A Diary
最大の壁は「じぶん」
譲れない願いを抱けば誰もが 栄光の影潜む 悪魔に出会う
というのは、海外の小説の・・・ではなく、ももクロちゃんの歌の一節。(以前も何度か動画や呟きをSNSに載せていた『境界のペンデュラム』)この曲の歌詞はなかなか体育会系で(ももクロはそういうのが多い、特に数年前の曲は)神智学と頭の中で響きあったりする(笑)。アリス・ベイリーを読んでいる周波数と、ももクロ。なぜか共鳴する。知識人層や文化人や、業界人や、普段全くアイドルとは縁遠い人たちにもファンが多いという。歌詞だけでなくご本人たちも普通のムスメさんたちではない(魂が)。
悪魔に出会う、とか、闇に堕ちる、とか、言えば大袈裟に聞こえてしまうけど、メタフィジカルを長年やってきて、当初から、そして今でも、ヒーリングを受け始めたばかりの人も、かなり勉強し続けて(中には10年以上とか)来ている人でも、メカニズムは一緒。後にも先にも、「エゴセルフかソウル(魂)か」常に選択はそれだけ。ソウルかエゴか。そこで「境界の」ペンデュラム、振り子がゆらゆらする。そしてまた、エゴセルフをいつだって選ぶことは許されている= 自由意志。
仮に、その自由意志を悪魔や、闇に堕ちること、と想定して考えてみよう。
それはあながち嘘ではなくて、ソウルや、高次から見たらそういうことなのだ。譲れない願い、つまり感情、想い、思い、思考、反応。・・人間、パーソナリティ(人格)部分で選択をすることは、「普通」ではなくて、グレーゾーンなのだ。高次はそれを「ダメ」とは言わない。けれど、宇宙の神レベルの愛、五次元からすれば、常にそこへと回帰する道のりを推奨していて、指し示して、導きを与えている。
苦しい、生きづらい、などの分かりやすい問題や課題を抱えてヒーリングを受けて、五次元的にエネルギーが作用するコツも体感し、それを楽しく感じて、歩み続けていても、折々で「どうしてもこの壁を越えるには、自分が持っている『ある部分』を変えるしかない」という状況にぶつかることがある。脇で客観視しているヒーラーにとってそれは見えるものだけど、自分自身だと中々、素直にそう思えなかったりする。それは当然で、『ある部分』を含めて自分のパーソナリティ。考えるのも理解するのも同じ自分。脳には決まった思考の回路が固定されている。
それゆえに、高次は・・私たちの魂やそのネットワーク、更に背後に働くワンネスの愛の集合場は、私たちが苦しいと感じるような体験を見せてくる。その状況を何とかしようと立ち上がるには、まだ、私たちには苦しい、大変だ、などの感情のモチベーションが必要な世界に生きている。
歩いているその道を、逸れたり、戻ったりすることがもし出来ないとしたら・・・例えば、もう退路が無い。進むしかない。けれど進める状況ではない、と感じて、恐れや諦めが出て来たとしたら。
それでも他に道が無いから、きっとどうにかする方法を考えるものだろう。恐怖で多少、問題が膨らんで見えていたけれど、とか、気づきもあるかもしれない。実際に感情のフィルターは物事を、ありのまま見せることは無く、その感情や、長年の思考の壁が厚ければ厚いほど、違うように見せてしまう。
今まで楽しく進んできた道に、障害が出て来た。それを越えるには、自分の中を見つめて方法を探せという。そんな時は、エゴセルフは最高潮に現実を脚色することに全力を注いでくる。私たちのエゴとは、それくらい自己保存本能が強い。
面白くない時、辛い時、苦しい時ほど、今まで崩せなかった自分の中にある強力な「壁」を認めて、自ら、パーソナリティの改善、改変を意図しなくてはいけない。けれど多くは、その壁を前に、超えなくてもいい方法を考える。無意識にも。自由意志という活路が与えられているから、別の道へと降りていく。または、感傷や虚しさなどの中に逃げていく。
