Office Arganza

A Diary

2022-09-17 07:24:00

時つ風

9月に入り、時間の流れが早く感じるようになったなあ・・と思っていたら、満月を境に、時間が長く伸びているような感覚がある。これもまたそろそろ変化しそうにも感じる。

個人的な事象としては、1年くらい継続していた「状況」の変化が具体的に地殻変動のように起きていたのが6〜8月まで。象徴するように、1年近く通っていた場所とのご縁に一区切りがあったり、プロジェクトの幾つかがひとまず区切られたという事も。このような共通する場面で感じたのは、「トレーニング期間」の終了と、各自の選択による道の分かれ目。

世間でもきっとこのようなテーマが、実感されていく秋なのではないかな。

 

エリザベス女王の逝去が、まさに時代の変わり目の象徴でもあるのだろう。ほぼ1世紀の、連邦国家の君主としての人生。ただその座に居続ける(正気で、健全な状態で)だけでも大変なことで、強く気高い魂でないと、カルマや歴史の重みに乱されてしまう。前回の記事の続きとして・・

BBCで女王の人生を振り返る中で、ダイアナ元妃が亡くなった直後、孫たちの面倒を見るため地方の城に留まった事に対し、世間のダイアナ元妃に想いを寄せる人々は「弔う気持ちが無い」と反感を示したそうだ。女王はそれを受けて、母を失ったばかりの孫たちを残してロンドンに戻ったという。

ちょうどそのニュースを見ていた数日前、ネットで視聴中だった韓国時代劇『ヘチ』で、歴史上数奇な王で知られる英祖の若かりし頃、兄王が死去した際に、空位の間に暗躍する政治的な派閥を牽制するべく、通常より(喪に服する期間を早めて)即位を急ぐという決断をし、反勢力の煽りもあって民衆から「弔う気持ちが無い」と騒がれ非難され、挙句には自分が兄王を毒殺したという噂まで広まって、悲壮するという場面を見ていた。

歴史上、諸説あって詳しくない私には何が真実であろうという推察をする程にも至らないけれど、このドラマでは少なくとも、欲を持たずに兄を支えつづけていたし、毒を守られた兄王を助けようと必死で動いていた為、「人間としての心情から愛ある人の行動を取っていたのに、真逆の捉え方をされて非難を受ける」という、(女王のエピソードと)同じパターンを見ていて、君主や責任ある立場というのは、こういう悲しみをたくさん味わうものだよなあ・・・と呟いていた。

 

そうそう、この『ヘチ』も質の良いドラマだった。去年NHKで放送していたそうで、見ている方もいるかと思うけど・・この前に『奇皇后』を見ていたので、この昔ながらのドロドロ激しい欲望と権力の〜 という古風なパターンからの『ヘチ』、最初は上品な映像と展開に、ぼんやりしてしまった(笑)。ヘヴィメタを聞いていた所から、ボサノバに変わったような。

どうしようかな?と思ったけれど、

出ている俳優さんたちが、他の現代ドラマや映画含む作品で「良いなあ」と思った方々ばかりだったので、見続けることに。4〜5話くらいから、『奇皇后』等の「史劇ハードエンターテイメント」とは違う、新しいタイプのよりリアリティに近い人間ドラマを、美しい、目に見えるような時間の流れと映像で表現しているのだな、と理解し、その旋律に乗ることが出来た。

『ヘチ』とは、古代中国から朝鮮にも伝わった伝説上の生き物だそうで、狛犬のような、獅子のような、麒麟のような姿をしている。けれど「正義の守護者」で、「人々が争った際に、悪のほうを滅ぼす」という性質があるそうなので、獅子、ライオンのイメージが強いのかなという気がしている。

 

時代的には以前見た「トンイ」や「チャン・オクチョン」その他、思い出せない幾つかの作品でも描かれている英祖(「イサン」のお祖父ちゃんにあたる)の若かりし頃。印象的だったのは、タイトルが「ヘチ」であるにも拘らず、若くして苦労した英祖が味わったのは、「善と悪の共存」がこの世界の真実であり、それを変えることは出来ないという法則。

