Office Arganza

A Diary

2023-04-06 08:01:00

何かが起きている

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やるべき事をやっていない時、気づくべき事に気づけていない時、現実はうまく回らない。・・これはメタフィジカルの基本。とはいえ、20年近く関わってきた私自身、なにか変だなと思う今の現実世界の空気。真面目な人ほど、感じやすい人ほど、これは何だ?と混乱したり当惑したりしていることと思う。それにより、自分の現実が今までのような手応えがなく、空回りしたり、体調やメンタルの調子が悪いという人たちもいるだろう。

 

私も自分が更年期である・・ということを十分に差し引きして(笑)、更年期フィルター(つまりホルモン的、肉体的、脳の働きなども絶好調ではない)を通して感じたり考えたりしている為に、その不思議な空気感を体感してしまうのだろうか?ということを、この数年、パンデミック以後、考えて精査してきた。それを補う為に、以前以上にセルフワークをするようになっているし、ある意味、精神もかなり鍛えられた。

差し引きした結果、今この春に思うのは、やはり変だ、何かが起きている。ということ。

 

毎日、エネルギーワークをしない日は無いので、それが現実界に響いていく作用を、それこそ気象予報士の天気予報のように、「雲行き」「気圧配置」のように感じる訳だけど、パンデミックでみんなが息を飲んでいた20年、21年は、まだ、これまで通りの三次元と五次元の繋がり、メカニズムが普通に動いていた。22年の春、世間ではウクライナ戦線が始まった頃から、・・というか、理由はもっと別のところにあるとは思うけど、Arganza が大事にしているような、上の画像に載せた神智学、アリスベイリーが伝えているようなメタフィジカルの「道」にとっては、逆風、とも言えるような周波数に、変わって来ている。

 

遡ればさらにもっと前から、その空気は来ている。2018年くらいか・・ 22年はググッとそれが、人々の意識周波数のようなところに、本格的に響き始めた。慣れない状況から、人々はそれを分析して、互いのせいにするかもしれない。職場がおかしい、この人がおかしい、という具合に。どうもこの春は、仕事を辞める、転職する、という話をよく耳にするのはそのような状況下かもしれない。とは言っても、「時代の変わり目」は間違いなく、そんな配置換えもまた社会全体で起きていくことにも意味、意義もあるのだろうとも思う。

「何かが起きている」を簡単に言うと、シリウス性・・が響かないくらいに、世間の空気、周波数が(高まってはいるけれどある意味、高まり過ぎて?)意識の目覚めとは逆のほうにチューニングされている気がする。以前、アルガンザのスクールでアリス・ベイリーを取り上げていた時は、「難しい」を理由に、なかなか皆さんにとってそれは壁、だった。けれど、今の空気だと「それな〜に?」という感じになりつつあるような。

「難しい話はやめてくれ」ではなく、「そんなの知らない」というレベルに、意識の面で一段、下がっている。

 

そうさせる空気がどこからともなく(電磁的に?)流れてくると、私の場合は自分の仕事にチューニングしにくくなる。だから「おかしいな」と感じてセルフワークをする、と、アンタカラナ(クラウンチャクラから伸びるモナドまでつづく縦軸)や、ライトボディに何らかの仕掛けが見つかる。外す、と、もとの自分のコンディションに戻る。その繰り返し。・・世間の人々だと(私の知人たちにヒアリングしても)気づかないまま、その意識波の状態で行ってしまうのではないかと思う。

表面上、何も大きな困りごとなく、日常が今まで通り保たれていると、特に気づかない人が多いのかも。仕事上、「空気」レベルで異変を感じるような専門家の人々だけが、気づくのかもしれない。ヒーリングやスピリチュアルも、携わる人の中で「シリウス性」、神智学のようなメタフィジ「道」に誰もがアンテナを向けている訳ではないので、世間の人々と同じかもしれない。

 

去年4月に、「白い聖堂」が始まって・・自分でも本当に良かったと思っている。確実にシャンバラの周波数に触れ、その学びの独特のフローが保たれていることが、ひとつの軸となって、その大事な波長を、見失わずにいられるような状態。それにしても、高次はなぜ、こんな風に難しく分かりにくく、未知の、掴み所なく、下手をするといつ崖から足を踏み外すか分からないような環境の中で、私たち「メタフィジ道」を行くもの、学ぼうとしているものたちを、放置しているのだろうか・・と、

ゲッセマネのような問いかけを、久しぶりに、激しくはなくてごくごく静かに考えていた最近。そしてすぐに答えを得た。

ああ、そうだった。「方舟だった」と。

 

以前この A Diaryを始めた頃にも書いていた。石井ゆかりさんの表現を借りて「2018~2024年は、ノアの方舟に乗るような7年間」と。

「ノアの方舟に乗るような」とはどういうことか?