最近、この本を読んでいて、というのも、やはり少し前に書いた記事のタイトル通り「何かが起きて」いて、脳波、耳からの操作に注意、と日々感じるので、ブレインチューナーや石たちを頼りにするとともに、やはりチューニングする先をシリウス、シャンバラにするには A ベイリーだということで。「イニシエーション」を再読して、続いてこちらに入った。
この本で「非人格性」という言葉が繰り返し出てくる。それが大事であると。
日本語にすると誤解されてしまいそう、嫌悪感を持たれそうな言葉だ。要するにエゴセルフでは無く、感情のグラマーや思考のトリックを超えて高次の「弟子」として機能することで、グループとして成立するし、良い仕事が出来るという、新時代(=ニューエイジ)のための 弟子(=真面目な、本物の、ライトワーカー)への、メッセージ。
A.ベイリーを読むといつも思うのは、自分が常に思考していること、その方向性や、実際に選択してやって来ていることの、手がかり、確認作業となる。もちろん失敗することも多々あるけど、それも含めて書いてあったりする・・(笑)
自由意志が与えられているからといって、本当に自由が無限にある、と思ってしまうのは人間界の良くない性質、性癖である。選択したことは来世を待たずして自分に返ってくるし、常に、こうしている今も、どの瞬間であっても、私たちは自分の周波数、心の持ちよう、発するエネルギー、思考や感情に埋もれるか客観視するか、を選択する自由がある。
そして本当に10年、いや20年前から、結局私もいつも同じことをブログやテキストにこうして書き続けているなあ・・と。同じことを、繰り返し繰り返し。そしてこれからもきっと。
Love and Grace
変わる世界を追いかけて
FaceBookのオフィスダイヤリーを一昨日更新。そこで、今や動画の時代・・(に付いていけてないので練習のために/笑)と、ワークルームの動画を上げてみて・・やっぱり慣れてないのでアタフタして、(FBって本当に難しい、というか使いにくい、、)キャプションの編集がうまくいかず、一旦削除して、キャプション無しの同じものをもう一度上げて、文章だけ編集で付け加えようとしたらうまくいかず、「では、これも削除してもう一度トライ」と思ったけれど、今度は削除が「出来ません」と言われて。仕方なくそのまま。
何が言いたかったかというと、オフィスで瞑想をしていたある日の午後、半ばトランスから醒めてぼんやりしながら目を開けた時に、ちょうど差してきた日の光と、たまたま流していたバッハ、そして目の前の石たちがわわっと意識に入って来て、その世界に圧倒されて・・自分で感動してしまった。そこで急に思いついて、こんな感じで瞑想や仕事を日々、していますよ・・という、体験版のような動画を撮ってみたというお話。ちゃんとキャプションを付けられず、削除して再UPすることも出来ず。なのでここで説明をしてみました・・
時代に着いていけない、と言えば、実は私はいつもそうで、携帯を持つ、スマホを持つ、などは勿論のこと、2001年に育児中の気分転換にネット上にホームページなるものを持って、その後仕事を2004年に始めてから、世の中にブログというものが出来て、そのうちSNSが、インスタ、ラインが・・と、全てにおいて遅れに遅れて何とか、渋々、仕事の上で必要に迫られることを痛感してから導入する、という感じ。ブログも昔は存在せず、「日記」はホームページにその都度書いて、FTP転送して、と手間が掛かっていたっけ。
水瓶座は最先端のテクや情報ツールと相性が良いそうだけど、私はどうも古風な長老系の魂を引きずってか、常に「おくて」。基本的にメカにはとても苦手意識が今でもあり。正直なところ、2001年以来の、自分なりの努力で覚えて使いこなしてきた今では古風なサイト構築などの思考回路が、現在のような、クラウドで何でも(ネットショップやホームページも)簡単に作れてしまうという時代にしばし着いていけず、数年に渡ってかなり苦労しながら、頭の中を変換して、現在のショップやこのサイトに作り直し作業をしてきた。
