A Diary
本音を呟く。
5月20日に書いていた日記記事を、今日ようやく公開設定にした。少し補足しておこう。
どうやら「白い聖堂」と、例のあれ・・の話題は繋がっていて、20日と言えば聖堂の準備をしていた日だった。初回の聖堂当日が「3回目のあれ・・と日程が重なって」とお便りを下さった方もいらっしゃったし、二度目の実施の当日も、20日に書いた記事について、自分で気になって仕方なかった。・・やはり繋がりがある。というよりも、今はそれが、人類の未来の行末に大きく関係しているからこそ、なのだろう。
何かに押されるように書いてはみたものの、読んだ人が心理的に反応することを心配し、ためらいがあった。
けれど、そこに書いたように、明らかに社会に多くの弊害が目に見える形で出て来た時に、それを誘導した人々や国を非難する・・のは、当たり前で、誰にでも出来ることであり、「ライトワーカー」や「メタフィジスト」の姿では無い。
だから、その前に「気づく」「切り替える」「目を覚ます」「行動する」人々の力、支えになるために、「聖堂」の御膳立てが来たり、20日の記事も促されて書いていたのだろうとも思うので、ためらい=私のエゴ で止めてしまうことは、可能性のひとつの流れを止めることになってしまう・・・これまでもいつもそうだったけど(最近だとレムリアンセイクレッド〜を作っている時も)・・高次の愛や祝福がこちらの世界に届く流れを、チャネルであるエナジーワーカーが、一個人のアストラル的事情で止めてはいけないという信条で、ためらいも乗り越える。
パン・・・・が始まった時、「ノアの方舟だな」と思った。その病にかかって亡くなるか、生き延びるか、という意味では決して無い。それに対して、何を思い、考え、選択・行動するか。これをきっかけに愛や調和のより高い周波数意識に、シフトすることが出来るかどうかを、試されるのだ。。と感じた。私が考える「神なる世界」は、無作為に病気で人間を減らしたりフルイにかけるような無慈悲なものでは無い。常に人間を「進化させる」事を、すべての基準にしている。神なる世界=地球というシステム、と、置き換えてもいいかもしれない。
つまり、人類という種族としては、通過儀礼であると思った。そこに、撹乱し、邪魔をする力が働いた。その力と、人類の中にあった恐れその他の、「愛」ではないエネルギーが響き合った結果、撹乱するためのものを、ほとんどの国と地域の7割近くの人々が受け入れてしまった。陰謀論ではない。「宇宙における地球上の魂たちの進化」と、「相反する逆作用の力」の話。
少し時間をおいて、振り返りつつ・・端的に言うとそのようになる。
失敗だとか、すべてそれで終わりということは無い。多くの祝福と、地球を取り巻く愛の力、私たち自身の愛の力がいつでもそこにある。
何が出来るかを自分で考え、行動していく事が「自立」だ。
メタフィジカルな知識を生かして、自分の魂を生きていこう。必ず逆の作用も進んでいく・・機械がすべて教えてくれる、やってくれる、という便利さが今は要注意事項。そうではなく、魂が持っている感性や、感覚を取り戻し、人間本来の力を取り戻し、それによりこの難局、時代の変わり目を乗り越えていく事を、私たち自身の高い部分、神なる部分から、求められている。
Love and Grace