A Diary
ポセイディアの風景
アトランティス人種期(神智学に習い100万年前〜1.2万年前と『ジェネシス』では想定)の最後の砦、都市国家ポセイディアの時代について。
一昨日書いた Info 記事の補足と、今後のためのメモも兼ねて。
2016~2017年に『ジェネシス』の歴史絵巻をまとめていく過程では、リサ・ロイヤルやゲリー・ボーネルなどのニューエイジ分野のチャネリング、アカシック情報が伝えて居る事も参考に。神智学の先人たち・シュタイナーの記述や、更に遡って旧約聖書などの神話、をベースに、大枠の時間の流れを整理していき、その中に、アルガンザの(その時点で)12年間のクライアントセッション等で見せて頂いた魂の種族的原型ストーリーを当てはめて行った。
もっとも難しさを感じるのは、一番「最近」のアトランティス人種期であり、掴みどころの無い更に古い非物質の人種期と違って、(途中からは)物質世界が、この三次元に近い状態で展開していただろうと考えると、気を遣う作業でもある。そうかと言って、三次元だと思ってはいけなくて、『ハピの巫女姫』や『ガイアナ神謡集』でも、微妙に違うそれぞれの周波数と、それにより「神」(宇宙人や自然霊)が物質化するのか、しないのか、可視なのか、そうでないのか・・の設定を変えて描いて。今後、アトランティスの内部に物語の舞台を置くような小説を書く時もまた、アトランティスならばアトランティスで、時代の流れによってどう周波数や可視・不可視などが変遷していくのか、を、描き分けて行くつもりでいる。
それらの土台として、自分でまとめてきたエナジーヒーラーだからこそ見えた、体験できた別次元体験からの『ジェネシス』ヒストリーが、生かされていくと思っている。
そんな訳で、詳細はいつか物語の中でと思っているアトランティス人種期。概要と、ヒーリングの重要ポイントと思われる物語やエッセンスを取り出して刻んでおく、という作業が、ヒーラーとしての『ジェネシス』バイブルのまとめ、と言う事になる。
『ポセイディア』という名称は、確か、ゲリーさんの言葉に倣っている(『ジェネシス』を編集して出す時にはその辺りの参考文献なども記載する)。名称からするにポセイドンの都、と言う事で海との繋がりが切り離せず、以前セッションでアトランティスの風景として見て来ていた海底の聖地や神殿などのイメージ、海の種族やマーメイドなどがまだ人間と共存している、宇宙テクノロジーと魔術が融合し宇宙人も「神」として出入りする、そんなありようが、ゲリーさんの言う「ポセイディア」と無理なく合致するので、その名称を使っている。
最近のセッションで、レムリアやアトランティスの「海」にまつわる情報が続けて出て来ていたのは、海の癒し、カルマを整理することで、海の中に眠る負の集合エネルギーを昇華し、地震などを抑える、あるいは逸らす、高次の目的があるのだろうと・・実際それが全体で進んでいるために、個々のセッションでも出てくるのだろうと、考える。
昨日の第二回クリスタルラボ「アースメディテーション」
余りにもパワフルで今回もまた圧倒される。石を使うと、特にグリッドして瞑想すると、やはりエネルギーだけを呼び出すワークとは一味、いや、だいぶ利き方が違う。増してグループなので、壮大に広がっていく。私が見た風景は海そのものでは無かったけれど、そこで見た情景が「見たことあるけど、どこだろう?」という後味だったため、古代遺跡の情報の宝庫である『古代の宇宙人』のサムネイル一覧から記憶を頼りに探して、2〜3話を選び、再度見てみた。
最近のセッションで出てきた「月信仰の神殿」について、「マルタ島だと思う」とお伝えした方が何人かいらっしゃったけれど、訂正!「サルディニア島」の間違いでした・・シチリアを間に挟み、地中海のご近所ではあるし、太古は地中海が陸地であっただろうから、地つづきだっただろうけれど、念の為に。現在のサルディニア島に、例の月信仰の遺跡があります・・