最初からこれだったら、本当に便利で、何よりなんだけど、全く違う仕組みを一度インプットしてしまったから、新しい言語に置き換えていく様な作業、かなり混乱したり抵抗したり。。。を何とか、乗り越えながら(笑)リュミエールのショップもシステムにようやく、慣れて来たと感じられたのは最近のこと。
これからも、テクニカルな変化の波は激しくどこまでも・・移り変わっていくのだろうな。
テクニカルな事だけではなく、やはりどうしてもSNSなどで「常に繋がっている」女子っぽい感じが苦手らしい。群れる、というと言葉が悪いかもしれないけど。。「群れる」のが苦手。そもそも私の長い友人たちはみんなサバサバ系で、男気のあるタイプが多い。自分のことは自分で自己完結し、普通?ならば女性たち同士で話題に上がるようなデータ的な情報(それどこで買ったの?とか、数字に関わること、など)が行き交うことはなく、非常にマニアックな話ばかりしている(笑)。
けれど今や、若者たちは(それ以外でも?)Lineなんかが名刺がわりのようだし。何とか着いていくのに必死(笑)。
そんな中、横浜サロン時代の2016年に、オフィス用の部屋をもう一つ同じビルに借りて、スタッフさんを迎え、レンタルサロンルームなんかも始めて、その部屋に設置したMacのデスクトップが、巡り巡って今まで自宅の仕事用になっていたものの、動作が怪しくなって来たので、最近買い替えた。最新の可愛い色の着いたiMacは何ともチャーミングで、びっくりするほど動作が早い。性能が一気に良くなり、世界が変わったかのよう。そうなると、「やはりテクノロジーって良いな」なんて心で呟いている。笑
話はすっかり変わります。。
アーユルヴェーダで言う、ヴァータ/ピッタ/カパ と、サイキックの関係性についてぼんやりと考えていて。ヴァータは風と空(くう/アカシャ)だから、アルガンザ用語でいう「アンドロ」で受信が得意なタイプ。青い力。ピッタの人は火、だし、筋肉質だからきっと受信は苦手で発信、つまり念力タイプ。私の持論では、念力と筋肉は関係がある。。そして、筋肉質だとエネルギーの体感が、微細なものほどあまり感じられない(筋肉が持っている赤、火の力が邪魔をする)、けれど変わりに出力は強い。
確かに、赤要素が足りない私などは、念力を飛ばす才能?が無いと感じる。エイっと飛ばしても(紙飛行機のイメージ)ヒュウっと地面に落ちてしまいそう・笑。グループで話していてもアストラルフォースが強い人にすぐに話の流れを持っていかれる。赤が強めの友人によると、それはそれで悩みでもある様だけど。
では、「土と水」を持つカパのタイプの人はどうなんだろう?と考えてみる。と、いわゆる巫女タイプというか、憑依体質、シャーマン(神懸かり)タイプなのでは無いかと。青の(ヴァータの)受信能力と憑依体質は全く別のもので、受信(青)の力というのは、おそらく肉体やオーラ体も風や空気のように軽い(筋肉も無いし乾燥体質で潤いも少なめ)ため、結果「粒」が物理的にもエネルギー的にも細かくなり、オーラもフワっとしている。人当たりは良いけどプロテクションという意味では弱め。外からの情報がそのまま届く、響きやすい、という原理ではないかと。いわゆるエンパスはこちらかな。
カパは日本女性には多いのではないかと私は思っていて、小柄でややふっくらしていて、髪や肌や声なども潤っていて、性格は穏やかめ。「溜め込む」性質がカパ体質にはあるので、エネルギー全体的にヴァータのように軽い動きはなく。憑依体質は何ゆえか・・・ヴァータ(思考)やピッタ(感情)の動きが少ない(おっとりしている)事から、外の情報が入りやすく、居座りやすい、ということかな。。エンパスと憑依体質は、やはりメカニズムが違う。似て非なるもの。宇宙人タイプと、シャーマンタイプ、と言ったらいいかな。