韓国の歴史ドラマには多かれ少なかれ、このテーマはいつも流れていると感じる。けれどそれがタイトルでもあるように、最終回の結論的な概念となっていた。・・それでいいという訳ではなく。。

善に向かえばまたすぐに悪が追い付き、進んだと思ったらまた戻される。良いほうへと努力をし続けても、少しずつしか進まない。多くの人はそんな世の中の仕組みを知り、そこで諦めてしまう。若い頃の情熱や純粋さを失い、適度に悪(といっても極悪非道というレベルではなく、普通の人々の普通の慣習、怠惰など)に染まって適度に生きていくものだけど、

この主人公は違う、そんな姿に自分は目が覚めたという感じで、ストーリーの軸でもある重臣が政治から引退し陶器に絵付けなどしているラストの場面に、このドラマの言いたい事が詰まっていた。通常の時代劇は、赤い衣装を来た重臣たちにはそのような人間性とともに描かれる事はなく、ただただ権力のために策謀ばかり巡らす、主人公にとっての「倒すべき壁」として描かれる。

けれど、寧ろこのドラマはそのラスト、隠居した大物政治家がその境地に至った事が隠されたメインテーマであり、最初から人間的に出来上がっている主人公とその周囲のキラキラした人々のほうが、トリクスターなのかもしれないと思わされた。その他、悲しみや傷心から堕ちてしまった悪役たちの描き方も独特で、流罪になる権力者なのにちゃんと反省している人々(笑)など、異例のキャラクターが多かった。

 

エナジーワーカーをしていると、善と悪のテーマは単に概念ではなく、エネルギー的な存在として体感される。最初に体感があり、人を善から引き離そうとする力の働きを見ることになる。善が働こうとすると、逆を向かせる力が常に動くことが見てとれる。「ヘチ」で示されたように、一進一退なのだという仕組みが良く分かる。

世界の全てにそれが働いているということを悟った時、尚且つ、自分は常に善を向いていようと決めた時に、大きな切なさに襲われる。けれどそれすらも乗り越えて、一進一退でも少しずつ前に進めればいいさという境地に至った(既に最初からそのように生きている)人々が『ヘチ』の主人公サイド。

ちなみにではその「善と悪」とは分かりやすくいうと何か?と言う問いの答えも、劇中のセリフでちゃんと現れていた。「利他」か「利己」かということ。他人というより全体のため、愛ある人としての当然の行動を取る人。自分の利をベースに物事を考え行動する人。・・・悪というのは何も、特別な法外の行為を言うのではない。

そして「まあ今はこのくらいで」「今は周囲の(慣習・怠惰・日和見)流れに乗っておこう」という選択をしていると、それは結果的には善であろうとする人々の「邪魔をしている」=「悪に加担している」事に他らならないと、人間がもっと気づいていくべき時だなあ・・・と、感じ入りながら、身終えたのだった。

 

タイトル「時つ風」

「程よい頃合いに吹く風」を意味する古い日本語。「自節に適った風」「順風」(Weblio)

眠ったままか、起きていても何もしない=悪に加担(日和見)の人々と、新しい風の時代に乗って自らを自分の意志で変えていこうとする人々と。

お試しや練習問題、その中で考え気づく機会を与えられていたシーズンが終わり、道が別れていく。今はそんな変わり目だと感じる。「時の風」をうまく生かして、人生のかけがえのない時間を、一歩一歩、刻んでいって欲しい。

Love and Grace

2022-09-13 10:49:00

イギリスのこと

エリザベス2世女王陛下の御逝去にまつわるニュースを、日本では翌朝になるのかな、なぜかその日はアメリカでも日本のニュースでもなく、BBCを見ようと覗いて知った。6月の在位70周年の記念イベント、コンサートなどもBBCで(世界的アーティスト達がぞくぞく登場するので)目を離せず、長時間見ていた記憶もまだ新しい。

