Office Arganza

A Diary

2022-05-20 19:08:00

何のために、誰のために。

去年の秋。私の年代に例のあれ、の順番が回って来たころに、いつものように直感にまかせて、自分の意見を書く時は書こう・・けれど、きっとこれは各自が自分で考え、選択しなくてはならないから、読んだ人がそこから私の意を読み取ってそれに従う・・という風にならないようにしよう、と、それだけ決めていた。

自分自身、どうするべきなんだろう?と天に投げかけて、自身のサバイバルという観点ではなく、かといって社会や周囲に自分を預けてしまう方針は普段から無いし、人のせいにするつもりもない。だから、一応は予約だけ入れて、当日に向けては天に指示を仰いでいた。

話の流れが明らかにおかしいことは分かっていたし、利よりも害がありそうな事は感じていたけど、それが全世界が向かう道で、自分もそこに参加した上で、人類が共通して引き受けた課題への、自分なりの取り組みをするべきなのか、三次元の自分には簡単に決めることは出来ず。 

ヒーリングと出会ったころから、ニンゲンではなく魂で生きると選択することが、ヒーリングのようなものを人生に取り入れるにあたっての前提だと思っていて、以後、その道に乗り、流れに乗っかって、学び、浄化を受け入れ、成長を感じて、現実が変わる、という行程を繰り返して来て、結果としてごく自然と自分もヒーラーになっていた。

ニンゲンとしての自分と、転生を繰り返してきたソウルとしての自分が培ってきたものを統合し、今世、自分というアイデンティティを果たしていくために、常にソウル、ハイヤーセルフ(ハイヤーシステム)と、この道をガイドする流れに、相談しながら全てを決めて、選択してきた。

なので当然、例のあれ、に関しても、私の基準はそこだった。「自分の役割をこの地上で実践していくにあたり、例のあれ、は、私には必要なのでしょうか、もし不要だったり、やめておけ、という場合は、何らかのサインで分かりやすくお知らせを。」と、特別に言葉にした訳ではないけど、高次の自分自身のシステムに伝えていた。

すると、自分でもびっくりする展開。健康な私が・・日頃、普通の風邪だって引かない(2018年だけ例外で何度も患った。これについてはまた後日触れたい)私が、今となってはヒーリング等の事前事後の浄化や好転反応でも寝込むことなどないというのに、予約していた日の前夜、起き上がれないほどの頭痛に見舞われた。頭痛からの吐き気で、寝ている他ないという状態に。一晩寝ても回復せず当日も横になって過ごす・・・これは、確かにわかりやすい。結果、例のあれ、には私は関わらない方向へ、強烈に導かれた。

 

むしろ、この実体験による(高次の私の)「選択」から、例のあれ、が一体どれくらい問題なのか・・を、自分の周囲でも多く普通に受け入れた人たち、世間の人たちのために学ぶ必要があるかも・・と思って、書籍を幾つか選び、パラパラと読んでみた。という順番。普段の仕事と同じく、高次との共同作業からの実体験を重視、そこで起きたことを自分なりに検証するために、存在している資料や専門的な情報を求める・・という自然な流れ。

なので、不安から書籍を探して、その情報に感化されたという訳では無い。ヒーラーとしての仕事のここ数年の方向性が、神智学文献に感化されたという訳ではない、というのと同じように。自分自身の意図、意志と、状況の分析、そして高次との信頼関係から、実際に体験したことが判断基準になる、という、いつものスタンス。

 

このことを反映して、当時、FBに例のあれ、について書籍を紹介し、「自分のためでは無い理由で、選択する人も居ると思う。」というようなことを書いていて。それは自分と同じように「どうするべきか天に(ソウルに、高次に)委ねる」という、第一段階の「選択」が、それぞれに意味のある結果をもたらすのだろうと。高次とともに仕事をしている自覚のある人、癒しの道を歩んで来て常にハイヤーセルフやソウルからの視点でものごとを考えられる人ならば、そうするだろう、と。そういう意味を込めていた。

けれど、その後、何人かの方と話す機会があって(私のそのFBの言葉を踏んで)「〜のために(家族・職場での人間関係・調和などのために)・・ました。」という言葉を聞いた。ああ、私の書き方、表現が中途半端で、逆の意味に捉えてしまったのだと驚いた。むしろ三次元的な指標で行動・選択する背中を押してしまったのだろうか。中途半端に書くくらいなら、黙っていれば良かったのかも・・・