そしてこの3タイプがそれぞれの配分で共存して、「ヴァータピッタ」とか、「ピッタカパ」とか、一人ひとり違っている。
・・と、そんなことを考えていて、足りていない念力が繰り出せるように、筋肉を付けようかと思っている最近(笑)。けれども水瓶座って「無筋体質」と言われていて、本当に筋肉が付きにくい。ヨガが一番とは思うけど、他にも何か良い方法を見つけよう。
Love and Grace
Amari
アースデイのアースワーク
本日、クリスタルラボ・アースメディテーションがスタート。地鎮、広く言えばアースワーク、ガイアワークを石たちとともに行っていくグループ瞑想会。とは言ってもリモートであるし、オンタイムで参加出来ない方々はコールインで受け取ってもらうことから、「瞑想会」というよりは、「好きな時に受け取って下さい」というオンライン講座(・・にエネルギーワークが付いているもの)という感じでの2023年版のスタート。
今日の「鏡開き」(柱下ろし?)を経て、今後どう展開していくかが決まるでしょう・・ということで、臨んだ初回。
やはり以前の石巫女とは全然違うし、そうかと言って、更に古いアースワーク系講座や瞑想会ともまた違う。新しい何か。まだまだ未知数、そして2023年の今とこれからの活動なのだろうと思う。
偶然にも今日は、世界共通の「アースデイ」、地球の未来に想いを寄せる日。世界中でイベントが開かれている。
セイキムレイキの伝授を受けた時、地球が最初に「想念」から始まって・・それがやがて光になり、デザインになり、幾何学から・・少しずつ物質を成していって、形のある地球が出来るという様子を見ていた。自然科学としての地球の始まりは、太陽系が出来た後にその周囲にあった物質、隕石や小惑星どうしがぶつかりながら、出来上がったと言われている。確かに「物質次元の歴史」としてはそれでいいのだろう。私たち一人ひとりに、肉体としての誕生と、魂の再誕生としての受肉があるように。ストーリーは層、次元が変われば語られる内容、言葉も変わるもの。
どちらが正しく、どちらが間違い、とは言い切れない。どちらも正しい、どちらも真実であるとも言える。
見る角度や、語る際の焦点が変われば、言葉や物語は変わっていく。
一枚のヒラっとした紙に書かれた「事実」が、真実として存在するわけではない。・・・それは二次元。
けれど人々の思考はよく、三次元を通り越して二次元的に「固定」することを好む。紙や画面上に書かれた情報から吸収し、またその紙面上で自分も思考してしまうのかもしれない。三次元、縦横高さの次元に居るのに、思考は二次元となりがち。縦横高さ、それに加えて奥行きや量子物理学的な視点が加われば、三次元の住民であっても五次元的に機能し思考・創造できるのだろう。
アースワークや、ジェネシスのような世界観と向き合っていても同じで、直線の時間や、「右と左」のように両極として分けられることばかりではない。ヒーリングでも同じく、出てくる情報も多層的で、絵に描いたような二次元的なストーリーに収まるわけではない。けれども何とかそれを翻訳しながら、今の三次元のパーソナリティの視点に合わせるように努める。うまく行くこともあるけど、私の話が他のヒーラーさんたちの話よりも複雑で分かりにくいと、クライアントさんが感じることも多々あるだろうと思う・笑。けれど、奥行きを感じ取っていながらそれに言及せずにいる事は、心理として難しい。ここが課題。