前に見た時もダイアリーに書いていた気がするけど、改めて、も少し書いておくと、
サルディニア島(イタリア)の「ヌラーゲ文明」の遺跡群は精巧な石細工が見られ規模も大きく、地元には(マルタ島にも)巨人伝説がある。実際に身長270〜370cmもある人骨も発見されている(がその後行方不明)。
サンタクリスティーナの井戸、と呼ばれる遺跡は、(日本の前方後円墳にそっくり!!)「ルナースタンドスティル」と呼ばれる天体現象を観測するために作られたと考えられ、天の最も高い位置に来た月がしばらく止まったように見える現象らしく、18.6年に一度起きる満月だとか。その満月が、開けられた小さな丸い穴を通して、地下に作られた「泉」に綺麗に映し出されるというもの。その地下の聖地はびっくりするくらい石が整形されていて、番組で取材した人が「これは現代の建造物でしょ?」とコメントしたのも頷けるくらい。
サルディニア島には、メソポタミアのジッグラトにそっくりな階段状ピラミッド神殿のような遺跡が数多く。石を組んだ巨大な塔「ヌラーゲ」はなんと島内に8000もあるという。この、サルディニアの巨人伝承について、番組では、旧約聖書の「見張りのもの」=ウオッチャーズ(Watchers)が、堕天使となった原因の物語に注目している。人間の女性たちと契り、巨人が少なからず生まれたという「エノク書」の著名なエピソードだ。ジェネシスでもこの原型ストーリーは取り入れているけれど、少し、時代や状況が違う。
・・更にはメソポタミアの神々の子孫「ネフィリム」もまた巨人であったこと、ジッグラドなどとの共通点が見られることから、イコールかもしれない?と、言及している。おまけにこのヌラーゲ(石塔)の主要なものがプレアデス星団の7つの星の位置に並んでいるとか。マルタ、サルディニア、バビロニア、そして場所は違えどマヤ文明などは、プレアデス信仰が伺えるそうだ。
ここで思い出すのは、ゲリーさんのアカシック本にあった「ソドムとゴモラ」。人間の女性たちと交わった「プレアデス人」が居たため、核によって(だったかな?)街ごと滅ぼされたという。旧約聖書では神の怒りに触れて焼かれた、だったっけ。ソドムとゴモラに関してゲリーさんはモロッコにあったと言っていて、もう7〜8年前になるか、アルガンザがまだ横浜にあった頃、モロッコレッドスピリットクォーツとワークをして、とても苦しい長丁場になり、モロッコに埋められた堕天使的な存在たちを鎮魂した、というアースワークに発展し、上記のゲリーさんの記述を先に知っていたので、当時ちょうど、ジェネシスの前身「アルガンザ創世記」を整理している頃で、「エノク書」のアザゼル等がカレッジでも話題に出ていた時だった。
アザゼルとは、まさに「ウオッチャーズ」として名前が上がっていて、人間の女性たちと交わって堕天させられたという存在。そこで、モロッコ、堕天使、さらには(ゲリーさん情報を通じて)プレアデス、というキーワードが繋がったのだった。それを今回改めて今の視点で思い出しながら、アトランティス末期、ポセイディアを整理している。
なにしろ、サルディニアやマルタは場所的にもろにポセイディアの範囲内であり、番組が引き合いに出している「エノク書」では、人間と天使たちのハーフの巨人が生まれたことに対して神の罰が下り、大洪水が起きたという。『ジェネシス』でも、ポセイディアを終焉させたのはやはり大洪水としている。
今、注目したいのが、アルガンザで最近整理されてきた「月信仰」「プレアデス」のつながり。それがどうやら、サルディニアには、つまりポセイディアには存在していた。この状況で「降りて来ていた」神々は、普通に考えたら(プレアデスを模った塔を並べているくらいだから)プレアデス星人であり、その混血を快く思わない「神」が、大洪水を起こした。つまり、高次元では人類をめぐる諍いが続いていたということ。ちなみに番組では、洪水を生き延びた巨人たちがサルディニアに居住したのではないかという推察。近所のマルタ島で有名なのは、地下三階の広大な地下都市遺跡で、古代の建造物とは思えない精巧な建築技術は目を見張る。
