A Diary
分かった気になってはいけない
前記事では、たまたまの仕事の流れで過去3〜4年を振り返っての雑感になった。今日はこの一年を振り返って・・その1(笑・つづきがありそう)。
今年も色々な気づきがあった中で、何度も繰り返すように体験し、心で呟いたこの言葉「分かった気になってはいけない」。さまざまな場面で。
ヒーリングを初めて19年、ヒーラーになって16年、その前に仏教信仰として自分なりのメタフィジカル体験を10年、つまり30年になるけれど、見えない世界に関して「もう分かった」なんていう気になってはいけないのだという事を、自分が体験し悟ったものなんてごくごくサワリでしか無いというこの世界の奥深さを、噛み締める場面が今年は多かった。
とは言え、今のように私が発言して読んだ方が想像する意味とは、実際は少し違うと予想される・・ので、説明をしたいと思ふ。主に主題はふたつ。
ひとつは、前にインスタに書いた事でもある、「何故わからないのか?」の答えを、ジェネシス的な背景を通じて理解していったと言う事。インナーチャイルド等現実的な原因が今世にはさほど思い当たらないごく平凡な環境に生まれた自分が、何故か最初から(初回は確か2歳くらいから)間違って凄い世界にきちゃったな、という感覚と、成長してからはこの人間界の仕組みに苦悩して、肉体(病む事など)や感情のメカニズムを理解する事が出来ず、
更にはアルバイトや就職をした時、「なぜ生活するのに働かなくちゃいけないんだ?このシステムはなんだ?」と苦悩し、とにかく人間らしい事が普通に受け入れられず、結果、19歳から仏教信仰・修行、神社仏閣巡り、執筆、人文系の分野の独学・・と何とか生きる為の世界への解釈を探して、一度ウツに落ちたけれどそこから救ってくれたヒーリングというものに、30歳前後から携わるに至り、
今世で何があったから、トラウマがあり癒しを求めた、という訳でもなく、少しくらいはインナーチャイルドもありつつ、それも親というよりも社会の仕組みに傷ついたような自覚をしていた。ただただ、この世界に疑問を持ち、絶対に染まってはならぬという信念のようなものがあった。自分のその「守らなければならないもの」を追求していくと、癒しの世界、魂で生きるという話に自然と行き着いた(ちなみに仏教信仰は29歳まで。信仰では人は「幸せ」にはなれないと悟り)。
前置きが長くなったけどつまり、こんな人がなぜわざわざ生まれ落ちたかというと、やるべき事があったから。「絶対に染まってはならぬ」=宇宙人意識、別次元意識を、守り続けて、三次元のこの時代のグラマー(幻想)とそれに付随する人生を取り巻く要素に、ただ染まって普通の人として楽しく生きました・・・では、ダメだと言う事を、恐らく無意識的には最初からよくよく理解していた。けれど年若い時はそれをどう現実化していいのか、分からずに苦悩した。
正直なところ、信仰をしていても、ヒーリングを始めても、自分が疑問を抱くことの答え、ニーズは、人から得ることは出来なかった。自分で見つけなくてはいけないし、自分で「こんなものが欲しかった」というワークなりテキストなり、ショップなり、更に言えばライフスタイルを、形として実現していくという道が、「魂として生きる」事を始めた時に自然と私の前に敷かれた。
長年、癒しの手法やその背景となるホリスティックな概念による地球や宇宙への視点と出会ったり、ヒーリングを始めたり、伝授を受けたりと言う事を経ても、それが定着せずに弛緩していく、人によっては反発して辞めてしまう、つまり「真実の世界に触れているのにそれが分からない」とか、「流れが来ているのにほら、なぜ降りてしまうの?」という問題を、ジェネシス論、アルガンザ流秘教研究によって、ようやく私の視点から理解した、という事。
恐らく(今世でも上記の10年間だけ実行したものの)過去生で多方面の哲学的探究や修行、神なる世界との関わりを経てきて、寧ろ普通の人間としての感覚が分からない状態で生まれて来て、けれど自分の仕事を通じて意味のあるものを残すには、人が・・多くの人が、「進化していく」「創造主に向かって回帰していく」方向へいかずに漂ってしまう、絡めとられてしまう、というメカニズムを、魂は知ってはいたものの、本当に人々の中に入って、特にヒーラーとして関わることで、ようやく実感を伴って理解した。「人々の気持ちが分かった」という次元では無く・・ヒト、輪廻転生、それらの仕組みというものを理解した、という。
その一方でもちろん、一個人としての自分の情緒などもある訳で、そのヒューマニズム、優しさや人間愛の運用と、スピリチュアルな状況への理解の間のズレが、ヒーラーの仕事をしていても次第に生まれていたのだろう。そして今思うのは何も自分だけではなく、この分野に携わる、あるいは別の分野でも、同じような人生の味わい方をしている人々、魂はけっこう居るということ。ただ、そのような人たちは皆自力で、周囲に分かりやすく道を示してくれる人など居なくて、自分の知恵と力でやって行けよと言われているタイプ。