ヒーラーになるよりも前に「ハピ」や「ガイアナ」でうまく行ったように、五次元的な密度の詰まった世界から適度に抽出して三次元的様相、ヴィジョン、感情や人間関係を語っていく事は心地よいし、読む人はちゃんとそれを受け取ってくれていた。本気を出すと・・つまりハイヤーシステムと繋がった状態で仕事をしていると、そのような次元の壁は消えて、難なく「五次元から三次元」への投影が出来るものだ。ちょうど、フィルムから映画をスクリーンに映し出すように。
そのような創作の瞬間を、いかに全ての仕事と、生活の全ての場面で、実現できるか・・ということ。ソウルの地上での顕現。スロートチャクラの仕事。数年前、喉・・というよりも首の辺りの反応から声が出にくくなった事の理由も、何となく分かる。キッカケは数段階に渡ってあったけれど、いずれも(ジェネシス世界観でいう)天空文明におけるシリウス側のトラウマをミニミニで再現するような、赤のネガティブな力をぶつけられたり、ジェネシス神話のまま「毒の雨に当たる」ような経験によるものだった。
未来の人類は、今の太陽神経叢ではなく、スロートチャクラにパワーの中心が移ると神智学は言う。誰もが、ソウルとパーソナリティを統合して生きているのかもしれない。
話を戻すと、セイキムレイキの伝授瞑想中に見たヴィジョン、その時に体験したソウルの叫び・・地球が物質を為す前からずっと見ていて、組成されていくプロセスに関わって、こんなにも大事、大切な創造の結晶なのに・・人間たちは何をしているンだ!と、こういう場所(瞑想やヒーリング中)に泣くことなんて無い私が、そこで号泣していた。後で気づいたのは、その時ちょうど瞑想を誘導する先生の語りが、「あなたが地球に生まれてきた理由を思い出しましょう」というものだった。自覚はなくトランス状態だったけど、どうやらその「理由」は、そういうことらしい。
さてさて、その理由のために、何が出来るか。これからも考えて行こう。
Love and Grace
それぞれの役割
久しぶりに会った人たちが、毎回纏っているエネルギーの様子や目が違う、ということがこの所多い。オーラの状態や、目を見ると、その人の調子の良い悪いは分かる・・これは誰でもそうだろうと。
特に意外と男性は、私が思うに直感なのか直観なのか、あるいは野生的な勘なのか、感じとる人が少なくない・・けれど恐らくこの物質社会、男性社会で、そこに蓋をして生きている。でも潜在意識的には分かっている。
本来、直感やハートは女性の方が素直に働くものだけど、それはある意味、社会の責任その他から比較的自由であったことによるのかも。で、私の感覚だと、情緒的である分だけ、「こうであってほしい」が働いて、直感で感じる取るものも、特に人間関係などにおいては編集が入った状態で脳で処理されてしまう為に、結局は直感をうまく活かせずに感情で事に処しがちなのかもしれない。
人の感情とは、中々難しいもの・・・。論理的・理性的でありながら、ハートの愛をうまく使って、人々や事に処していく。これが理想だけど、自分一人の範囲でそれがうまく行ったとしても、人生はそれだけではないから・・まあだからこそ与えられている地上で生きるという機会なのだろう。
シュタイナー、人智学研究者で、占星術研究もしておられる丹羽敏雄先生の本。私は余り、シュタイナーにせよ、神智学にせよ、それを解説した特に日本の先生が橋わたしをされている書籍は読むことはなく、何かに興味を持つとなるべく直球でその源泉に近づくようにしているので、珍しい事だけど、以前ジェネシスをまとめている2017年に参考書としてたまたま、手に取った事をきっかけに、丹羽先生の本は幾つか拝読している。
今回こちらもそんな流れで、書店の天使?に薦められ、読んでみた。タイトルの通りで、シュタイナー的カルマ論、つまりこの日記やInfo記事で昨年の暮れ頃に触れていた、現世→死後の天界での生→来世 という魂(自我)の流れと、12星座と、カルマ、について優しい文体で解説して頂いている。
