A Diary
ジェンダーギャップの国
昨年の夏に例年のように発表された世界経済フォーラムによる「ジェンダーギャップ指数」。毎回日本が先進国とは思えない位置にランクしている事にも慣れてしまっているけど、最近政府が色々と対策を示している(?)ようなので、改めて考えてみる。というか、個人的にはもう考えることも疲れてしまって、「無」の感覚になっている日本社会の現状さまざまのファクターのひとつではある。が、改めて。
2022年度、日本は、対象となった146か国中、116位だった(2021年は156か国中120位)。比較対象として日本と関係の深い国の順位を挙げると、アメリカは27位。日本と社会構造や抱える問題がよく似ている韓国は99位。中国は102位、とのこと。先進国と呼ばれる(もうそうではないという声もあるが)国で、このような順位にいる国は当然ない。日本より前の国々を上げるのは大変だから、後ろに連なる117〜146位までの国を挙げてみる。
モルディブ、ギニア、レバノン、チュニジア、ガンビア、ヨルダン、ナイジェリア、トルコ、アンゴラ、ブータン、サウジアラビア、ニジェール、エジプト、クェート、バーレーン、マラウイ、コートジボワール、コモロ、インド、モロッコ、カタール、ベナン、オマーン、アルジェリア、マリ、チャド、イラン、コンゴ、パキスタン、アフガニスタン 以上
こうして見るとやはりイスラム教国が多い。中東以外のアフリカ諸国や、島国のモルディブなども国教がイスラムのよう。それ以外で目についたのがブータンとインド・・それぞれ宗教的・文化的な背景があるのだろうなと思う。ブータンはそれでも最近、積極的に女性の社会進出を推奨する政策をとっているよう。インドはよく取り沙汰される女性蔑視的な問題がまだまだ多く、ヒンドゥー教の伝統に沿って生きる人々だけに、その「教え」の中に組み込まれている現代の国際社会から見たら考えられないような人権侵害、女性差別が慣習として続いている故だろうと。
インドは中国とともに、これからの世界でアジアの中心的な存在になるのかもしれず、勢いに乗っている部分もありつつ、これから社会の慣習の見直しなどが、必要になっていくのだろうな。インド哲学、ヨーガ思想、アーユルヴェーダなど古代にインドで保存された素晴らしい叡智は、インド人の頭の良さとも関係しているのだろうと思うけれど、本格的にインド好きになる、インドに学びに行く、という気になれない理由はそこにある。。。
とは言え、日本も静かにじんわりと平和的に、作りあげられているジェンダーギャップ社会。この世界経済フォーラムの統計では4つの項目で指数を算出しているそうで、そのうちの教育と医療では日本は問題ない。教育はなんと1位! それ以外の2項目、政治と経済でかなり評価が低いゆえの「116位」。・・確かに、医療や教育を受けるにあたって、女性が差別されるようなことは余り無い。教育に関しては、数字ではどうであれ、心理的なジェンダーギャップは社会構造の中に漂っているのでは?と個人的には思う。
何しろ私も親の経済事情から「短大で国公立限定」と言い渡され、素直に県立の短大を受験したけど、合格した後に父に「息子だったら私立の四大を許したかもな」と呟かれて気絶しそうになった過去がある。。それは、新潟が男尊女卑の風潮があるゆえかもしれないケド。
女子たちも多く四大に進学するようにはなっている日本・・けれど、その先、就職後や結婚後の生活の中で、相変わらずジェンダーギャップが続いているのでは、何のための進学率なのだろうかという気もする。
そしていつもこのような話になると言っているように、私自身がこれまで生きて来て肌で感じて来たことから、日本の女性たち自身が、それをどうにかしようと立ち上がること、盛り上げることを怠って来たゆえの現状だろうと。女性同士の付き合いの中で、それはずっと感じて来た。もっと「大志」を抱こうよ・・・と、周囲の友人たちや女性陣に伝えることすら、いつしか諦めて。自分は自分の道を。
昨今、SNSでは声を挙げている女性たちは増えて来ているけど、もっと根本的な部分、日本人の心の深層のような部分で、どうにもこうにも、動こうとしない、現状維持の思想のようなものが、男性にも、女性にも、あるのではないかといつも思っている。
日本を出た人たちは、日本の特殊さをよく分かっている。けれど最近の若者たちは、留学や、海外に行くという夢さえ、あまり抱かなくなっているとか。専業主婦を望む女子も増えているとか。そう言う意味でも、政府が幾ら政策を掲げても、ジェンダーギャップを埋める道のりは難航するのかもしれない。インドもそうだけど、日本独自の、民族学・民俗学的な考察を通した、日本なりの未来のジェンダーシフト、パラダイムシフトを考えていく必要があるのかもしれない。
ひとまず私個人としては、見えない「大和撫子」設定をアストラル体から外して、個々の人間として、魂として、自分自身を生きようとする人々を応援したい。
Love and Grace