自分自身の癒しの道をモデルタイプとして、「人間界より自然界寄り」の、スピリチュアルには比較的多い人の原型を「アンドロ」と呼び始めた事の発端は、恐らく「サンダルフォンニュートリション」のワークが出来てからの自然な流れだった。サロンを始めると同時のこと。当時は「シリウスっぽい人」「アンドロっぽい人」「う〜ん、ちょっと混戦している人々」というくらいしか整理できず(笑)、そのうちにアンドロからセラフ、大天使、精霊界、エンジェル、エルフ族、などの原型も出て来た。少し遅れてケルビム、なども。
まだまだ分類している段階。けれど「ジェネシス」をまとめていくに連れて、周囲でどうしても分類、線引きが起きるようになり「私はケルビム」「私はセラフ」と、なりがちになったり、時に、真にアンドロっぽい人だとその原型にむしろ自分を寄せて行きたいという雰囲気になったり、自分もそこに入りたい・・などの空気や、疎外感からリリス的になる傾向も見られるなど、ああ、ジェネシス概念により理解を進めようとしているはずなのに、
意識が三次元のままでは、ただただ、三次元に情報を下ろしてしまうだけなのだ。。と、感じてきたこの数年。
もちろんそれは起こりがち。どんな分野でも起きてしまうこと。
カレッジの趣旨もそもそも、その課題を乗り越えていけるように作ったもので、ヒーリングやスピリチュアルを、三次元に引き下ろして自分に都合よく利用するのではなく、自分自身が5次元意識に成長していく、そしてシステムごと変えていく・・べし、という。星巫女プロ専科コースは更にそうだった。
もうひとつの主題
アンドロ、というものを何と無く定義したその頃、自分自身がヒーリングと出会う前に抱えていた多くの問題とその背後に存在していたエネルギーブロックはすべてきれいに片付き、何のストレスも不安も迷いもなく日々を忙しくヒーラーとして過ごしていた。その後、同じようなタイプの方々が少しでも楽になって貰えるようにという時代が数年。自分の経験を生かして、誰もが同じように変わっていけると信じていた時代。
その状態で数年を経た時、「もう自分がアンドロ、のテーマに関わるために膝を折り、目線を合わせて、伴奏するのは終わり」とか言っていた時期があった。ブログなどにも多分書いていただろうと。けれどそんなに甘いものではなくて、まだまだやること、知るべきことがあった。
数えてみた・・・・5年くらいサロンで「アンドロ」を課題とした後、「もう卒業」と呟いてから、さらに今まで10年は経っている。もちろんあの時の「もう卒業」は、私自身のエゴが、自分はもう次のステップに進みたいという心情ゆえのこと、だったろうと思う。
そんな呟きやパーソナリティの願望・・を抱いてから、なんと10年。皮をむいてむいて剥き続けるうちに、「アンドロ」の最後に残るものはすべての中核「セラフ」であり、2017年の春、ジェネシスヒーリングの第一世代伝授のワークショップ、最終日の最終段階で起こった不思議な出来事から、実は自分が「セラフ」還りし、それまで奥に隠し持っていたような「セラフ」を引き出して、役作りに入ったよう。
2022年、年末。
ジェネシスのバイブル「the Genesis」改訂版を三年ぶり(23年前半くらいには?)に出す。今度はもしかすると?一般の方々にも解放するかもしれない(アルガンザワークのお客様限定にするか、まだ検討中)。そのための怒涛が今また来ている。左脳的分類では、対極にあったようなリリス(先日書いたイワナガなど)、シャンバラと相反するブラックマジック、「ここが分からないと片手落ち」と高次に言われていた「プレアデス(=リラ)」などが、すべて「セラフ」に帰結する。
当然ながら、セラフから作られている大天使、エル(エルフ)、そしてケルビムも。
・・・と、長くなったので一旦ここで区切り、別の記事に分けることに。
Love and Grace,
タイムカプセルを開く
執筆のための情報整理を少しずつ進めていて、2019年、2020、2021年に書いたもの、今年に入ってからのメモなどを振り返る。
2019年は、ジェネシスヒーリングの伝授を終えた第一世代、第二世代のプラクティショナーの方々と展開していたグループブログ、それぞれの講座に参加中で第三世代のジェネシス生となる方々とのセミナーやセッションでの連絡メールなどが行き交いながら、今もって重要なテーマとなっている幾つか・・ケルビム、アンタレス、リラとシリウス、そして天空文明でのセラフィム・・・などの話題が、同時に少しずつエネルギーの作用とともに開けている時期だった。
それまで、長いことアルガンザのサロンで重大なテーマ、かつ難題として示されていた「大天使」「エルフとソフィア」などについてはその頃、なんとか情報が整理されてまとまっていた。その後の、アンタレス、リラとシリウス(の拮抗)、ケルビム・・などは、ジェネシス伝授と同時に上がってきたお題だったので、プラクティショナーの方々とともに、高次によって出される難題に取り組む、取り組まされるという状況に変わっていた。
そして気づけば、当時ビックリしながら、衝撃の体験の山々を超えながら、ジェネシス層の原型ストーリーに気づいていく、受け取っていく、そして理解していくプロセスが、それらの原型についてもこの三年でかなり進み、あと一息というところに来ていることを、実感する。2019年の自分、本当に奮闘しているなという感じ。いや、2020年もか・・21年に発行した補足情報でも、相変わらずだな。つまり、常にそんな感じなのだ。笑