世間の、「受け入れない選択をした」人たちは、当然、良からぬものは「皆さんも止めて下さい」というスタンスだと思う。けれど、私の視点だとこの問題はもっと更に深刻で、それこそノアの方舟的に、非常に大事な「選択」「意図」「自立」という課題が込められているのではないかと、2020年の春から感じていた。各人が自分の姿勢を表明し、結果を受け止める必要があるとも、思っていた。表明というのは、高次のまなざしに対して。

なので逆に、ずっと戸惑いもあり、特に去年の秋以後の、多くの人々の選択にはかなり衝撃を受けた。

 

それと前後して、夏くらいかな、その事について考えていると大きな悲しみが湧いてくる事が何度か。これは今思えばその後、秋に控えていた「マヌ」のワーク、『水星アルカイの叡智』の事前浄化で、マヌ、つまり人類の文明の御膳立てをしつつ、終局を見定め終わりを演出するという「文明の主」たちのグループソウルの集合場、集合的な情報を受信して、役作りしていたのだろうと思う。けれど、自分のソウルのプロフィールでもあるから、自分自身のジェネシス層の過去感情、それが浮上した、とも言える。

今でも時折、これから先の世界のことを思うと悲しい気持ちが湧き上がる。けれど、それはまだ解放しきれていない、ジェネシス層の記憶から浮上するものなのかもしれない。

「マヌ」というのは、文明の準備をしてその人種期を見守るけど、終わりにも立ち会わなくてはならない役目の魂たち。人として転生しながらその役目に就いている地上要員であれば、人としての感情も思考も人間としての装備は普通にある訳だから、悲しみが残ることだろう。その昇華されていない部分が(今思えば「ハピの巫女姫」にも反映されていましたネ・・)今の世情に反応してしまっているだけだ、とも思っている。

 

・・から、その感覚には浸らずに、前向きに、自分に出来ることをしていこうと思う。3月に改訂版テキストを書いていた「レムリアンセイクレッドレイキ」の新しい光線が、アトランティスでは様々な治療に使われたエネルギーであると受け取って、それが体内の内臓レベル、エーテルの解毒に効くのだと気づく体験をした。その他のエナジーワーク、エナジーヒーリングも、本来得意なデトックスでこれからの時代、活躍することだろう。

むしろそんな学びのためのチャレンジを自らに課した人々が、たくさん居た・・と受け止めることも出来る。そもそもこれまでも、私たちの住む世界は、害をなすものがたくさん。自然界や地球や、私たち自身の尊厳、健康であるという権利を脅かすものに囲まれている。それをただ受け入れて何となく暮らす・・という世界から足を洗い、ひとりひとりが世界を変えていく、作っていくという意識を持つようシフトすることが、未来への方舟に乗るということだ。

「害」はこれから多く目に見える形で出てくるかもしれない。けれどパニックに陥らず冷静に、ここで立ち上がる人が増えれば、人間の文明はまだ大丈夫だろうと思っている。

更に言えば、日和見せずに今のうちに、取り組み始めると良い。食事やライフスタイルを見直し、社会のあり方に批判的な目を持ち、その中での自分の意識を見直す。人任せではなく。そのようなシフトをするべしと、自身のソウル、ハイヤーセルフに求められている人々が、例のあれ、を受け入れた・・ということかもしれない、とも思う。 つまりそれもまた無意識での「選択」という自主的な行為だと受け止めることも出来る。

絶望したり、パニックになったりせず、出来ることをしていけば。ここで意識&行動変革できれば、きっと大丈夫。

 

大事なのは、明らかに目に見えて問題が社会規模で出てくるのを待つ、つまり日和見する、のではなく。自分自身の意思で、先に立ち上がること・・ではないかと最近、強く伝わって来る(それが高次への意思表明である)。ゆえに、ここにこのような内容も書いてみることにした。一度は日和見、多数派に身を預けてしまった人も、今ならばまだ、自分の意思が示せる。自分自身に対して。自分の人生に対して。自分の魂に対して。

水瓶座時代のテーマは「人類の自立」と言われている。それはひとりひとりが自らの魂を目覚めさせ、今までの半睡の状態から、魂で生きることを学び、身につけていく時代であると捉える。

Love and Grace

5月20日に書いたもの。少しためらい、「下書き保存」から、時期を見て・・6月4日に「公開」設定。6/4の日記で少し補足しています。