別の回の同番組で、中国やトルコ、インド、南米など各地で高度な技術で建造された地下都市が紹介されていて、大洪水、あるいは核戦争などを回避するために事前に人々が建造ししばし居住、生き延びた人々が外に出て、文明をゆっくりと立てなおして、(科学技術などは失われ)現在の私たちの歴史の黎明期、に至るのではないかと。ここは全く同意見で、「ハピ」や「ガイアナ」でも既にそれを歴史の下地として敷いている。
(ゲリーさん情報と「古代の宇宙人」から)人間の女性たちと契るということを積極的に行ったのはプレアデス人で、彼らには彼らの目的があった(人類に対する計画・人類の遺伝子を利用?する計画)。地球の管理者でありロゴス、人類の親であり、進化プロジェクトそのものであるシリウス側と、聖書の大洪水や、ソドムとゴモラの話などからしても、常に人類をめぐる攻防が続いて・・(今でも)・・いるのかもしれない。
以前見たヴィジョンで、ポセイディアの中枢は海に浮かぶ円形の都市で、右と左、真ん中で区切られた二つのエリアに分かれている。それぞれで自治を行っていて、信仰や、バックの「神々」などの違いから、対立が起きていたのかなと感じている。エドガー・ケーシーのリーディングでは、アトランティス人はアメリカ人に転生する事が多いらしい。アメリカがもうこれ以上発展出来ないと(経済学などで)言われている今、そしてこれから、アトランティスの終末期がどんな風であったか、は、教訓としてキーになりそうに思う。
一旦はここまでで。。
Love and Grace
タイムトリップ時代劇
スベクヒャンや緑豆、ヘチだとか奇皇后だとかについて前に日記に書いて以後も、延々とほぼ絶え間なく見ている韓流時代ドラマ。全部書いているとキリが無いのでやや久しぶりに。というのも、最近感じている(&Infoに書いたりショップに反映させたりしている)「男性性・女性性のバランス」(個人の中でも。エネルギー面の地球規模でも。)というテーマと少し通じるものを感じた作品を最近ちょうど見ていたから。
『哲仁王后〜俺がクイーン!?』
馬鹿馬鹿しそうなタイトルやサムネイルや予告編でも、見始めるとそのうちシリアスな部分が出て来て、深い傷やトラウマなどが繊細な演技とともに表現されて、問題がちゃんと解決されていく流れも見えて来て、いつしか最初の馬鹿馬鹿しさを忘れている、というのが韓流ドラマの(現代ものでも)お決まりであること、もう学習しているので、しばらくいかにも現代風キラキラ系?コメディ系時代劇の印象のサムネイルを静観しつつ、ある日、思い立って見てみた。かなり良かったですヨ。おすすめ。
凄く斬新な脚本、よく考えたなあという感じだけど、現代の成功してナルシスト気味で女たらしの男性が、李朝の女性と魂が入れ替わってしまう。正確には、どうやら入れ替わってはいないようで、その体に宿ってしまった、という感じ。これはただひとえに主演の女優さんの演技力に拠ると思うけど、その点ではほんとに素晴らしい。最初は「まさか?」と思ったけど「青い海の伝説」や「彼女は綺麗だった」などのドラマで脇役(少女っぽい女性)を演じていたシン・ヘソンさん・・エイジングもしてないし、演じ分けの力凄い。
最終話、主人公の男性の魂が、李朝の王妃から抜けて現代で意識不明になっている自分の肉体に戻った時、視聴者としてまったく違和感がなくて、今までずっとその人を毎話見ていた、という感覚がしていて。姿や声がかけ離れているのに、ある意味「同じ魂」になっていて、女優さんが余程、その俳優さんの(出番が少ないので「特別出演」扱いらしい)研究をしたのだろうなと思った。。