アルガンザは体育会系だ。表に出さない、内輪の文書の数々で、膨大な情報量を生徒さんたちに発信している。もうそんな時期はきっと無いだろうと思う。2019〜2020年は特に、そこに力を入れていたのだ。自分で振り返るために、記録を残しておいて良かったと思う。当時の自分の周波数や、ジェネシスを運用するにあたって求められる研ぎ澄まされ具合のようなものが、読むと伝わってくる。
そしてしみじみ感じるのは、自分の老化現象だけではなく、やっぱり・・特に、去年の秋以後、集合意識場には変化が起きて、恐らく人々の脳波だとか、意識のキレのようなものが、スローダウンしていることを。更に言えば、5年前、10年前、15年前・・・もっと周波数は高くキープされ盛り上がっていたように思う。少しずつどんどん、メタフィジカル界隈も波動を下げられている。というか、撹乱させられているうちに、うっすら、ゆっくり、全体が低迷したのだろうという感じがする。
アトランティスでの人類の「堕落」は、システムごと性能が次々失われて、今のような人類になったと思う。ドランヴァロさんいわく3000年かけてスローダウンしていったそうだから、それとよく似た現象なのかもしれない。けれど、今はアトランティスとは違い、人類の進化は上昇気流に乗っていく時代に入っている。だから、大きなサイクルの中にある小さな波の中で、抵抗摩擦も起きて、必要な擬似体験?、言い方を変えれば、大きく飛躍するまえ、助走のために少し後ろに下がっているような段階なのだろうとは思う。
ちょうど見終わった韓国時代劇は「相棒(チャクペ)」
汚職や腐敗が広がり過ぎると・・さすがに「民」がおかしいぞと声を上げる。チャクペの主人公たちのように、それぞれの立場や気づきのタイミングがありつつ、本当に時代の変わり目、大逆転が起きる時の激流に飲み込まれていく。
世の中、時代が変わる時って本当に、ひっくり返る。なかなか変わらない苦しみを長期的に味わっている、信念で生きている人々も居ることと思うけど、激変する大波が来る時は、本当に来る。自分の日頃の立場や、こだわりなど、些細なことはもう大波に流されてしまって、起きた大事への対処に誰もが向き合わされる。
そんな大変換の作用って、歴史の中で長い目で見れば100年に一度、いや、7〜80年に一度は、実際に来ている。
何かが(よからぬ方へ)傾いてそれが飽和状態になると・・人類の集合意識がもっている愛のブレーキのようなものが、大事変を起こしてそれをひっくり返す。そんな作用が、歴史には仕掛けられていると感じる。(神智学で言えばマヌの仕事だろう)
状況と、人々の意識と、起きる現象、エネルギーの感触からして、「これはかなり来ているな」と思っている。ほぼ、飽和状態。夜明け前の静止点、だろうか。
言いなりにならず、無闇に受け入れず、楽をしようと考えず、自分の欲で選択せず、エゴに優しい言葉にほだされず、
人間の中に眠っている、宇宙の普遍の「絶対善(愛)」にチャンネルを合わせ、自分を構築していきましょう。
Love and Grace
自然界のトリコロール
12月「白い聖堂」を終えて、整理しておきたいことが色々あってこのところ、連続して書いている流れから、もうひとつだけ、参加者へのシェアレポートを送る前のステップとして、書いておく。(なので彦姫シリーズ4、という感じだ。が、次のステージに遷移していくここが梯子となるだろう)
子供の頃、中学生か高校生だったかも・・ たまたま見た少女漫画で、修道院のシスターたちの耳にアシナガバチが入って思考操作するという怖い物語があった。それによって何らかの事件が起こって、主人公が関わってしまうけど、最後には修道女たちの耳からハチが抜けていって一件落着という。ホラー専門の漫画が好きな友人が居たから多分、その子から借りたか、自分的には記憶に残らないくらいの「たまたま読んだ」ものだった。けれど、この数年は何度かそれを思い出している。
というのは、リリス的なエネルギーが近づいてくると、(リュミエールブランシュのインスタに?前にちらっと書きましたが)左耳から入ろうとするのだ・・・耳穴がソワっとしたり、痛みを感じたりする。人によってはビリっと電気的な刺激を感じるかも。その段階でレイキシンボルや、アルガンザワークのリリス系に効くエネルギーなどをかけると防げるのだけど、普通の人は恐らくこの「ソワ」さえも感じることなく、気づいたら入ってしまったものによって、思考や気分、健康状態、エネルギー周波数などを変えられてしまうことが、ごくごく日常的に起きている。と思う。
エネルギーワークをやって来て、10年くらいしたころから、今、この見解に通じるような体験、体感を自覚する出来事があり・・2018年ころ、ジェネシスを伝授したプラクティショナーたちのグループ内で、様々な学びの機会があり、私一人ではなく、センサリーや原型タイプが様々な人々が、同じ立場で集まりシェアすることで得られた「知恵」が、急速に、ジェネシス情報の中の「影」の部分を整理していく足がかりとなった。人間は天使存在でレムリアでは自然界で、そしてエルフで・・という「光」の部分だけでは、当然、片手落ちであるからだと今は理解する。