ごくごく個人的な、イギリスについての雑感を書いてみよう。というのも、ウクライナ戦線が始まった時、「ロシアのこと」として、ロシアにまつわる自分史的雑感をここに書こうと思っていたので(まだ実行していないけど)・・今回のニュースをキッカケに、振り返ってみる。

現生を生きる私にとっては、イギリスに実際に滞在したのは7泊8日、一度きり。24歳の夏、一人旅だった。ただ、心理的な、理由は分からないけれど直感的なイギリス、というメタフィジカルな枠でとなると、けっこう色々と浮かんでくる。まず、最初に個人的に抱いた、英国への感情というのは、「怒りと嫌悪」だった。思えば不思議なことで、むしろ過去世で繋がりがあったからこその反応だったと思う。

前にも書いたように、歴史ものの少女漫画や、日本の時代劇が好きな(笑)子供時代で、今思えば、要するに歴史が好きだったんだろうと思う。そんな私が、高校時代に選考した世界史に没頭するうちに、フツフツと湧いて来た感情が、思春期特有の極端な反応も手伝って、「今ある世界的な問題はみな、かつてのイギリスのせいではないか」という反感だった。思春期の子供が親や大人の社会に対して抱くような、ちょっと頑固で視野の狭い感情に過ぎないが、当時の自分にとっては、日本社会への嫌悪感とともに、かなり強く抱いていた感情だった。

当時は、オリエントやグレコローマン、イスラム文明、古代中国や、チベット、中央アジアの歴史、ネイティブアメリカンの文明、などに好感を持っていたため、まあそうなるかもね、という筋ではある。でもアメリカ合衆国が大好きだったので、矛盾してはいる。(笑・いかにも若者)

 

それが不思議なことに、イギリスへの反感やある種、逆恨みのような(笑)若い怒りは、24歳で渡英するころには全く消えて無くなっていた。理由は定かでないけど・・19歳から仏教信仰をしていて(〜29歳まで)、過去世のカルマに向き合う修行なども個人的に続けていた中で、イギリス人としての過去世のようなものも実感されて、国が嫌いで、「脱出!」と世相に乗ったこともあってアメリカへ移住したような人物を、当時よく見ていた夢や、修行中のヴィジョンとして体験していた。

ニューヨークが好きで、初渡米として21歳の時に、短期留学をしてとにかく楽しくて幸せでしかたなかった訳だけど、ニューヨークの摩天楼の、意外と実は100年以上を経ているような古いビルの雰囲気が好きだった。街の作りも古風で、無秩序な日本の街とは違い、平安京や平城京のような碁盤の目のようなアヴェニューとストリートは心地よく、中央にセントラルパーク。なんて素敵な街だろうと。世界中の人と文化が集まっている。

白黒映像で見るような19世紀後半あたりのニューヨークにも、反応する所があった。19世紀〜20世紀初めにかけては、多くの移民がヨーロッパからアメリカへ。その玄関口はニューヨークシティ、マンハッタン島だった。そのあたりの記憶がとてもある。ゆえに、イギリスが嫌いなイギリス人で、ニューヨークに向かったのだろうと、信仰時代に自分の過去世のひとつを自覚していた。恐らくもっとも最近の過去世だろうな。この頃は、神智学教会の先人たちも多くアメリカに移住している。

ニューヨーク旅行から3年を経て、今度は仕事の夏休みにロンドン・パリへと一人旅をすることに。1997年。本当はパリに行きたくて、でもパリは敷居が高く、終盤の3日だけ滞在。ロンドンには確か7泊8日、週単位で借りられるウイークリーマンションのようなものを借りて滞在。毎日自炊しなくてはいけなかったけど、大概は地下鉄の駅近くのサンドイッチ屋さんでカスクートのようなものを買い、ハイドパークに行って、半分だけ食べる(大きいので)。残りの半分を持ち帰って、夕飯にする、みたいな生活をしていた。日本国内の一人旅でもいつも割とストイックな旅をしていたので、それで大丈夫だった。