ああ、そうか。こういうことなんだ。

なぜ? がたくさん出てくる中で、それでも、自分の『神』を信じられるか。

世間のほとんどの人々と道を違えて、ノアとその家族だけが、純粋な生き物たちとともに、乗り込んだ方舟。

おすすめの映画『ノア(ラッセル・クロウ主演)』を良かったら見てみて下さい。舟を作っている段階でも馬鹿にされるわ、邪魔されるわ、家族だけで乗り込んだのに、挙句には次男に裏切られ、長男とその嫁、妻にまで反対され、お父さん(ノア)は人としてボロボロに傷つく。

 

「ノアの方舟に乗るような」と、「ノアになるような」は違うかもしれない。

けれど、舟の中で、そして舟を降りてからも、家族みんなが難問を抱えて苦悩していたように、「方舟に乗る」とは、難問や「??」がいっぱいで、いつまでも答えが出ない中、それでも、『神』を、そして(映画で家族の女性陣が見せたような)ハートの慈愛を、追求しつづけ、何とか自分を保ち続け、正しいことは何かを問い続けるような状態を言うのではないか、と。

私たち一人一人が、ノアであったり、その妻、息子、嫁、であったり。その時々、それぞれの立場で難問を抱えながらも・・『神』の舟に乗り続ける。

 

神智学でいう、2025年にやってくる新しい時代の呼び声となる光線の到来までの準備であると考えられる「方舟の七年」はあと残り二年。

アルガンザでは、そんなことも知らないうちに、2017年3月にサロンに迎えた10キロのマスターウラルレムリアンが『箱舟(アーク)』と名乗っていた。そこから確かに、時代の変換点は、アルガンザ的には既に到来していて(いつも世間より1〜2年先にその時代のテーマが箱庭的に動く)、

確かにあの映画のノア、のような気分を味わうことも何度かあった。そうだった、箱舟だった。年々、アリス・ベイリーの書籍が体現する神智学のシリウス性の周波数が、世間とずれていくような感覚が深まっているけど・・・

だからと言って、それでいいという事ではないのだ。

本来の「正しいこと」は、「(その時代の一過性の)世間の大多数の意見」とは、全く関係がない。

 

「方舟に乗るような」最後の二年だと思うと、今のこの空気感も理解できる。そして、自分がやるべきことも。

伝わっているとは思うけど念のために。誰かが方舟に乗り、誰かが乗れない、ということではなく、各自においてそのような時代感を体験するという事。もちろんそこでのあり方や、本来魂がこの時代を選んできた理由や生き様を、方舟時代をどう乗り切ったか、によって、その後の自分自身に映し出されてくる。振り分けられるというか。。

ちなみにこの仕組み、人類の進化や歴史の流れ、カルマやソウルシステムを管理運営しているのがシャンバラ(とアルガンザでは呼ぶことにしている)=シリウス系のロゴスのシステムである。ゆえに、「方舟に乗る」を言い換えると「ガイアの進化プロジェクトに乗る」ということだ。そのためには、横に見えている世界に合わせる、染まるのではなく、自分自身のソウルシステムと繋がっていなくてはいけない。なぜなら進化プロジェクト、その先のワンネスとは、ロゴスのもと、私たちのソウルシステムがワンネスでユニットする状態に戻っていくことを言うから。。

最近よく言っている「自立し合うことで結果的に生まれる調和・青のワンネス」とはそういう事だ。誰かや、どこかと、繋がる事ではないのだ。魂として生きることを多くの人が選択した先に、ワンネスが実現される。

 

・・と、スピに慣れていない人が読むときっと、新手の宗教か、と思われるかもしれませんネ・・けれど違うのです。こういう事がいつか「科学」や「物理学」や「医学」とごく自然と融合されて、人類の常識的な知恵の一部となる時代もやってくるはず。アトランティスで人類は「堕ちた」ので、それらがバラバラになってしまったのです。そういえば、古代インドのヴェーダ文献などは、それらの融合が見られる。失われた太古の叡智を、現文明に与えておく、という理由で高次から齎されたものなので。

