり、楽しくなりがち(でちょっと危険)。そのおじさまがず〜っと、JALの素晴らしいおもてなし、ビジネスクラスの美味しいワインや夜食を次々と注文し、「お嬢さんもどうですか」というので、ちょっとした小さな宴、状態。そのうちに、キャビンアテンダントの方に注意され、ライトを消されてやっと黙る。

ヨーロッパを熟知するおじ様の楽しい話の中に、イギリスは女王が居るということだけで、国民が深いところでの安心感、安定感を抱いている。黒人の方々も、パリとロンドンでは全く違うと。確かにそれはその通りだった。ロンドンの人々は、人種はどうであれ「イギリス人」をまとっていた。日本もそうだけど、ロイヤルファミリーが居るということが、いかに国際関係上、有利で、国民がその恩恵を受けているか。を、説いてくれた。そうか〜・・・と、当時まだ遠い存在のようだったイギリス王室のことを、その時、少しだけ身近に考えてみたりもした。自分がイギリス人であれば、どんな風に今の王室を捉えているだろうか?と。

その旅から、日本での日常に戻り10日ほど経ったころ、ダイアナ元妃の事故のニュースが。ロンドンに滞在し、バッキンガム宮殿前の広場でのんびりと過ごしたり、飛行機での講釈から少しだけイギリス王室を身近に感じるようになっていたタイミングでのその衝撃で、尚更に、英王室の歴史などを改めて学んでみようと思うようになった。その後ゆっくりと時間をかけて(子育ての時期など中断も経て)、映画観賞をする際には自然と、イギリスの歴史もの、王家の周辺を描いたものが多くなって、我が家にはちょっとした「イギリス王室コレクション」の映画DVDがあったりもする。。。

 

とはいえ、日本の一市民として、やはり距離があり、もっと詳しく入り込まないとその複雑な歴史的な全体像は理解できていない。

日本の古代史、天皇家のルーツ、古代の・・奈良朝くらいまでの流れは、個人的興味の雑学と、奈良への旅を重ねて体感として自分の中にあるような感じ。明らかに、双方古い歴史を持つけれど、内包しているテーマは全く違うと感じる。イギリス、現在のウインザー家の王統は比較的最近、ドイツから血縁をたよりに迎え入れられたもの。単なる血筋や家だけではなく、日本でも、イギリスでも、土地・・・に重要なテーマがあり、そこで展開するロイヤルの系統は、そのエネルギーを継承し(もしかすると秘されて存在している)神秘を、取り扱う担い手としての役目を引き受けておられるのでは・・と、思ったりもする。

 

日本とイギリス。ずっと前から一人でブツブツとこういう場所に何度も書いてきたけど、秘教的に、世界が維持される上でのキーとなる二つの土地、と感じている。

呼応しあっている。実はここで、バランス、のようなものが生み出されているような気がする。詳しくは分からないけど・・

日本の王統、皇統はどうなるのでしょう。このまま行くときっと男系が貫かれると思うけど、ここで変化を作る時、という気もしている。

Love and Grace

2022-08-27 07:35:00

マヌのお仕事

先週、水曜日の途中から何か集合場での重たい空気を感じていて.. 今朝は少し抜けたような気がする土曜日の朝。

神智学が伝える「マヌ」とは、文明の管理者のような立場。文明といっても、インダス文明、黄河文明、のような地域ごとに発生する小さい規模だけではなく(それも含めて)、人種期の準備をし、その中で生まれる各文明を概観し、歴史の流れを見守りつつ必要な修正を加えたり刺激を与えたりしながら、ひとつの人種期の「終わり」を見定め、そこで得られたデータや記録を保管しつつ、実際の「終わり」を演出。そして次の人種期へと引き継ぐ・・というような、壮大なプロジェクトの管理者のような人々。人というより、ソウルたち、と言った方が良いかも。シャンバラの一部門に属する。

この説明は神智学の本からの内容に、私のフィルターも入っているので、「本に書いてあるのと違う」と思う方も居るかもしれない(?)。やはり体験重視、体感重視なので、尊敬する先人たちの記述や教えがすべて、というよりは、自分の感性や体験をまずは中心に据えて、それを理解・整理するための手がかりとして、偉大な先人たちの著書を紐解く。そう、神智学に出会う前に、既に『ハピの巫女姫』において、何気に「マヌ」として地上で生きる人々を書いていた・・彼らに付けた、インスピレーションからの名称は「ヤ・ヌー」・・(笑)ダジャレのようだけど。。

「人種期」とは、レムリア人種、アトランティス人種、現在の「アーリア人種」のような大きい「型」という意味での人種。ひとつの人種は恐らくエネルギーシステムやソウルシステム、カルマシステムなどのレベルでその都度、デザインされ、実験のような段階を繰り返して「完成」され、リリースされる。iPhone のモデルみたいなものなのかもしれない。。時代、世代によってアプリケーションやOSも変わっていく。