美術館や博物館を巡り、ミュージカルを見て、多少の観光スポットにも行き。ただ、私のロンドンの印象、感想は「つまらない」「刺激がない」「なんか盛り上がらない」というもので、決してイヤではないのだけど、馴染み過ぎて、普通過ぎて、ワクワクしないというものだった。きっと、前世で住んでいたのだろうと思う。。東京のほうがよほど、居心地が悪くて緊張感がある(笑)。街並みや漂う雰囲気も、先にニューヨークを体験してしまったため、退屈に感じられた。でも、住むには良き、と思った。(その後向かったパリには、マンハッタンと同じようなワクワクや興奮があった)

 

帰りの飛行機、チェックインの際に「空いているから」とビジネスクラスに乗せてもらうという嬉しいギフトも。隣に座った日本人ビジネスマン(パリ在住とのこと)の方と、妙に話が盛り上がってしまい、聞けば獅子座生まれ、私は水瓶座。この組み合わせはワイワイと盛り上がり、楽しくなりがち(でちょっと危険)。そのおじさまがず〜っと、JALの素晴らしいおもてなし、ビジネスクラスの美味しいワインや夜食を次々と注文し、「お嬢さんもどうですか」というので、ちょっとした小さな宴、状態。そのうちに、キャビンアテンダントの方に注意され、ライトを消されてやっと黙る。

ヨーロッパを熟知するおじ様の楽しい話の中に、イギリスは女王が居るということだけで、国民が深いところでの安心感、安定感を抱いている。黒人の方々も、パリとロンドンでは全く違うと。確かにそれはその通りだった。ロンドンの人々は、人種はどうであれ「イギリス人」をまとっていた。日本もそうだけど、ロイヤルファミリーが居るということが、いかに国際関係上、有利で、国民がその恩恵を受けているか。を、説いてくれた。そうか〜・・・と、当時まだ遠い存在のようだったイギリス王室のことを、その時、少しだけ身近に考えてみたりもした。自分がイギリス人であれば、どんな風に今の王室を捉えているだろうか?と。

その旅から、日本での日常に戻り10日ほど経ったころ、ダイアナ元妃の事故のニュースが。ロンドンに滞在し、バッキンガム宮殿前の広場でのんびりと過ごしたり、飛行機での講釈から少しだけイギリス王室を身近に感じるようになっていたタイミングでのその衝撃で、尚更に、英王室の歴史などを改めて学んでみようと思うようになった。その後ゆっくりと時間をかけて(子育ての時期など中断も経て)、映画観賞をする際には自然と、イギリスの歴史もの、王家の周辺を描いたものが多くなって、我が家にはちょっとした「イギリス王室コレクション」の映画DVDがあったりもする。。。

 

とはいえ、日本の一市民として、やはり距離があり、もっと詳しく入り込まないとその複雑な歴史的な全体像は理解できていない。

日本の古代史、天皇家のルーツ、古代の・・奈良朝くらいまでの流れは、個人的興味の雑学と、奈良への旅を重ねて体感として自分の中にあるような感じ。明らかに、双方古い歴史を持つけれど、内包しているテーマは全く違うと感じる。イギリス、現在のウインザー家の王統は比較的最近、ドイツから血縁をたよりに迎え入れられたもの。単なる血筋や家だけではなく、日本でも、イギリスでも、土地・・・に重要なテーマがあり、そこで展開するロイヤルの系統は、そのエネルギーを継承し(もしかすると秘されて存在している)神秘を、取り扱う担い手としての役目を引き受けておられるのでは・・と、思ったりもする。

 