神智学では(シュタイナーは「人智学」)黄道12星座による、地上の我々へのカルマ的法則は、シャンバラが作ったシステムだということ。それは考えてみれば、(シャンバラと呼ぶかどうかは別として)誰かが決めてプログラミングしていなければ、今、占星術は普及しているけど、そのように星と人生が連関し合うなんていう仕組みが出来るはずは無い。星座は、地球から見てどう見えるかの配置によって描かれていて、宇宙の普遍的事実ではないから。つまり占星術・占星学とは、自然・・というより、超自然的な法則だ。
12星座、占星術について、シュタイナーの人間観と、カルマ論からの解説は、私としてはとても有り難く、また、メタフィジを学んでいる人、ニューエイジを基盤に思考する(人間は輪廻転生する、地球だけが魂の故郷ではない、と考えている)人には、おすすめしたい。12星座の概念は私は若いころから他者を理解するのには非常に役立っている。運勢のアップダウンのような事には余り興味はないものの、今世、カルマ的に運命付けられた「鋳型」の中をみな、生きているという理解と愛は、人間関係において役に立つ。太陽星座による人生への影響力を、丹羽先生は「流儀」と書かれていて、それもまた良いな、と感じた。
・・・・・
私の以前からの直感では、今年の1月には「逆転」が起こり、4月には良き創造の波が加速する・・と感じていて、過去、こういった野生のカンは常に当然のように当たるものだった。が、今年1月も、この4月も、イメージしていた通りには「急に流れは変わらない」。そしてそれが、今、本格的な時代の変わり目の難しい変換点の特徴なのだろうと気づいた。 1月、何がどう、とは言えないものの、自分にとっては確かに大きなシフトポイントがあり(「意図」の重要さなどの)スイッチが入ったことは確か。その後、順調に行くように思っていると、逆風が来たという、エネルギー次元の体感がある。
同じように3月後半〜4月の頭は、3月前半の心地よい風が吹いて来た感覚から、また再びひっくり返されたような。あくまでも体感で、見えない世界の感触。 が、世界の周波数は確かに上がっていて、世界のあちこち、質が上がりつつある。意識的に目覚めた人たちも増えて来ている。それは間違いない。けれど、自分やその周囲のシフトだけではなく、社会、世界全体のシフトが起こっている時だからこそ、良風のあとには、逆風が来る。もう、このリズムに慣れたほうがいいのかも。。。
私はついつい自分自身がヒーリングと出会い、メタフィジカルに生き始めた頃からの「常識」、価値観でエネルギーの動きを期待してしまうから、ここは本当に切り替えないといけないなと思う。
同時に、これまでは自分が「カナリア体質」として、世界の変化をまだ誰も気づいていない時に察知しているような、それを人々に伝えなくてはいけないような感覚を常に開いていたけれど・・(たとえば「日本人の意識の問題」「環境問題」「地球の危機」などについて)さまざまな課題が現実レベルで一般の人々の周知となり、全体の意識の中にすでに常識として上がって来ている今、もう自分が(というかスピリチュアル、メタフィジカルの人々が)そこを敢えて語ったり書いたりする必要もないのだ、とこの数年考えてきて。
元々、ニューエイジ思想(出発はやはり神智学の誕生)などは、やはり反社会的な精神によるムーブメントであったはず。そこを切り替えて、問題意識はキープしつつ、既に全体にとっての議題となっている「地球を守ろう」「人間の尊厳」「自由そして平等」など、本来スピリチュアル分野が大事にしてきた思考を、一般社会と共有しながらも、スピ、メタフィジを貫いていく必要ってあるのだろうか? それとも、ならばもう、その全体の流れに乗っていれば良いのでは・・(時代は変わりつつあるのだから)・・という問いが、恐らくこれまでメタフィジカルを探求してきた人たちに、浮上してくるこれからなのではないかと思う。あなたはどちらを選びますか?