そんな雑感は色々とありつつ、言いたかったのは、李朝の宮廷時代劇のお決まりのパターン、問題のすべてが起きている世界の中に、『現代の成功してナルシスト気味で女たらしの男性』が、王妃として存在することで、問題がどんどん解決していく。幼い頃の壮絶な記憶、トラウマを抱えて、ギリギリの状態で重臣たちの陰謀と静かに戦いながら王座についている王様が、癒され解放されていくのと、魂が入れ替わる前にその王妃である女性と王様は敵同士のような状態だったけれど、「彼」によって敵対する両勢力の拮抗状態に変化が起きていき、お笑いを交えながら(笑・ほんと面白い)政治も動いていく。
宮中は常に女性同士の感情と、政治に関わる男性たちの権力欲で、戦場のような場所だろうと思う・・ 「オレが?!」という人が舞い降りたことで、お決まりの世界で、お決まりの問題が渦巻く世界に変化が起きる。中身がつつましい女性であった頃には王妃をあまり好きではなく政治がらみで敵視していた王様も、中身が「オレ」に(笑)なってから、「変わってるなあ」という驚きの連続がいつしか、「好」に変わっていく。
遠巻きにこのドラマは「ブロマンスのすすめ」なのかしら・・と、お茶の間では呟いていた。とはいえ、王妃の中に宿った「オレ」はまったくその気はないものの・・かつての王妃自身は王を恋慕っていたことにより、肉体感覚?肉体の意識が作動して、何やらおかしなことになっていく(笑・乙女ゴコロ?の芽生えに抵抗する様子の面白さが絶妙)。
男っぽい問題が凝り固まっているような場所では、女性的・右脳的感性の面で新鮮な風を入れて。逆に、女っぽい問題が横行しているような場所では、男性的・左脳的な方法で当たってみると、閉塞した状態に風穴が開いて、物事が流れ出したりするものだ。個人の中でもこれは同じで、自分自身に起きる問題のパターンや、苦しみやストレスに苛まれてしまいがちなテーマに、いつも「自分らしい」方法で模索したり、同じ方法で繰り返し処したりしていても、なかなか、状況はよくはならない。
自分の「かたより」を探して、見つけて、バランスをとる方法や改善策や、改めるべきポイントなどを拾って、実行に移していくと、困りごとから抜けていけるだろうと思う。自我で固まってしまっている頭、思考回路や感性に、違った角度や違った種類の風を当てる。自我に変化を起こす、常に解決のカギはこれしかない。
問題が起きる時、課題を抱えて進めなくなっているような時は、「バランスを修正する」チャンスが巡って来たと思えば、ポジティブに事に処していける。
チャン・ボンファン(王妃の中に宿った「オレ」)が現代の自分の体に戻った後もきっと、(作品では描かれないけれど)パーソナリティに大きな変化が起きたのだろうナ、と想像すると微笑しい。
「オレが!?」と歌っている主題歌が最高。序盤の数回ではエンディングに流れます。
Youtubeで第一話は無料で見れるようです。
タイムトリップする韓流時代劇、たくさんあるけれど・・
「屋根部屋のプリンス」「信義」「イニョン王妃の男」を見ましたが、どれも見たこと、時間を費やしたことを後悔することなく、面白いドラマでした。
前にもメインブログに書いた「トッケビ」や、「青い海の伝説」、そして「サイムダン」など、現代と昔を行ったり来たりする作品もよく出来ていて、現代ドラマと時代劇と、両方の要素が楽しめるので良いですネ。
Love and Grace
ミカエル意識
ショップでの「限定エナジャイズ」企画、『イシス』につづいて実は『セオリツ』よりも前から準備していたのが『ミカエル』。ケンタウロスが話題に出たころから。天使と呼ばれているエネルギーの中で、ケンタウロスのような堕ちた男性性を癒して宥めてくれそうなのは?と考えた時、浮かんで。ミカエルと言えばセレスタイト。小さめタンブルを探して仕入れていて。
以前書いた(去年の11月かな)Diaryで、シュタイナーが大天使を「時代霊」と呼んでいて、今私たちが生きるのは「ミカエルの時代」、その意義・魂たちがミカエルを通して学び克服することになっている課題とは、「物質(現実界)の中に霊の世界を見る」、そしてそれをマスターしていく事であると。