アリス・ベイリーの書籍が並ぶオフィスの本棚。その下段は、恐らく3000件以上になるアルガンザのセッション記録。

方舟感が増していく 2023年。

 

自分の意図を見失わず。幻想に惑わされず。今までとは違って軌道から一度逸れて「堕ちて」しまうと、2025年をまたぐと再びそこに乗ることは難しくなるかもしれない。守りたいものを守り、難問疑問に負けることなく。人を頼ることは出来ません、メタフィジカルな道は自分自身でしか、自分を変えたり育てていく事が出来ない。周波数の高い人と繋がる、のではなく、自分自身のソウルシステムと常にコネクトし、作りたい現実を作っていきましょう。

 

Love and Grace

Amari

 

2023-03-31 17:19:00

ガンダルヴァとイシスの巫女たち

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桜も散り始め、早くも新緑が目立つようになてきた関東。

確定申告の第二弾も、先日無事に出し終えてひと安心。頭の中を数字と簿記用語が行き交う中、なんとか書いていた日記が今朝また消えてしまって・・一旦頭をリセットして、話題を絞って再度書くことに。今日の話題は「ケンタウロス」。

アルガンザのセッションの中で、いつ頃からかちらほらと出るようになり・・自分のセルフワークでもその前後から出ていて、何だろう、と思いながら幾つかのステップを踏み、一度2015年ころ?出来たばかりの「リリスリリース」の姉妹ワークとして、「乳海のニンフとケンタウロス」というものを作って。「リリスリリース」と同じ石たちやエネルギーソース、メソッドを使って、ケンタウロスを外す、というもの。リリスを外すか、ケンタウロスを外すか、という違いで、今思えば男女それぞれのヴァージョンでの同じワークだったと分かる。

 

いつもそうであるように、同じワークに組み込まれることの意味を、当時はあまりよく分かっていなかった。か、当時は分かっていたものの、ここ数年は忘れていたのかもしれない。今回、先日 Info記事に書いた「イシスの巫女たちの堕落」と、ケンタウロスが改めて一緒に出てくる体感や、セッション内容が続いて、両者は関連性があるのだろうと書いていたっけ。冷静に考えてみると、関連性がある、どころか、一対のテーマなのだ。出来たばかりの「リリスリリース」に、ケンタウロスを当てはめている時点で、そこまでは気づいていなかった。

何か別のものを、同じ手法で外すのだろうと。。。思っていた。

 

けれど、先日のInfoを書いてからさらに、何かあったという訳ではなく、頭や記憶を整理していくうちに、気づいた。ケンタウロスが憑いて、巫女たちの約半数を「堕とした」ということだ。具体的には、神に仕え、人々の為に祭祀を担う無私の、公的な立場としての巫女たちが、自我により他者を蔑んだり、権力や名声を奪い合ったり、といった、今の人間社会にも存在するネガティブな精神を自らの中に「拓いた」・・・想像力が必要かもしれないけど、当時はまだ、人間はもっと純粋で利他であったと私は考えている。

そのため、「巫女たちの堕落」は、強烈な出来事であったと思う。彼女たちだけではなく、祭祀の中にもネガティブな神的エネルギーが流れ込み、結果として社会全体が堕ちていった。人類の堕落、いくつもの段階がある中の、ひとつの変換点であったと思う。

 

なぜ、ケンタウロスという、四次元存在(肉体を持たない)が、巫女たちを堕としたのか。

それは、ケンタウロスたちが配偶していた「乳海のニンフ」の転生者たちが、当時、巫女たちの半数を占めていたからだということに、気づいた。

リリスの発祥に、ケンタウロスが関わっている。ならば、当時のワーク「リリスリリース」で、堕ちた女性性リリスと、堕ちた男性性ケンタウロスを外すという2テーマが対になっていたのも今、ようやく、理由がはっきりした。

そして、改めての「イシスの巫女たちの堕落」を整理していた最近、以前にもう収束したはずのケンタウロスの気配がまた、やって来ているのも納得。体感もあり、ヴィジョンもあり、セッションでも出てくるし、以前シャンバラがすべて(ケンタウロスを)収容したという情報を受け取っていたのに、また何が起きているのだろう?と、思っていた。。