日本とイギリス。ずっと前から一人でブツブツとこういう場所に何度も書いてきたけど、秘教的に、世界が維持される上でのキーとなる二つの土地、と感じている。

呼応しあっている。実はここで、バランス、のようなものが生み出されているような気がする。詳しくは分からないけど・・

日本の王統、皇統はどうなるのでしょう。このまま行くときっと男系が貫かれると思うけど、ここで変化を作る時、という気もしている。

Love and Grace

2022-08-27 07:35:00

マヌのお仕事

先週、水曜日の途中から何か集合場での重たい空気を感じていて.. 今朝は少し抜けたような気がする土曜日の朝。

神智学が伝える「マヌ」とは、文明の管理者のような立場。文明といっても、インダス文明、黄河文明、のような地域ごとに発生する小さい規模だけではなく(それも含めて)、人種期の準備をし、その中で生まれる各文明を概観し、歴史の流れを見守りつつ必要な修正を加えたり刺激を与えたりしながら、ひとつの人種期の「終わり」を見定め、そこで得られたデータや記録を保管しつつ、実際の「終わり」を演出。そして次の人種期へと引き継ぐ・・というような、壮大なプロジェクトの管理者のような人々。人というより、ソウルたち、と言った方が良いかも。シャンバラの一部門に属する。

この説明は神智学の本からの内容に、私のフィルターも入っているので、「本に書いてあるのと違う」と思う方も居るかもしれない(?)。やはり体験重視、体感重視なので、尊敬する先人たちの記述や教えがすべて、というよりは、自分の感性や体験をまずは中心に据えて、それを理解・整理するための手がかりとして、偉大な先人たちの著書を紐解く。そう、神智学に出会う前に、既に『ハピの巫女姫』において、何気に「マヌ」として地上で生きる人々を書いていた・・彼らに付けた、インスピレーションからの名称は「ヤ・ヌー」・・(笑)ダジャレのようだけど。。

「人種期」とは、レムリア人種、アトランティス人種、現在の「アーリア人種」のような大きい「型」という意味での人種。ひとつの人種は恐らくエネルギーシステムやソウルシステム、カルマシステムなどのレベルでその都度、デザインされ、実験のような段階を繰り返して「完成」され、リリースされる。iPhone のモデルみたいなものなのかもしれない。。時代、世代によってアプリケーションやOSも変わっていく。

今の我々の「アーリア人種期」は、『ジェネシス』では12000年前から始まっている。けれどちょっと気になるのが私たち日本人含むモンゴロイドはアトランティス人種だとどこかに書かれていたっけ。旧モデルらしい。ガラケーのような立場?(笑)

・・これは書かれた当時の時代意識によるものかもしれないとも思う。神智学の先人たちは霊能力と、研究者としての頭脳と態度を持ち合わせていた天才たちばかりではあるけれど、やはり生身の人間である限り、生きている時代の意識から完全に抜けて中立的かどうかはまた別で。人種的な、偏見・・というほどではなくとも「先入観」くらいは、あるのかもしれない。時々、読んでいて感じたりもする。

だからこそ、定期的に?人間界にやって来て、情報をアップデートしなくてはいけない。そんな役目もやはり、多く地上に転生しているマヌ部門のソウルたちの仕事なのかもしれない。と思ったりする。

 

私の中に在る、最初から在った、気づいたら創作物の中で物語の主軸に据えていた「ヤ・ヌー」という名の「マヌ」のソウルたちは、今後も恐らくすべての小説の中で主軸として描くのだろうと思う。最初に書いた歴史もの、文明ものである『ハピの巫女姫』はまさに、主人公の巫女姫を含めて、ヤ・ヌーたちのやっている仕事が「マヌ」そのものだ。これは後々から、神智学での「マヌ」の記述と出会って、『ハピ』を書いてから15年以上過ぎた時点で気づいた。ほんの数年前に。

ひとつの文明期の終わりに立ち会い、そこでの人々の動きを、「神々」のニーズに合わせて導き、自らもそのニーズに沿った役目を引き受ける。そして、次の新しい文明の始まり、デザインに関わる。時に神の化身のようになって、チャネルとして高次のエネルギーを地上世界のグリッドや地上の人々の生活の中に刻みつける。

人として生きながら、自分個人の人生の大きな流れは、選択の余地は無いのかもしれない。けれど、それは既に選択している結果なのだろうと。何をしに生まれて来るのか? 忘れているゆとりは無い。魂の選択により、人間世界に来ているのだから・・「思い込み」を逆転させれば、それが見えてくる。