数日前にインスタにも書いたけど、あの手のことはもう数え切れないくらいスクールやサロンで話したり書いたりしてきて・・ 話としては「そうだよね」と聞いてしまう人が多いかもしれないけど、本当の意味を理解(お腹に落とす)したり、さらには実践、となると、なかなか難しいようだ。スピリチュアルな用語やグッズを三次元に生かすという事ではない。物質界の流れや物質である自分自身を通して、スピリチュアルな理解と解釈を、通常運転で使いこなすとなると。長い時間もかかるのかもしれない。違うほうへの誘惑が何しろ多いし。。
けれどミカエルは人気者。大天使の中でも特に男性性のイメージを持たれている。今の人類が生きる世界はある意味で男性原理の世界。ゆえにそれを正しく矯正していくエネルギー存在、あるいは概念(光線)なのかも。その性質から、シリウスがとても強いと思っている。考えてみれば、ケンタウロスの癒し、修正・矯正にはピッタリかもしれない。
それはさておいて。今、どちらかというと女性性の癒しにフォーカスする流れになっているので、『イシス』や『マグダレン』などをもう少しショップで紹介しながら、『ミカエル』も準備をしよう。時代のテーマのはずなのに、ミカエル的なものがどんどん、薄らいでいる感じがする。ロナ・ハーマンさんのミカエル本シリーズの一冊目なんて、とてもミカエルらしくて良い本だったけれど・・
あ、そうか。同時に今、アースメディテーションやアースワークで出ている「男性的パワー(権力者の老人のようなイメージ・ある意味で男性社会)による少女性(天使性・自然界・セラフ)の侵害」のテーマもあるから、その部分の女性性側の痛み、傷を癒す過程が集合意識的に起こりつつ、新時代の凛とした男性性(内面的な意味。エネルギー、魂の中のバランス)を引き出して成長させて行くステップなのかな。もちろんこういう事は何度でもこれまでも螺旋で段階的にフォーカスされてきている事だ。世界もどんどん動いている。
タイでは新しい首相、良い感じの人が選ばれたよう。東南アジア、東アジアも激動していくのだろうな・・
パンデミックが始まる前に、ある程度の軸やエネルギーシステムを作っておくと、周波数の乱れや、脳への操作などに気付ける体制を作れただろうと思う・・
あの頃、2019年には「シャンバラの杖」を出したりして、急がねばという感覚が自分の中にあった。今またちょっと似たような空気感がある。けれど、状況はあの頃よりも更に難しくなっている。集合場がだいぶ持って行かれているから・・それでも、気付ける人は気付けている。まさに「方舟に乗るような7年」だ・・(以前の日記をご参照下さい)。日本人は、自分が何を思いどうするか、ではなく、人からどう見えるか、人々はどうするのか、を気にしてしまうために、更にメタフィジカルが難しくなっている。
けれども勿論、「現実は自分が造る」のだから、意図あるところには、常に道は拓かれる。
アリス・ベイリーを読もう。読めるかどうかは、水瓶座意識とその周波数の準備が出来ているかどうかのバロメーター(慣れるまでは少しずつでも)。そして読むだけではなく出来れば実践しながら学んでいこう。
Love and Grace
転生の宿題
どの教師も、教え子が割り当てられた課題学習に直向きに取り組んだ時は嬉しいもので、後にその気持ちを思い出すことがある。だが、注意散漫や無関心で時間を無駄にする御し難い子供を授業に向かわせるときに感じる気の滅入りも、鮮明に思い出すものだ。この現在界という世界学校では、私たちの多くがこんな程度の悪い子供たちと似たり寄ったりであり、それこそ、自然の摂理が私たちを学習させるために、時として過酷な経験という処罰を執行せざるを得ない理由の一つなのである。だから、無為に日々を過ごすことなく、常に珠玉の教えを探し求めるならば、この上ない幸福が私たちに訪れるのである。何事も偶然には起こらない。全ての物、全ての出来事に極めつけの目的が。私たちのやるべきことは、その目的を見つけ、それから何らかの教訓を得ることである。それができなければ、少しばかり形を変えて、繰り返し同じ経験をすることになる。私たちがなすべきことを為すまでは。