理由が分かって深く納得したところで、確認作業のひとつとして、改めて「ケンタウロス」を調べてみようと、ウェブのレベルだけど検索をしてみる。すると、幾つかの情報源には、以前も調べて、ナゾの男性性の怪しい四次元存在を「ケンタウロス」と名付けた動機となっているようなものが多く目に付く中、非常に興味深い新しい情報源を見つけた。以下、引用

 

Gandharva(ガンダルバ=仏教が日本に伝わった際の音訳は乾闥婆:ケンダツバ=インドからギリシャに伝わりケンタウロスとして神話に組み込まれたと考えられる)

サイト「コトバンク」より 出典小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

古代インドの半神半人の精霊。音訳は乾闥婆、犍達婆で、意訳は香神、嗅香(きゅうこう)、尋香(じんこう)。虚空に住む天界の音楽師とされ、天の踊り子アプサラスを配偶者とする。古くは『ベーダ』聖典に出て神酒ソーマの守護者とされ、雨や雨雲と関係が深い。しかし、婚礼の歌ではビシュバーバスという固有名詞となって現れ、新婦にまといつく男の精霊とされる。また、ヒンドゥー教では天の楽人となり、図像学的には半人半鳥の姿で描かれるが、しばしば人に憑(つ)く精霊として、夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)などと同列視されて恐れられた。終始婚姻や性愛との関連を離れず、つねに女性を愛している。仏教に入ると天竜八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)の一人とされ、酒肉を食せずただ香のみ求め、緊那羅(きんなら)(半人半鳥の美女)とともに帝釈天(たいしゃくてん)に奉侍(ほうじ)して伎楽(ぎがく)を奏するとされる。ときに今生(こんじょう)に死して次生(じしょう)に生まれる間の中有(ちゅうう)、中陰(ちゅういん)の義にも用いられ、天の楽人と中有の結び付きは、なおつまびらかにしえない。[原 實]

https://kotobank.jp/word/ガンダルバ-49231

 

これは本当に「答え合わせ」的な、画期的な説明だった。アンダーラインを引いた「アプサラスの配偶者」・・恐らくこのくらいしか、以前に「ケンタウロス」と定義づけた根拠は無かった。セッションやセルフワークでのヴィジョン、情報から分かっていたのは、「ニンフ」と配偶する男性性であり、何らかの理由で闇の存在となった、それゆえにニンフであった魂の女性に、今でもつきまとう、という内容だった。ニンフは、インドでいう「アプサラス」であり、ギリシャではアフロディーテの語源・イメージソースであると考えられる。

ジェネシス神話にも、既に「ニンフとケンタウロス」は出来た当初から書いているけど、ここまでハッキリと、こちらで感じている体感やヴィジョンと、一致する情報はこれまで出会っていなかった。(今回いとも簡単にネット検索で出て来たのだけど・・)

太字にした部分にご注目。新婦に「まといつく」、「常に女性を愛している」「聖愛との関連を離れず」これは、アルガンザのセッションで以前も今も、感じ取れるケンタウロスの性質であり、さらに言えば、自分だけが置いていかれないように、その女性の霊的な進化を邪魔している。。

 

それはそうだ。本来、レムリア当時は乳海という五次元の楽園で、ニンフという女性種族との配偶が常に保証され、神の膝下で、むつまじく暮らしていたところに「何かが起きて」、ケンタウロスだけが堕ちてしまった。けれど配偶者であるニンフを自分のものであるとしておいかけ回す・・ニンフたちも混乱し共に滅びる、・・というのが、ジェネシス神話に既に組み込まれている両者のストーリー。天界に住い音楽や香をたしなむ?存在であったというインド神話の記述も興味深い。

今回分かったことは、

そのニンフたちが時を経て、アトランティスの一時期に人間界でイシス神殿の巫女として生きているところへ、「何らかの理由で」霊としてのケンタウロスが解き放たれ、自分の配偶者である巫女たちに「憑いて」、引き下ろしたということだ。恐らく人間社会にその混乱、闇を招きたいという「何かの」意志が働いて、のことだろう。。

より詳しい部分、「何らかの」の内容は、改訂中のアルガンザジェネシスのバイブルに、反映させたいと思う。

ゆえに、今、ケンタウロスがまたウロウロしているように見えたり感じたりするのは、私たちの記憶から来ているのかしら・・それとも? 人類全体のシフトアップの今、原型物語が動き、各自の中のリリス、各自の中のケンタウロスが炙り出されて、実際に四次元存在として、呼び活けられているのかしら。。