天使や自然界、そしてエルフが、美しい世界で幸せに暮らしていただけならば、今、私たちはこの世界で生きてはいない。人類のソウルはかつて皆、そのような段階から、世界が周波数を下げて自らも滑り落ちて来た、いわば「堕天使」なのだ。そしてまた、上昇して行かなくてはならない。人間から、天使に戻らなくてはならない、宇宙の法則でそれは決まっている。だから人間のままで、人間的な煩悩や意識のままでという訳にはいかない、ということ。
それを、自らの利権で(というシナリオでその役を演じてくれているだけかも?しれないが)地球人類を、そのままにしておきたいという力が働いている。黄色いテビママと、赤い重臣たち、そして、それらが扱う黒いネットワーク(日和見の普通の人々がここに動員される)。困り果てながらも自ら王としてずっとその座を守らなくてはならず、国の民(人類や自然界・地球)を守り、民の暮らしをよりよくしなくてはいけない。。それをやろうとしても、邪魔ばかりされて進まない(地球の進化プロジェクトの中心部)。
なぜならテビママや重臣たちは、自分たちの利権しか考えていないから。詳しくは『イ・サン』をご覧ください。。。(とても分かりやすい教材です・笑 ちなみに堕ちていくイサンの右腕ホンさんは、原型でいうと「青」特にケルビムを思わせます)
そうそう、その「逆側のネットワーク」が働く方法のひとつに、「左耳からの侵入」がある。そのような方面への学びが続いていた時期に、とあるセッションで左耳に白いヘビが居て、今にも中に入ろうとしていた様子を目撃。また、左肩や左足に、やはり白い蛇がくっついたり、巻きついているケースも。耳の小蛇は、中に入ると頭の操作をするらしく、脳の・・何というか性能が落ちる感じだ。ポジではなく、すべてネガに傾く。なんか面倒臭い、なんかイヤだ、なんか落ち着かない、なんか不安だ、など。
劇的なものではないから、みな自分の気分の変化だと思ってしまう。けれどそれが「はじまり」になり、色々なことへと続いていく。
ジュディ・ホール「クリスタルプロテクション」には、「左から侵入できずに、怒って右に来て攻撃する」タイプのサイキックアタックのことが書かれていて、ジェネシスのグループで発見していた仕組み、「左から侵入されると右の肉体内部や背中に痛みを伴い、またメンタル的には激しく赤い力へと持っていかれる」・・に類似している。入られた結果なのか、入れなくて、なのかは分からないけど、アルガンザではこの状態を、前回記事の「イワナガ」原型とつながった状態、と考えて来た。イライラしたり、怒りの対象を周囲に探したりするというメンタル症状が出るようだ。
なので、ジュディさん説と共通しているのは「怒り」のエネルギーで、確かに黄色系が左に来ている時のなんとなく重たい、なんとなく悲しい、なんとなく冷たい体感がある、などとは性質が変わって、右に来ると赤くなり、激しさに変わる。タマスで侵入し、ラジャスを激化させる、という感じか。もしかすると男性の場合はこれが逆かな?・・(こればっかりは体感できないから、男性クライアントさんや、ご主人などで良かったら観察?してみてください)
〜この手の話が、「クリスタルプロテクション」にはたくさん掲載されているので、(やはりイギリスは進んでいるな)気になる方はお読みください。〜
そう、それで。幾つか私のほうで問題提起をすると、サロンのお客様で「自分には白い龍がついている」とか「蛇の神様がいつも守ってくれている」と言っているような方々が過去に少なからず居て、なんと、私自身もあまりそれを当時、問題とは思っていなかった。(三輪山の麓に住んでいて蛇神はむしろ好きだったせいか、、)けれど、やはりセッションが進んでくると、その方々の様子にも変化が起きて来て、「付いているもの」を外さないと、これ以上進めない、という状況になってくる。付いているものが、邪魔をし初めて、さすがに私もそれを察知するからだ。
必要な場合は口頭でお話ししたこともあったし、「リリスリリース」が誕生すると、それらの方々は自主的に(魂が深いところで分かるようで)受けてくれることが多かった。
が、本気でコミットメントしないと、土地や家系や前世からの繋がりでまた、そのようなモノをくっつけてしまう。そのため、ある程度まで進んだスピリチュアルな歩みが、それ以上進めなくなる。
プログレッシヴ「さくらしおん四女神のみそぎ」は、この手の問題にフォーカスしている。気になる人はぜひ。ポイントは、受けて終わりではなく、そこから、伝授されたエネルギーと、プラクティショナーにもらった詳細なリーディングを元に、セルフヒーリングの積み重ねの道のりが始まる。
アシナガバチは、アルガンザでは「リリス」の象徴と捉えている。ずっと昔にブログに「蜂はプレアデス」と書いたけど、その頃は何も分かっていなかった。ミツバチはシリウスでシャンバラでエルフ界の象徴、スズメバチはリラの母たちの象徴であると今は考える。
子供の頃に読んだマンガ、それを思うと、作者さんは高次とやはり交信しているなと思い出している。よりによって修道女たちに、一体なにが起こった!!という物語だったけど、実はそういうことであったという結末だ。耳からハチが抜ける時、シスターたちは痛みを感じていた。