ここはもう、私としては答えはずっと昔から決まっていて、社会が追いついた場合?のメタフィジの役割のようなものを発揮する時こそが、本来の「ライトワーカー」的ソウルたちの仕事場、だと思っている。
けれどもまあ、社会全体を家族として、浄化やアップダウンの波を超えていく時代なのだと思うと、「特殊な世界」の「マニアックな人々」としてスピ、を実践している時よりも、はるかに忍耐力や持久力が、試されるのではないかと思う。スピ、業界の情報などは、人様のブログさえ見ないし、ワークショップ等にも行くこともないので全く分からないけど、どの分野でもそうであるように、これから個人もグループも組織も、試されていく時代なのでしょう。
Love and Grace
Amari
幻想に打ち勝つ
先日、ガンダルヴァ・・の Diary記事を書いた時、本当はその朝の気づきをツイートしようかと思ってPCに向かっていたものの、意外と頭の中に文章のフレーズがワワっと入って来たので、では一度まとめてから、その後、関連のツイートをしようと。それで記事にしてから、結局、ツイートするのを忘れてしまった。何を言い添えようとしていたのかというと、
男女ともに、更年期には、恐らく、その性の中に組み込まれている原型エネルギーの堕ちた部分(リリス、ケンタウロス)と、向き合わされるのではないか、ということ。もちろん人、魂による。いつも言っているように輪廻転生の中で既に多くを昇華している人もいれば、まだまだの人も居る。人生を通じてそういったエネルギーや、現象化する問題がテーマだという人や家系もあるだろう。けれど、
そうでもなく、比較的穏やかに平和に生きてこれたと言う人も、また、ヒーリング等で多くを解放してきた人も例外ではなく、それぞれの程度の差や、出方の違いはあるにしても、男性に生まれればケンタウロス、女性に生まれればリリス、の原型エネルギーは、DNAの中に組み込まれているのではないかと考える。普段は大丈夫な人でも、更年期には何らかの形で現れるのでは?と。
最近更年期ネタが続きます(笑)・・友人や知人とも「老眼はどう?」「五十肩は?」みたいな会話をしてる(笑)。健康そのものでもう二十年、病院にも行っていない。今もどこか特別に調子が悪い訳でもないけれど、さすがに、自分の性能が全体的に落ちる感じは実感される。何となくの体調や意識や周波数では、私の仕事は支障が出るので、常にそれを敏感に感じるようにしているせいだろうと思う。
そしてもうひとつ。ジェネシス等の仕事の流れの結果といえばそれまでだけど、主にプログレッシヴの執筆〜去年末ころのイワナガ、リリス、まで。その筋のエネルギーと向き合わざるを得ず、それが(自分の中から出るというより、また、現実でもその要素はもともと人生パターンとしても現れていなかったので)サイキックアタック等の外部からの現象として、エナジーワークの仕事を通して、私の場合は向き合う結果となったのだろう、と。
ジェネシスのグループでも数年前から、PMSの時にはリリスの原型エネルギー集合場と繋がりやすいということを、プラクティショナーさんたちと話していた。満月=狼男 なども男性ヴァージョンで言えるのかもしれない。
そんな事をぼんやり考えていた日。NHKオンデマンドに何となくフラっと入った。そういう時はだいたい何かピンと来るものを見つける。小室哲哉さんのインタビュー、と目が合った。これまで全くファンでもなく寧ろ、全盛期に私は二十代と既に大人で、小室氏の仕事が日本社会に満ちている時は批判的な気持ちを抱いていた。(クラシカルな洋楽のロック愛好家なので・・今もレニー・クラヴィッツなどを流して仕事をしている。若い頃、武道館のライブにも行ったっけ・・)