 

リリスも、ケンタウロスも、性愛と結びつき、リリスはお金や経済にまつわること、ケンタウロスは精神の成長・霊的進化・人としての成功などの面で、それぞれ、対象となる異性存在の状態を悪化させる。実際に生きている私たちの中に存在している、魂の歴史に由来する、リリス性、ケンタウロス性が、今現在も現実面で共に生きる伴侶や異性に良からぬ影響を引き起こして、相手からパワーを奪い弱らせているかもしれないし、四次元存在としてのリリスやケンタウロスが、人として生きる私たちに「憑いて」いることもあるだろうと思う。

 

前に一時、ハイウェアで「ケンタウロス・ソースリダクション」というワークがメニューにあった。

GATのソースに、どんどん、見つけたら送り込んでいいと(笑)聞いていたので、その方法でケンタウロスをクライアントさんから「外して」、ミカエルに立ち合ってもらい、7次元に送るという内容だった。けれど、今また浮上して、情報が補強されている中で、発見したものをどう扱えばいいのか?考えながら・・ひとまずお客様のセッションでは同じようにミカエルに託しつつGATへ。また新たな直感、ガイダンスの受信があれば、シェア出来ることはシェアしたいと思ふ。。。

まあ、私の感覚としては、ずっと以前からアルガンザでは取り扱って来たテーマであるし、今回、バイブルや「アトラスハシス」により詳しく書く・・ことが、重要なのではないかと。それにしても、インドでは伝統的に「花嫁に憑く」「精霊存在」と言われていたとは。以前ケンタウロスの定義付けを、比較的すんなりと直感的に出来たのは、私の中にその記憶が、あったからかもしれない。

 

そうだ!大事なこと。

プラクティショナーさんたちに、数年前の「プロテクション専科」で伝授したサンスクリットの魔除・呪詛避けのマントラの文言の中に、よくよく考えてみると「ケンダツバ」として、名前が出て来ている点に注目してみて下さい。。リリスもだけど、排除すれば良いというものではないので、やはりシャンバラに委ねてソースに返していくという事になるけれど、嫌がらせは辞めて貰わないといけないので、そんな時には例のマントラも活用すると良いかなと思います。

そしてこれを読んで怖くなってしまった、心配になってしまったという方が居たらごめんなさい。もしその「怖い」が記憶や潜在意識の反応であれば、現世で起きている問題の解決の糸口かもしれません。プラクティショナーさんにご相談でも良いですし、Amari's Work の場合は Utpalaの自動セッション(スピリチュアルコース)でも、レムリアントランスミッションでレムリアからアプローチしてみる、でも、良いかもしれません。気になる方はご相談ください。。

濃ゆい話になってしまったので、Infoに載せるのは遠慮してこちらに。

Love and Grace,

Amari

2023-03-21 13:40:00

In her shoes 誰かの目線

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今日は祝日だったか・・半分過ぎてから気づいた。そういえば春分でしたネ。

星巫女プロ専科コース(以前有ったヒーラーズカレッジのマスタークラス)の教材として使った事もあるハリウッド映画『イン・ハー・シューズ』。この英語表現は、自分以外の誰かの視点、目線で、物事を感じたり考えたりすることの比喩。日本語でも「〜の立場で」というけれど、立つ、という動詞からやはり足に関係していて、シューズ(靴)という言葉が使われている点が面白い。

他の人の立場や、シンパシーで何かを感じることって、想像力を使えば簡単じゃない?と思うけれど、万国共通で、自分が味わった負の感情がフィルターをかけてくるから、なかなか、簡単とは言えないようだ。

 

特にこの映画のように姉妹関係だったり、聖書や神話でもよくある兄弟だったり。前に日記に書いた韓国時代ドラマ「スベクヒャン」の姉妹、兄弟、でもそうだし、上司と部下、経営者と労働者、親と子、夫と妻、などなど。人生の全てにおいて、もしかすると人間関係や、自分の人生の流れを良く出来るかもしれないカギとして、「他者の立場で現実の流れや物事を理解する」スキルは、重要なことだろうと思う。

単にスキルとは言い難く、中身の伴ったものでないと、ただ表層だけの世渡りテクニックになってしまって、きっとそれは後々になって学びの機会が用意されることだろう。

 