なので、左耳の違和感に注目してほしい。白いから神様だと思うのではなく、その作用で自分や周囲の状態がどうなるかを観察してほしい。
無意識だとしてもこのようなモノを使い、人や状況を動かして「自分はいつも願いが叶う」と考えるのではなく、そうしていると必ずどこかで(家族や周囲の誰かがその「影」の部分を引き受けたりして)ひずみが現実化してくる筈なので、注意深くあって欲しい。世間全体では受容性の強いアンドロ的な若い世代が、親や社会からのこのような力のひずみで、鬱になったり引き篭ったりしてしまうのではないかと。ご家族に統合失調の人が居たり、精神を病む家系の人などは特に。自分は大丈夫と思っていても、身近な誰かが引き受けてしまっていないか、考えてみてほしい。
耳から入ってくる小蛇とは別に、より大きな白い蛇が、左肩や左足に寄り添ったりくっついたり、のケースは、ジュディさんのいう脾臓のチャクラ(左脇腹)からエネルギーを吸い取ったり、やはり全体の周波数を下げたり、経済状態や健康状態を低迷させたりするようだ。そして、こういったものを無意識に操っているタイプの人も居るよう。
白い小蛇たちが、一斉に生まれる場所を、前に見たことがあって・・・小さな、しらすのようなものがワワ〜っと、水の中から生まれていく。「こんな数が次々と生まれるなら、次々と人間界に来るな」とその時思ってしまった。実際に、次々と来て、気づかぬうちに人々の耳から入っているのだろうと。。。
けれど、これを対峙撲滅しようという話ではなく、ジェネシス神話の中で、なぜ、白(で象徴されるつまりシリウス)の自然界の存在たちが堕ちてしまったのか、を、遡っていくと、白山姫に行き着く。さらには、アルビレオ恒星の原型ストーリーと、宇宙次元では相似形になっている。
そこで、「シリウスの赤」の探究が、今回の「白い聖堂」から急に始まった。もっとも、示唆は数年前から来ていた。けれどようやく何か、時期が来たのかもしれない。この続きを、「白い聖堂」第8回の報告として、次に「インフォ」で記事にしよう。
昨日は物理的な必要があってオフィスのベランダで作業していた。ベランダは、ジェネシスの箱庭であるアルガンザにおいてはやはり「天空文明」を象徴するし、そこで起きることが、ジェネシス情報をミクロにして象徴していたりする。完全には片付かなかった。もう一段階、整理が必要だという状態で昨日は終わった。もうすぐかな。
Love and Grace,
Amari
彦姫シリーズ・その3 歴史からの雑感
昨日「書いたけど消えてしまった」と言っていた、日韓の彦姫(国民性の中の少年少女性、いつの間にか韓国も含まれている?)について、高次の検閲が入ったと思われる方面には触れずに、巻き込まれて?消えてしまった雑学的なつらつら、雑感部分をメモしておくことに。
一昨日の記事「スベクヒャン」の時代背景にまずは話を持っていくと、
当時、日本は飛鳥時代。蘇我氏が急に政治の中枢に出てから何代か続いて、蘇我と物部の衝突、内乱が起きるころ。聖明王から仏像その他一式?をプレゼントされて仏教伝来と、日本史では習う(今は分からない、私の時代は)。けれど、日本の政府が、というよりも蘇我氏が百済王家と繋がっていて、蘇我氏限定で「仏教伝来」が起こったという説もあるよう。蘇我が急に政権に絡むようになり、皇妃を出す外戚になり始めたことに関しては、諸説あって、蘇我氏のルーツがどこかという問題になってくる。
シルクロード由来の騎馬民族説、出雲王権の末裔説、百済の王族の一部が日本に来た、など。
そんなことを、個人的興味で20歳の頃からずっと考えているんだけど(笑)、前にもブログやら幾つかの場所で書いたように、栗本慎一郎さんの「シリウスの都・飛鳥」との出会いと、プラス自分オリジナルで想像、直感的に感じている蘇我氏の系譜というものがあり、それをいつか小説にしようと思っている。なんと!それは「ハピの巫女姫」や「ガイアナ神謡集」とも繋がってくるのだ・・・
「指輪物語」原作者、言語学者のトールキン博士は、自国のイギリスの実際の歴史と、ヨーロッパ各国の神話伝承の研究から、オリジナルの架空の歴史を、作ろうと意図していたそうだ。以前何度かブログ等に書いたアメリカのドラマシリーズ「ゲームオブスローンズ」の作者も同じようなスタンスで、歴史好きな作家とはそうやって、ある意味でパラレルなもう一つの歴史世界を、長い時間軸や地理的な広がりでもって、自作しようと自然と望む、自然とそこへ向かうのかもしれない。
世界観がかなり精密に決められているという、ハリポタ・シリーズの J.K. ローリングも同じくだ。
ヒーラーとしての、スピリチュアル史、人類の歴史だけでなく、ソウルが経てきた歴史を体系化しようというのだから、我ながらチャレンジャーだなと思う。日本古代史と、超古代の架空文明、ハピやガイアナとを繋げるだけでも時間軸や次元の層が忙しいというのに、地球創生からのジェネシス神話が下地としてある上での、古代史や超古代史、そしてアトランティス小説まで書こうと思っているのだから、一体どうなることやら。