なので、普段はどこかで氏にまつわる記事や情報を見かけても、特に興味を持つこともなく。それが、何故か気になり見ることにした。(きっと皆さんは既にご存知のことと思いますが)2018年に引退宣言をして、2021年に復帰されたとのこと。引退を決めた当時は、常にずっと持てていた自信、自尊心が全く無くなって、自分なんかダメだという気分に堕ちていたとか。そこに至るまで、色々とあっただろう事はニュース等を通じて何となく、私も記憶があるけれど。そこで掛かった原型エネルギーによる低下、落下、低迷・・のような、周波数の遷移もあったのだろうと。
なるほど、こうして拝見していると、とてもアンドロっぽい方なんだな。私は日本の音楽シーンには殆ど興味を持たずに来たけど、きっとアーティストさんたちは、やはりアンドロ系の方が多いのだろうし、小室氏のマルチなタイプの才能や、話している様子からもそれも感じた。才能を発揮して仕事を広げた後、弱い部分に何かの形で、引き下ろす力が働く。才能の器が大きい人ほど、創造あるところに、常にやってくる破壊の力。
そして男性の更年期、にちょうどスランプ期が当たったのだろうし、勝手な想像だけれど、外部からのケンタウロスやリリスの原型エネルギーが作用したのだろうと思いながら、拝見していた。自分がずっと信じてきた、自分自身を成功させ続けてきた実績がありながらも「自分なんか」と思わせる、引き下ろす力は強烈なものだ。けれど、魂が持っている光が強い人ならば、一旦は引き下ろされても、その幻想に負けずに復活できるのだ。
ちなみに、小室氏は無国籍な雰囲気がある・・日本人らしくないというか。私が思うに、魂で生きている人って印象が国籍不明なのだ・・ 娘がお世話になったシュタイナー学校の先生方もそうだった。ヒーラーさんも、ヨーガ等の先生方もそういう方が多いかな。三次元の大衆的グラマーから抜けた周波数域で、独自に生きているから、「日本人らしさ」を纏っていない、という説明が出来るだろう。
それから、シュタイナーの子供たちは、両親にあまり似ていない。そして、驚くほどにぽっちゃりの子がほぼ居なくて、スラっとしている。やはりテレビやメディアを見せず、ゲームや受動的なおもちゃなどにも晒されていないから・・子どもの時点で既にグラマーのエネルギー情報を吸収して育つのではなく、個として、魂として、育っているゆえだろうと思う。
(レムリアンセイクレッドレイキの「大地のサナトリウム」はその行程にちょうどフィットするように構成されている。第一段階で幻想や強い恐れのパターンを引き起こした「抑圧」や「攻撃」のレムリア等ジェネシス層からの原因にも、現在の抑圧状態にも響き、第二段階で細胞・神経レベルで深い癒しと再生、第三段階で周波数の引き揚げ、「復活と上昇」)
私がいちば〜ん最初に、ヒーリングやスピリチュアルに興味を持った時に、ある方から聞いた言葉、「恐れや不安は幻想」・・・そのたった一言を信じて、徹底的に信じて来たから、ここまで来れた。
後にも先にも、メタフィジカル道を、魂のフローに乗って進んでいくには、そのフレーズを常に忘れてはいけない。
そして必要に応じて、浮上してくる、または炙り出された恐れや幻想に、対処していく。
改めてInfo に載せますが、一旦ここで整理しておきたい更新情報:
石巫女のグループ遠隔瞑想クラスを始めるにあたって、以前の石巫女、そしてついでなので星巫女と意識の学校についても、参考ページをUPしました。
School ページからリンクしています。
また、この4月から「対面カウンセリング」を受付します。対象はアルガンザワークのプラクティショナーさんたち。八王子のサロンでお目にかかって、近況〜お悩み相談(Amariの部屋)、などにご利用ください。for practitioners に掲載。
遅くなりましたが、5月のご予約スケジュールも載せました。まだ私用などから多少の調整変更が入りそうですが、ひとまず、お急ぎの方はご遠慮なく。schedule ページから。
ではでは
Love and Grace