違う立場にあったり、違う条件で生まれて、今このように存在している・・その状況を真に相手の靴の中に入って理解する、受け入れる(or受け流す)という行為を可能にするのは何だろう?深い洞察力・・それもあるかも。だけど、やっぱり、「愛」(人間愛)言い換えれば「利他」の心、だろうと考える。

利他の反対、「利己」から逸れることがなければ、いつまでも他人の靴からの風景を感じたり味わったりすることなど出来ないからだ。自分の視点や価値観だけで、どこまでも歩いて行こうとしてしまう。

 

この映画では姉と妹の愛の流れがちゃんと復旧し、共有していたインナーチャイルドの傷も癒され、互いに切っても切れない相手との絆を愛しいと感じられるところまで。それが叶うには、双方の献身、変化を受け入れる努力、歩み寄りの気持ちや、ハートの愛・・が必要になる。何かキッカケになるような(良くないほうへの)変化が起きると、ある意味、自分の視点や価値観・先入観を見つめ直す機会になる。

多かれ少なかれ、人は一生を通じて、そのチャンスと、受容、変容の連続を経験していく。子供だったところから、大人・社会人になり、親となって、大人や親の苦労を知り、更には社会でも様々な人々と出会って、それぞれの視点や立場を知る。年を取ると丸くなると良く言うように。

 

時折書いているように、私自身の「アンドロ気質・体質」を振り返ると、恐らく少数派ながらそういう人々は居て(サロンでもお目にかかって来た)、オープンな天使性やハートの力が、逆に「与え過ぎ」ではダメ、「利他もほどほどにしなさい」という学びを必要として、「利己」になることは出来ないけど、人間界の仕組みや、人間の利己性というものをそれなりに学んで理解していく、というコース。

このコースだと、自分に足りていない赤や黄色のエネルギーを強く持っている人々と多く出会い、時に守られながら、人間界というものを(笑)教えられる。学んでも、また偏ってしまったら、再びそのような出会いが用意されていたりもする。もちろん、立場を変えれば(In someone`s shoes)、その逆の事も言える。私は若い頃どちからというと、そちらの作用や出会いに自分が「貢献している」と常に考えていた。

 

子供の頃から不思議な溢れ出す人間愛のようなものがあって(笑)、小学生時点で今思えば、自主的にヒーラーのようなことをやっていた(笑!)。親も含めて、相手が元気になり、笑顔を見れて、喜んでくれて、(ここがシリウスだけど)以前よりもステップアップする(叡智に近づくような感じ、神をより知っていくような)姿を見ると自分も嬉しかった。その作用が、一方的に自分から相手に流れると思っていた。

けれど今振り返ると、周りに居た、私の考えていることなどよくわからん、と思っているような家族や親しい人たちが、無言の中にも常に、その黄色や赤の力で私を守ってくれていたのだなと思う。

自分自身で縁や現実を完全にコントロール出来るようになるまで・・つまりクリアリングが進んで、ソウルシステムがエネルギーの偏りを示して来なくなるまで。そんな出会いと、必要に応じて起きる「摩擦」と、結果としての「化学反応」=変容、成長、はつづく。

 

「菩薩道」を生きていきたいと考えたのが二十歳前後。ニューエイジな言葉で言うと菩薩は進化した魂で、それでも地上の人間たちが最後の一人まで覚醒し宇宙を思い出すまで、延々と、転生したり化身したりを繰り返しながら、地球の進化プロジェクトに献身し続けるという。

実はかなり多くのソウルたちがこの「菩薩道」を生きているのかもしれない。様々な靴を履いて、立場や役割を交換しながら。

 

Love and Grace

Amari

2023-03-18 13:38:00

ジェネシスの森

昨日の Info『イシスの巫女たち〜』から一夜明けて。珍しいほどによく降る雨の日。

最初にサロンを始めた頃、ごく初期というよりは本格的に、対面サロンに日々お客様が来るようになった奈良での活動に入った頃、現実の自分の人生には起こらない不思議な人々の感情的な反応を、「シリウス系のワークをしていると、浄化が強いゆえに起きる」現象だと考えていた。・・これは、私以外のヒーラー先生、同業の知り合いなどとも話しているので多分間違いではない。「シリウスは厳しいな」と当時は考えていた。

 