ああ、話がだいぶ脇に逸れてしまった。
それで、恐らくは、ジェネシスの原型に共通性があり、日韓ともにアンドロ的な性質は、他の民族よりも配分として強いと感じている。韓国ドラマは、時代劇だとだいたい、幼い頃に親や師匠が無実の罪で死んでしまったり、それにより初恋の幸せな思い出が切り裂かれて、という所からスタートするし、現代ドラマの場合、サムネイルや予告が軽いラブコメ風でも、見ているとほぼ間違いなくインナーチャイルド、それもかなり激し目の傷が出てくる。
いつも言っているように、インナーチャイルドは「傷ついた天使性」「自然界やレムリアなどの傷」を反映する。
そういう意味では、日本人にはいくらか黄色い、リラの要素がかかっている分だけ現実的というか三次元的な「ずぶとさ」がコーティングされていると思う。
一方で、韓国のほうは実際の歴史的な苦労が日本とは比べものにならず、多くの痛みを民族として味わって来ている。同じようにアンドロベースでも、こちらは致し方なく(攻撃を受けてしまうから立ち上がる他なく、怒るほかなく、自己防衛のために)赤をまとった、という違いが、日韓の間には、歴史およびジェネシスからの視点で、見られると考えている。
けれど、どちらも社会の同調圧力、それゆえに身についてしまう同調習慣(空気を読む、という慣習)、自己犠牲的であるという共通点があり、やはりそれはジェネシスに照らすと「アンドロ」が強いという言い方が出来るだろう。
韓国の政治や経済などは不勉強で、ドラマを見ているばかりのお茶の間視点しかないが、日本の社会について少し真面目に考えてみると、
福祉大国で、定年後の医療費などの心配もなく、子育てにおいても教育費を高校まで、あるいは大学まで国が出している・・というようなヨーロッパ諸国と、日本人は同じくらいの税金を払っていることになるらしい。(テレビ番組で野党の政治家が言っていた・・)けれど、よく言われているように日本は年金などの状況は心許なく、今後さらに大変になるらしい。文化系やスポーツなどの補助も少ない。スウェーデンだったか、出産までの費用は国が出してくれるとか。それらを日本人は自己負担で何とかやっている。
気づいてみると、とても自己犠牲的な状況なのだ。
ヒーリングの概念においても、自己犠牲的な要素と、搾取という力が引き寄せ合う。
赤や黄色をまとうことで、純粋すぎて壊れてしまいそうな「天使性」=インナーチャイルドを守ることは、三次元的に一時的には出来るかもしれない。凌ぐ、という感じだ。けれど、赤は赤を呼ぶし(戦い)、黄色は黄色に支配される(停滞・腐敗)。凌いでいても、いつかそれが極限を迎える時が来るものだ。
シリウスの風、白の軸で自分を成長進化させ、搾取や腐敗、終わりなき争いの連鎖から抜け出すしかない。
韓国時代劇を見ているとまさに、主人公たちはその白の力で難局を切り抜けるし、うまく行けば周囲をも変えることに成功する。・・ドラマはあくまでもドラマ(=理想)に過ぎないけれど、少なくとも何が自分たちの問題で、何によって切り抜けていけるのかを、クリエイター、作家の方々は知っている。見ているお茶の間も潜在意識では分かっている(だからドラマや映画を評価する)。日本のドラマや映画は最近見ていないから分からないけど、世界共通、人間は深いところでは「どうすべきか」を知っていると思う。
悪しき慣習、惰性、怠惰、利欲の優先=利己 に落ちてしまうことなく、主人公たちのように振舞う、選択する、それが人のあるべき道であるという普遍的な愛の仕組みを、誰もが本当は知っている。
話が逸れつつも、今日はこのくらいで。
Love and Grace,
Amari
守百香と彦姫たち
10/29の記事「ヤマトの彦姫」の続き。随分、ブランクが空いたけど、・・・と今朝書いていた長文がまたまた(また!)保存した筈なのに消えてしまった。どうもやはり、まだ「the Genesis」に公式に載せていないジェネシス情報について書こうとすると、(五次元からの)検閲が入るようだ。
ヤマトの彦姫という記事を書いた 10/29 からもう一月半。
その間、アルガンザのテーマはエルフ界一色という感じだったけど、同時にセラフィムの新しい原型パターンも出て来ていて、そのことを少し前に記事にしようとしたらやはり消えて、こちらは、新改訂のバイブルに直接載せることになるのかも。けれど、「ヤマトの〜(10/29)」でも言っているように、気は進まないものの必要を感じて・・という同じ思いで、やはり今日は予告していたスベクヒャンのことを書こう。
当初の予定はアルビレオ恒星系のジェネシス原型ストーリーと、ドラマ『スベクヒャン』の共通性を書く中で、その中に含まれる象徴的な女性性の分断について少し触れる、というつもりだった。が、今朝書いていた内容が消えたことにより、方向性、角度を変えて再チャレンジ。アルビレオ(白鳥座)恒星系の家族パターンは置いておいて、女性性の分断にマトを絞ることにする。
エルフ界一色・・から、ここ2週間くらいかな、先日の満月に向けてだったのか、堕ちた女性性つまり「リリス」とアルガンザで呼ぶものの気配が非常に強くなっていて、その中でも特に「イワナガ姫」という神話原型(ジェネシス的に考えればリリスの一つのパターン、日本版)が自己主張を強めているようで、その手のエネルギーにひどく攻撃された過去の経験で痛めた幾つかの場所=「古傷」が反応するので分かりやすい。