Irvine S. Cooper 『神智学入門』(アルテ/星雲社)
最近持ち歩いて読んでいたこの本。そう、「入門」なんて今更に変だよね・・それも初めて読む。長いこと本棚図書館の一部分に。神智学の初見はアリスベイリー書籍をテーマごとにダイジェストでまとめたシリーズ。それからアリスベイリー他、更に先人たちの著作を、目的に応じてその時々、部分的に。私はあまりどの分野でも「入門」や、間接的な解説本を読むことはなく、創始者とか、より情報の源泉に近い人を直撃して読む。それも部分的に。丁寧に読み込んで、更に繰り返し読む人が本当の読書家なんだろう。私の場合は自分のその時々の知りたいことを調べるために本を手に取る。研究者的な癖を(ソウルが)持っているのだろうと思ふ。
そしてこちらのCooper氏がどういう人かも深く考えず、移動中などに読む本としてアリス〜よりは読みやすいかなとカバンに。どのページを開いても、自分が普通に考えていること、これまでブログやテキストや色々な場所に書いてきているお決まりのこと、最近も考えたり書いていたことと同じ内容ばかりが見つかり、不思議な感じがしている。20世紀で神智学を知らしめるにあたって、西洋人にはまず輪廻転生や、カルマの法則を教えなくてはならないから、その辺りで丁寧な比喩を使ったり・・結果、表現や感性が通じるものがあるのかもしれない。
更にこの著者は19世紀末生まれで、リードビーターの秘書であったことを知る。その頃に生きていた自覚と、神智学協会に西洋人として関わっていた気がムンムンとしている私としては、「では、知り合いかも?」・・なんて思ったりもした(笑)。今の自分の感性、「当然だと思っていた」けど20〜21世紀の日本人的にはどうもズレが生じがちな(笑)スピリチュアル観、のようなものを、やはりこの時代、この分野の経験で身につけ、刻み、それを今も携えているのだろうと改めて思う。
ただ、一つ違うことは、自分の使命のようなものとして、神智学的なこと、古来の叡智(インド哲学や仏教など)を、やはりこれからの時代向けにリニューアル、改訂を加えて形にするという事が、自分なりにソウルが歩みを進めてやって来ている、かつ、今世生きてきて道に迷う事なく(多少はフラフラしつつ大筋は)辿り着けている「目的」であると改めて確認する。
同著によると、人の魂は40〜60年サイクルで生まれ変わるということだ。霊的に進化していると更にサイクルは長くなるらしい。そして生まれ変わるたびにスピリチュアルな仕事の続きに取り掛かるのだとか。(芸術家や学者、今の時代ならば映画制作者や作家もそこに含まれるかも。カルチャーの中で霊的なものを追求し世に示していく。)
19世紀末〜20世紀初頭の神智学ムーブメントは、現文明が始まって以来、西洋と東洋の叡智が時を待って結集し、賢人たちが新時代(ニューエイジ)の始まりを興奮と共に感じながら、グローバル化していく世界の(世界大戦と時を同じくしながら)中で、まとめ上げていった大仕事、だったと・・本当に凄い事だった・・と感じる。同じような力を背景に、この世界と舞台裏を行ったり来たりしながら、仲間たちと一緒に、時にはすれ違ったりしながら、あの時、それまでの努力が「神智学」として結集された。
思想的には、まだその余波の中にあるのかもしれない。学者の方々が、「こうなのだろうか」という話し合いをしている様子を見るにつけいつも「神智学を読めば良いのに」「すべて解決しますよ」と心の中で思う。。。(笑)。。。まあ、そこがミソなんでしょうね。一筋縄では行かない。「私たちが、成すべきことを成すまでは」
Love and Grace
Amari
情報で闘う時代=風の時代?