そこに加えて、横浜に移ってから土地系のワーク、地鎮・・というにはアルガンザの場合はもっと時空を超えているような感じだったけど、いわゆる「アースワーク」の小さい瞑想グループを作ると、何かこう、いつも参加者同士のエネルギーが摩擦するような現象も見られて、「アースワークは厳しいな」と今度は言うようになる。

そして、2017年以後、それまでとの厳しさとは比較にならないような、スパルタ的な学びを伴う仕事となったのが「ジェネシス」という概念と、その歴史絵巻に合わせて活用するためのエネルギー、光線を取り扱うという新たなアルガンザのプロジェクト。その頃ちょうどスクールで導入するようになっていたアリス・ベイリー著書群が伝える「弟子道」というものの厳しさが、まさにそれなのだと気づいて、厳しい、厳しい、などとはもう(私の立場では)言わなくなった。。。

 

簡単に言うと、「ヒーラー辞めますか。それとも感情やめますか。」という感じ。感情とは幻想なのだと分かっていないと、進めなくなってしまう。分かっていなくても、せめて言い聞かせながら。これは一般のクライアントさんや、ヒーリングを受けるようになった方々、学び始めた人々でもメカニズムは同じで、浄化や手放しの際には、感情や現象が飛び出してくるものだから、それに負けてはいけない、というのは基本でもある。

デトックスでは済まなくて、カタルシス(瀉血)、クライシス(危機)とさえ呼ばれる。

単に三次元で、目の前に見えている土地や、その土地の歴史・・というのではなく、次元をまたいだワークが伴う、ジェネシス層のアースワークや、個人のヒーリングにおいても、ヒトとしての転生を超えた、オーラ層の多次元にも響かせていくジェネシス層の癒しと解放は、世界観や行う側に求められる意識においても、そこで必要とされる周波数においても、「弟子道」の周波数帯にある、と言う事なのだろうと自分では思うに至っている。

 

「ロードオブザリング」の指輪のように、「ジェネシスの森」に入ると、自分自身のエゴのささやきが増大する。それぞれが持っているいまだヒトとしてはバランシングに至っていない要素が、原型同士の不協和音として際立って来て、ジェネシス神話に登場するネガティブな原型エネルギーや、ネガティブな影響力で自分に害を与えるモノ、のように見えて来てしまったり。感情の、更に奥にある潜在意識に刻まれた記憶が、響きを増大させて自己主張をして来たりする。

 

小さな感情の、感性のタネのようなものが、数千年、数万年越の問題に癒しのチャンスが訪れた時、大騒ぎするのだ。昨日のInfoで書いたように私自身の場合、クライシスというレベルでそれが起きたのは、「アトランティスの後期エルフたち」情報が出て来る時だった。

その仕事をひとまず伝授という形で終えたからといって終わりではなくて、寧ろそれから何年か、エルたちの喪失感や、破壊者への怒り・憎しみ・嫌悪感、失われた純粋なものたちへの同情心などが、引出されるような現象化と、それを手放し時空を超えて乗り越えていくプロセスも続いて、その後の確認作業も済んで、という所に、私の場合は去年の4月、10年ぶりの「シャンバラ」の学びがやって来た。

それ以後は、セイクレッドレイキの『純白マーラ』のような感じ(笑)・・

 

アーユルヴェーダの聖典「チャラカサンヒター」によると、生命を輝かせるエネルギー成分「オージャス」が、心臓に8滴、蓄えられていると伝えている。これは微細な物質とのことで、エネルギーだと考えられる。そして体の免疫機能や心の力、脳の働きなどに強く影響を与える。

このオージャスを減退させてしまう原因としてあげられる中に、感情面では3つ。「不安・恐れ・悲しみ」とある。怒りや憎しみではなく。オージャスとは生命を生き生きと輝かせるものだから、ラジャス系の感情(怒りや憎しみ)ではなく、ハートの力を弱めるような感情が原因となるようだ。「不安・恐れ・悲しみ」

 

心臓に存在するというオージャス。それに関係すると思われるハートの愛の力、自尊心などが低迷すると、免疫力や感覚器官が調子を崩し、病気や老化がもたらされる。それだけではなく、「知的能力を損なう」とも書かれている。

病は気から、というのは、この心臓にある「オージャス」と関係がありそうに思う。

本来、愛であり善であり信であり、純粋性に貫かれていた魂たちが、いかにして心や体や社会に病み(闇)を受け入れるまでになっていったか。そこを取り扱うのが「ジェネシスヒーリング」であり、ジェネシス概念をベースに、本来の魂の力を取り戻していく処方箋が、様々なアルガンザワークのエネルギー、メソッド、光線である。