・・・・
だいぶ前に、Face Book に書いている韓国時代ドラマの『スベクヒャン(守百香)』。冒頭に出してきた終盤のハードな盛り上がりが強烈すぎる点や、幾つかの要素がすこし残念で、脚本はとても良いと思うけど、本国でも予定より早く打ち切りになってしまったらしい。それ自体へのコメントは、もしご興味あればFace Book の投稿を遡って頂ければと思う。
当時の日本の蘇我氏系の皇統と、ドラマの舞台である朝鮮三国時代の百済(ベクチェ/日本では「くだら」)の繋がりについての学説や、主要キャストの役者さんたちへの他の出演作を含めての評価なども、今朝はつらつらと書いていたのに消えてしまったので今は割愛。要点だけを・・・原型としての「イワナガ姫」とその背景。
ネタバレを全く気にせずに書いています。ご了解ください。
このドラマの中心は姉妹。同じ母から生まれているが、長女ソルランは母「チェファ」が情を交わしていた今上の百済王(歴史上は武寧王)との間にできた娘。しかし、当時は武寧王の従兄弟?にあたる東城王が国を収めていたところ、クーデターが起きる。首謀者は、なんとチェファの父親。その城は攻められ父の命乞いを将軍である武寧王にすがるも冷たく突き放されたチェファは、お腹に子が居ることも告げられないまま別れた。武寧王は、先王への忠義が厚いためのその行いであって、その後生涯を通じて密かにチェファを愛し続けていたよう。
城が落ちていく中でチェファをかついで逃げたのは家の下男である、巨体で怪力、口がきけないが心優しいクチョン。その後、クチョンはありえない逆転劇により、ずっと憧れていた「お嬢様」チェファの夫の座を得る。彼女が悲劇に遭い「堕ちた」ために起きた、格差婚だ。
長女ソルランが生まれ、少し経てから、クチョンを父に次女ソルヒが生まれる。
二人の出生の違い、背景はそのように、同じ母を持つが大きなギャップの中にある。先王を狙ったクーデターを収めたのちに即位した百済王を父にもつソルラン。そして、その事変のために貴族の姫から「落ちぶれて」しまったチェファが、山の中で密かに隠れて暮らし、かつての下男との間にもうけたソルヒ。
しかしながら皮肉なことに、ソルランは男まさりのサバサバした性格でまっすぐ、正義感が強い(=シリウス的)。平凡な山村での暮らしを愛している。「父親」のクチョンのことも。妹のソルヒは、(設定では)誰もが見ていると幸せになるような美少女(=天使性)で、純真で綺麗なもの、美しく華やかなものが好き(=アンドロっぽい)。。。が、お姫様願望が強く、自分はこんな山村にいるべきではないと、普段の暮らしもどこか夢うつつで、自尊心が強い。
色々あって、昔のクーデターの火種から・・ひっそりと幸せに暮らしていたこの一家を含めて村ごと、ある夜、刺客が襲う。母チェファが犠牲となる(=ここがアルビレオ原型)。父クチョンが命を張って娘たちを逃す。そこからが、二人の姉妹の道が分離し始める。死に際の母の口から、お前の父親は百済王だと聞いたソルヒ(母はソルランだと思って語っていた)は、気づいて「姉さんにちゃんと伝えて」と必死で懇願する母が息を引き取るのを見届けても、もう頭の中は「父親は百済王」でいっぱい。死に際の母の懇願は耳に届かない様子。母のための薬草を取りに行っていた姉ソルランが戻っても、伝言することはなかった。
その後、ソルヒは姿を消し、都へ。自ら娘だと名乗り出て王女として王に迎えられる。妹想いのソルランは山賊に連れ去られたに違いないと必死で探し続けるが・・手繰り寄せられるように、彼女もまた宮中に出入りする役職(百済の諜報団)につく。水を得た魚のように「王女」を満喫するソルヒ。けれど次第にその座を失わないよう、嘘をついていることを知られないための画策で、心が荒んでいく。ソルランは強く逞しく?国に貢献しようと日々成長していく。
まあまあ色々あって(全108話)、それぞれを想う男性陣もまた、数奇な定めの二人の王子。政治的な陰謀も渦巻いて・・最も激しいピーク、この二人の姉妹の衝突シーンがドラマの第一話冒頭に配置されている。けれど、基本的に作中ずっと二人は仲が良いし、ソルヒも姉を憎んでいる訳ではない。(ただ妬んではいる)
権力欲でもなく、ただ「お姫様でいたい」という少女性と、現実世界の判断を鈍らせる自己愛性人格障害のような性質が、ソルヒをそこまで堕としていく。その過程で、ソルランと争うシーンの辺りでは既に、統合失調の症状が出ている。韓国ドラマは権力に憑かれた女性もたくさん出てくるが、この、ソルヒの人物設定が、賢いというかよくできていると思った。少女っぽさ、「綺麗なものが好き」というよく言えば純粋だけど人としてはあまりに未熟で、そんな自分のお姫様願望を貫くのに命をかけるという普段は余りないキャラクター。
だから・・下位チャクラが丈夫そうな、史劇でよく見る権力に固執する強い女性像とは違い、壊れてしまった。嘘がばれそうだ、偽物であることがばれそうだという恐れが高まるにつれて、「いいえ、私は王女よ」と信じ込んでしまう別人格が生まれてしまったよう。