前にこの日記にも書いた記憶がある。NHKの番組を見た流れで・・「人間は情報である」という量子物理学の考え方について。実感としてこれはとても分かる。エナジーワーカーとして、また自分自身の元々持っている感覚からも、情報の集まりがソウルシステムであり、その情報が肉体レベル、可視の三次元の物質世界に「顕れて」いるものが、私たちの物質的な(感情や思考も含めて)「現実」である。
ゆえに、情報を変えて行くことで、当然ながら現実も変わる。変えたい部分、体や心の不快な部分(病気、不調、痛み、など)を変えるには、情報レベルでその「設計図」に変化を起こしていく。これがヒーリングということになる。ヒーリングのみならず、ホリスティックな癒しの手法はこのメカニズム。
毎日、空が美しかったりドラマティックだったり、「非凡さ」を感じる最近の空模様。それが時折ではなく、毎日のように。けれど天候や気候は一定せず、絶えず変化して日本の気候も変わったなと実感する。世界各地で、それぞれの「らしさ」とは違う天候や気温や空模様が展開していて、Climate Changeとして、問題意識を持たれている。地球の環境問題だけではなく、時代の変わり目で秘教的な意味での世界の作り替えが起きていて、それが天候不順や、別次元の気配を感じさせる空の様子などに日々、顕れているように思う。
『古代の宇宙人』最近はシーズン7を見ていて、いつもあの番組の内容は「え!?」ではなく「そうですよね」と頷きながら、更に多くの知識をもらって良い刺激になる。ニューエイジでも言われている「人類を取り巻いている様々な思惑を持った『宇宙存在』たち」について、実際に欧米の国家の中枢に居た立場で、退職後にそれが事実であると証言する人々が少なからず居る。人類は知るべきであると・・一部の人々だけが知っているのは良くないことだと。
予定通り・・時に想定外の事象に対処しながら、地球を運営してきた宇宙存在たちは、「人類を自分たちのように進化させよう」というコンセプトを持っている。かたや「愚かで欲深い存在のままにさせておこう」という思惑を持った存在たち、あるいは集団もあるのだろというお話。双方のエネルギーや情報が、地上世界に混淆して、人間たちを通しても現実化される。結果、「上にあるものは下にも」。人間社会も混淆し、それを映した現実が常に三次元でも展開される。
ずっとその歴史は続いている。けれど時代の大きな変わり目、大枠の地球プログラムは予定通り働こうとしていて、それを止めることは出来ないのではないかと思う。運営している「地球の管理者」の領域が、そもそも「時代の変わり目」を設定している訳で、あくまでもその範囲内で、邪魔をする力が介入しつつ、大枠は変えることは出来ないのだろうと個人的には思っている。ただ、そちら(管理者=ロゴス)の情報ではなく、介入して来ているものが発信する情報に、人類の多くが、あるいは重要なポジションの人々が耳を傾けたりすると、結果として「ノアの大洪水」のようになってしまうのだろうと考える。
ただその情報戦・・人類のテクノロジーが発展して、グローバル化し、集合意識を物質化させたようなネットワークが現在はウェブ、それも無線で飛び交う時代。ロゴス側の情報を撹乱させるための、逆向きの操作も佳境、なのではないかと感じる。
一番上に書いたように、「情報」とは何も文字で書かれたもの、だけではない。人間そのものが情報の集まりであり、目に見えない情報も含めて考え、感じなくてはならない。文字で書かれた情報だけではなく、世界を飛び交う周波数、電波のようなレベルでも、「情報の混交」が起きている。それが大気や空に現れているのかもしれない。