参考文献:「本当の自分を取りもどす アーユルヴェーダ」(Gaia Books)

https://lumiereblanche.shop/?pid=172567039

 

Love and Grace

Amari

2023-03-16 17:21:00

「今ここ」は「わたしの心」

スピリチュアルな世界でよく言われる「今ここ」(が大事という話)。

物理的にだけではなく、時間、この瞬間に「着地=グラウンディング」する、というニュアンスだ。もちろん大事なこと。

NHKオンデマンドで『ヒューマニエンス』の最近の回を見て・・(タイトルを忘れちゃったけど)印象的だったのでメモしておく。

人間は、地球の自転に合わせた体内時計を(各内臓レベルで)持っている、という話から、後半は脳科学の先生の研究や見解から、表題のような哲学的なフレーズが導き出された。

時間というものはそもそも存在せず、過去、未来、という直線的な流れがあるわけではない。・・という話は、近年は量子物理学からも説明されている。脳科学から?一体どんな見解なんだろうと思って興味深く見ていると、

直線的な時間は存在しない、過去も未来もなく、様々な瞬間瞬間の記憶が、同じように散らばっているのだ・・とすると・・では「今」って何だろう?

それは、「わたしの意識そのもの」なのではないか、というお話。(大阪大学・北澤茂教授)

自分が「ここに居る」「何をしている」「何を見ている」という感覚が、自分自身の意識となっていて、「今」という認識を生み出している。その前のことは過去となり、まだ起きていないことが未来となる。

そもそも、動物たちは「未来」という概念を持たない。そのため、例えばチンパンジーは様々な感情を持っているが、未来という概念がないため、何かに絶望することもないだろう、という。

類人猿に限らず、比較的知能のある動物たちは確かに、喜怒哀楽やちょっとした知恵を持っているけど、絶望したり苦悩したりはしない。

未来、という概念を自らの世界観の中に生み出した事により、人間は難しい存在、自らを生きにくい存在にしてしまったのかもしれない。

 

脳とは、実際に起きている現象をすべてありのままに知覚するものではなく、0.1秒単位で入ってくる情報の中から、取捨選択してそれらしい現実を編集するのだとか。「今ここ」がスピにおいて重要と言われるのは、過去のこだわりや偏見、ネガティブなフィルターや、未来への不安や恐れに紐づいた取捨選択、脳による「編集」を通さずに、

あるがままに、起きていることを自分の中に取り入れ、冷静にことに当たるべし、という意味でもあるだろうし、この瞬間の自分の心(意識)が、「今」となって、本来直線ではない時間の一部として刻まれていく、未来に影響を与えていくのだから、

「自分みずからが人生をクリエイトしているのだ」ということを忘れずに、「今」=瞬間瞬間、0コンマ1秒の創造を、よりよきものにしていこう、という意味であろうと。改めて思った。

 

メタフィジカルの基本中の基本であり、最後までなかなか超えられない高い壁であろうとも思う。

たぶんみんな、ずっとそこをトレーニングしつづけるのだろうと。

それですべてが解決する けれど そうはならないのは、まだ人間が、感情の時代を引きずって生きているから。動物ではなく、意識そのものである、という段階へ、ソウルが進化していく大きな過渡期。大きな・・数千年掛かっているのだろうか?そうかもしれない。

まだまだ「感情崇拝」はつづく。ゆえに、まだこの時代においては、ヒーラーは感情的な問題やそれによって起きる現実の不具合を「幻想である」ことを知って貰うために、クライアントを導いていく役目がある。

 

それが幻想であると全てのソウルが悟ったら、みんな神になってしまう。けれどみんな本当は神なのだ・・インド哲学、ヨーガ哲学が言っているように。宇宙の創造主ブラフマン、その化身であるアートマン、それは私たちなのだと言っているから。ブラフマンは量子サイズで、魂の数だけ存在している。つまり「生きとし生けるものすべてに宿る」。そして、宇宙で最大のものでもある。

脳は0.1秒の「今」を集めて取捨選択し、編集して「自分」を作っているそうだ。

脳科学も、量子物理学も、インド哲学も同じことを言っている。

 

Love and Grace

 

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