今の我々の「アーリア人種期」は、『ジェネシス』では12000年前から始まっている。けれどちょっと気になるのが私たち日本人含むモンゴロイドはアトランティス人種だとどこかに書かれていたっけ。旧モデルらしい。ガラケーのような立場?(笑)

・・これは書かれた当時の時代意識によるものかもしれないとも思う。神智学の先人たちは霊能力と、研究者としての頭脳と態度を持ち合わせていた天才たちばかりではあるけれど、やはり生身の人間である限り、生きている時代の意識から完全に抜けて中立的かどうかはまた別で。人種的な、偏見・・というほどではなくとも「先入観」くらいは、あるのかもしれない。時々、読んでいて感じたりもする。

だからこそ、定期的に?人間界にやって来て、情報をアップデートしなくてはいけない。そんな役目もやはり、多く地上に転生しているマヌ部門のソウルたちの仕事なのかもしれない。と思ったりする。

 

私の中に在る、最初から在った、気づいたら創作物の中で物語の主軸に据えていた「ヤ・ヌー」という名の「マヌ」のソウルたちは、今後も恐らくすべての小説の中で主軸として描くのだろうと思う。最初に書いた歴史もの、文明ものである『ハピの巫女姫』はまさに、主人公の巫女姫を含めて、ヤ・ヌーたちのやっている仕事が「マヌ」そのものだ。これは後々から、神智学での「マヌ」の記述と出会って、『ハピ』を書いてから15年以上過ぎた時点で気づいた。ほんの数年前に。

ひとつの文明期の終わりに立ち会い、そこでの人々の動きを、「神々」のニーズに合わせて導き、自らもそのニーズに沿った役目を引き受ける。そして、次の新しい文明の始まり、デザインに関わる。時に神の化身のようになって、チャネルとして高次のエネルギーを地上世界のグリッドや地上の人々の生活の中に刻みつける。

人として生きながら、自分個人の人生の大きな流れは、選択の余地は無いのかもしれない。けれど、それは既に選択している結果なのだろうと。何をしに生まれて来るのか? 忘れているゆとりは無い。魂の選択により、人間世界に来ているのだから・・「思い込み」を逆転させれば、それが見えてくる。

マヌ、に限らず・・魂はもれなく、選択によってこの世界に来ている。けれど、地上での仮の「人格」が主導権を握ってしまうと、自分(人格)のよいように振る舞うことが「選択」であると逆転する。そうそう、「自由意志」としてそれが許されている上に、それを見破り、乗り越えて(という言葉に抵抗がある場合は「統合して」)、本来、ここに来た理由に気づき(思い出し)、それをどこまで実践出来るかに、残った時間を使う。転生は、その繰り返し。

経験の深さは人によって違うので、気づき(目覚め)が早い人は子供のうちから自分の道を見つけたりする。し、カルマ的な課題をすでに終えていれば、邪魔立てすることなくその使命を手助けしてくれる環境の中に生まれる。天才児が、その才能を見出し見守れるような両親のもとに生まれる、例えばそんな風に。

またまた話が逸れてしまった。

デザインしたものを種として物質化させて(種とはまさに情報を詰め込んだ奇跡のような仕組み)、それが育つための土壌を整え、種を播き、芽吹いて育つのを見守り、見届けて、・・・最終的にはまた種として保存・保管して、次に受け継ぐ。そんなマヌのお仕事を、地上で体現して生きる「ヤ・ヌー」たちの人生はきっと、作って、育てて、広げては畳み、を繰り返しながら、静かに洗練させたエッセンスを、また次の創造に使う。そんな事の繰り返しのように(他者からは)見えるかもしれない。

自分自身も、魂よりも人格の響きが大きいうちは、そんな現象に悲しんだり、虚しさを刻んだりするのかもしれない。それを、人間界レベルの「パターン」や「人間関係の問題」だと、思ってしまうのかもしれない。当人がそう思い込んでいるうちは、実際にそうなのだ。それは全てのカルマにおいて、言えること。

当人が、悲壮感や虚しさという幻想のトリックを抜ける、超えることが出来れば、ただただ、魂の仕事に打ち込めるのだけど。それが中々、難しい。だって私たち、生身の人間だもの。このトリックゆえに、「目的」のコースを出入りするソウルも多かろう。けれど迷うことは、操作できないのに無理をして壊れてしまうよりは良い。分からない時は、立ち止まったほうがいい。自分だけでなく、周りをも壊してしまったら大変だ。そういう人も見て来たから・・無理は禁物。

 更に話が逸れてしまった。。

難しい話はさておいて。人はそれぞれの人生を見つけて、それぞれの人生を生きる。見つかっていない人は探せば良いし、偏見や思い込みを外して心を澄ませれば、すぐに見つかる。どんな人生でも良い。けれど、全てに共通してどうしても破れないルールは、「愛」と「清浄さ」に向けて生きるという方向性だ。これを破ってしまったら、何度でも逆戻りして、やり直しを繰り返す。毎日、「愛」と「清浄さ」に向けて生きているかを自分に問う。そうすれば、魂と人格は自然と統合されていく。

Love and Grace

 

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