私たちが生まれてからの数十年は、長い歴史の観点から見ればずっと「時代の変わり目」の範囲内になるだろう。確証は無いけれど感覚的に、マヤ暦の終わりである2012年末から、「進化」は加速している気がする。マヤ・・・は、ロゴスとは違う(逆向きの)意図を持った力に導かれていたかも?と少し思っている。つまり、プレアデス系。そちらが優勢でいられる=人類の進化をとどめておける時間が、2012年で終わった・・ということ?あくまでも仮説。
その「個人的仮説」に拠れば、進化の切り替えポイントが、2013年からということになる。植民地が返還されたようなことだろうか。歴史を見ていると、「自由」を取り戻した後、しばしその国や民族は混乱する。「風の時代」は、否応なしに人類の次のステップ、意識や霊性を高めていく上昇気流が動き出す。宇宙的背景同士の条約、決め事があったのかもしれない。その期限が切れて、植民地が返還された(?)
けれどまだまだ、前時代の情報の名残と、人間社会がインプットしてしまった、体や心や意識、ソウルシステムにさえ染み込んだ・刻み込んだ「霊性の進化を止められた時代」の情報が私たちを支配していて、社会制度も一瞬では変えられない。時間をかけて、人間も社会も「変換ポイント」を無事に成し遂げる必要がある。
古代の始まりにおいて、人間社会は前文明(アトランティス)の名残り、知識を持っていた。けれど古代社会同士の騒乱の中で、それらの証拠は破壊され、中には文明ごと消息が分からないようなものも。アレクサンドリア、バグダッドなどの大図書館は壊され、中国でも焚書がたびたび行われた。一神教で塗り固められた社会は、超古代の叡智を参照して活用することも、人間の意識を進化させることも封じるような世の中を作っていく。
ルネサンス頃からゆっくりと開花。市民革命、産業革命、帝国主義から始まっていたグローバル化、その行末の世界大戦、その後の復興、物質的に豊かな時代。そして情報化社会、パンデミック。
テクノロジーではなく、霊性の成長、進化ということを自分たちの課題としてどこまで向き合えるか。物質的な社会、欲を満たして恐れを回避する社会構造や気風に、どれほど自分自身の心身魂が馴染んでしまっているか、を自覚し、その幻想を剥がし、剥がして、情報を選んで取り入れる。・・文字になっている情報だけではなく、あらゆる意味での「情報」。
一昨日の昼間の曇り空と、夕方の晴れ間。
そして、爽やかに晴れていた昨日の空。
長細いシルエットの雲が壮大に広がる空が続く。
生活を根本から見直す、思考的な慣習や自分の属する環境を見直す。自分自身の長年の思い込みや家系や環境から「当たり前」の一部として取り込み固めてその範囲でしか考えたり行動したり感じたり出来なくなっているような、服、あるいは鎧のような「世渡り」「常識」「無難」のエネルギーを見直し、必要に応じて脱ぎ捨てることも、多くの人に必要になるだろう。それを促されるだろう。
感情が言い訳、逃げ道になる時代が長く続いた。けれども感情という重荷を背負っていると、情報化の風の時代に仕掛けられる罠には、易々と捕まってしまいそう。
情報には情報で対処。意識の時代。自分を客観視、必要に応じて(自分自身そして社会の健全さのために)その情報に変化を加えていく。これまでのように感情や「気持ち」ベースで居ると、次々にやってくる変化の波を「試練」と感じて辛くなってしまうことでしょう。
心地良い、変化として、時代の風に乗っていけるように。
Love and Grace
Amari