私は、日本の神話にモチーフとして含まれている「イワナガ姫」のさらに原型、ジェネシス層のリリスが作用し堕ちてしまう女性性とは、このソルヒのようなものであろうと最近は思っている。最初から怖い(感情的に強い)女性ならば壊れることは無い。少女性、天使性のようなものがベースになっていて、そこに強い「願望」が作用しそれがポキっと折れた時に(前に書いたようにアリストテレスいわく嫉妬とは悲しみである、という)魔性のような原型エネルギーが作用してしまうのだろう。
このドラマの良かったところは、上に挙げたソルヒのそんなキャラクター設定(だからこそ冒頭にあのシーン・・は残念だった。見る人が誤解をしやすいだろう)。その他にも二つある。一つは、姉であるソルランが全てを失った、精神も病んでしまったソルヒを当然のように許し、寄り添って暮らしている最終章。ソルヒは記憶喪失になり、自分が犯した罪さえも忘れている。ただただ純粋な「少女」になって、姉を慕って生きている。
そこに、ソルヒに想いを寄せていた悲劇の王子チンムが、訪ねてくる。この若者も不思議な人物で、なぜかソルヒをその危うさも含めて宮中では見守っていて、悪どい一面も見抜きながらも、堕ちるなら一緒に、という勢いで彼女の側にいようとした。ソルランとともに暮らす、抜け殻のような、認知症のような状態になっている彼女を最終章では訪ねて来る。ソルランとチンム、二人がソルヒに向ける大きな愛が最後に描かれている所に、このドラマの救いとテーマがあるように思う。
実はソルランとチンムは同じ父を持つ兄と妹になるわけだ(異母兄妹)が、チンムは事情あって従兄弟のミョンノン王子と入れ替えられている。この事実が後半明らかになっても二人の王子同士が醜く争い合うような展開もなく、二人とも心優しい青年でやはり愛がある姿を示しているのも良かった。ちなみにソルランを慕うミョンノン(歴史上の聖明王)も、都から彼女を訪ねてくるというシーンが最後に。どうなるんだろう?ご想像にお任せします、という最終回だった。
チンム王子はセンシティブなアンドロっぽさ、そこにリラのマイペースな感じがうまく統合されているような・・俳優さんの本質かな。強がって時に父の愛欲しさに怒り憎しみを発現することもあったけど、ソルヒのように堕ちきって壊れることはなかった。この俳優さん、とても残念なことに今はもう亡くなられている。
他の作品でも(ソルヒなど比べ物にならない)魔性に取り憑かれたヒロインが、宮廷で戦い続ける・・その初恋の男として、彼女を最後まで憎むことが出来ない、優しい男を演じている。けれど亡くなられたと聞いて、そんな役が続いて俳優さん自身があたってしまったのではないかと、勝手に心配してしまった日本のお茶の間であった・・
天使性のまま、地上的強さ(下位チャクラのフォース)が足りないまま、失意や傷心を強く抱くような場面に、原型エネルギーが降りてきて被ってしまう。そのような先祖が居ればまた、気質や体質としてそれが遺伝していく。他の原型もそうだけど、原型フィールドのような集合場があって、特定の感情や周波数状態になると、繋がって被ってしまうのだと考えている。
天使性や純粋性が壊れた時に作用を受け入れてしまう、と言っても、原型エネルギーそのものは、もっとダークなマジカルな力をもった集合フィールドである。もう一つの例をあげると、「天城越え」を石川さゆりさんが紅白で歌うと(最近テレビが無くて見てないけど・・)間奏部分でさゆりさんが悲しく縋るような顔をするでしょ。。。(ん?分からないかな?笑)そしてバックの照明が真っ赤になったりする・・あれ、なんだと思う。リリス、イワナガ姫が舞い降りる瞬間とは。
天使性・純粋性、つまり、インナーチャイルドが、怒りを伴う形で発動する時、赤い女性性の怒り、破壊的な集合場の力と繋がってしまうケースが多々あると思う。それを表に出さずとも、内側に隠し持っていては、破壊的な事象を引き起こしてしまったり、他者のエネルギー体を無意識にも攻撃してしまったりする、つまり「チャネル」になってしまうだろう。
表面穏やかな日本の人々は、彦・姫でありつづける傾向が強いと 10/29記事で書いたけれど、その分だけ、表に出さない「怒りを伴う悲しみ」がお腹の奥に眠っている人が多いのかもしれない。イワナガ姫でワーク等をされる方々もいるという話を偶然聞いたけど、恐らくはそのような「奥に眠る」赤い荒ぶる力(その本質は悲しみ)を、癒しているという事だと理解している。
(アルガンザでは イワナガ姫、イコール「リリス」(堕ちた女性性)と表現していますが、それぞれの役目で表現しているだけで、向かう先は一緒、だと思っています。気に障ってしまったら申し訳ないですが、こちらの趣旨、ご理解いただけたらと思います)
とてもシンプルに、大切なことは日々、穏やかな心境で愛の周波数とともに生きること。
フツフツとしたものや、癒されない悲しみがお腹に自覚できる人はまず、それと向き合い、自己浄化と癒しに励みましょう。
ちなみに『スベクヒャン』は現在テレビで放送中だそうですよ 興味ある人は調べてみて下さいネ
Love and Grace,