マヌ、に限らず・・魂はもれなく、選択によってこの世界に来ている。けれど、地上での仮の「人格」が主導権を握ってしまうと、自分(人格)のよいように振る舞うことが「選択」であると逆転する。そうそう、「自由意志」としてそれが許されている上に、それを見破り、乗り越えて(という言葉に抵抗がある場合は「統合して」)、本来、ここに来た理由に気づき(思い出し)、それをどこまで実践出来るかに、残った時間を使う。転生は、その繰り返し。

経験の深さは人によって違うので、気づき(目覚め)が早い人は子供のうちから自分の道を見つけたりする。し、カルマ的な課題をすでに終えていれば、邪魔立てすることなくその使命を手助けしてくれる環境の中に生まれる。天才児が、その才能を見出し見守れるような両親のもとに生まれる、例えばそんな風に。

またまた話が逸れてしまった。

デザインしたものを種として物質化させて(種とはまさに情報を詰め込んだ奇跡のような仕組み)、それが育つための土壌を整え、種を播き、芽吹いて育つのを見守り、見届けて、・・・最終的にはまた種として保存・保管して、次に受け継ぐ。そんなマヌのお仕事を、地上で体現して生きる「ヤ・ヌー」たちの人生はきっと、作って、育てて、広げては畳み、を繰り返しながら、静かに洗練させたエッセンスを、また次の創造に使う。そんな事の繰り返しのように(他者からは)見えるかもしれない。

自分自身も、魂よりも人格の響きが大きいうちは、そんな現象に悲しんだり、虚しさを刻んだりするのかもしれない。それを、人間界レベルの「パターン」や「人間関係の問題」だと、思ってしまうのかもしれない。当人がそう思い込んでいるうちは、実際にそうなのだ。それは全てのカルマにおいて、言えること。

当人が、悲壮感や虚しさという幻想のトリックを抜ける、超えることが出来れば、ただただ、魂の仕事に打ち込めるのだけど。それが中々、難しい。だって私たち、生身の人間だもの。このトリックゆえに、「目的」のコースを出入りするソウルも多かろう。けれど迷うことは、操作できないのに無理をして壊れてしまうよりは良い。分からない時は、立ち止まったほうがいい。自分だけでなく、周りをも壊してしまったら大変だ。そういう人も見て来たから・・無理は禁物。

 更に話が逸れてしまった。。

難しい話はさておいて。人はそれぞれの人生を見つけて、それぞれの人生を生きる。見つかっていない人は探せば良いし、偏見や思い込みを外して心を澄ませれば、すぐに見つかる。どんな人生でも良い。けれど、全てに共通してどうしても破れないルールは、「愛」と「清浄さ」に向けて生きるという方向性だ。これを破ってしまったら、何度でも逆戻りして、やり直しを繰り返す。毎日、「愛」と「清浄さ」に向けて生きているかを自分に問う。そうすれば、魂と人格は自然と統合されていく。

Love and Grace

 

2022-08-19 11:02:00

文明に秘された真実

『古代の宇宙人』から。

歴史上、争いの絶えない「禁断の土地」つまり紛争地域。そこは、古代遺跡や遺物が多く何らかの「古代の秘密」が眠る土地であり、紛争によって破壊されたり、禁足地になるなどして、人類が古代の秘密、つまり自分たちが宇宙のルーツを持つということを知らないままでいさせるという、力が働いているのではないか・・という仮説。これも自分の以前からの興味と響き合うテーマで、面白かった。

やはりこの番組の制作サイドは、視点が通常のこの手の分野を扱うメディアとは一段違っていて、押しつけも無く、中立的で心地よく見ていられる。

紛争、歴史上の征服戦争など絶え間ない争いの中で、古代の叡智に手が届かないようにしている力が働いている、というけれど、エジプトなどは堂々とピラミッドや遺跡が発掘されているではないか・・と思うかもしれない。が、実はほとんどはまだ砂の中で、発掘できているのが何と1%程度だという。。

いわゆる古代エジプトの時点で既に砂に埋れた遺跡が多かったというから、さらに古い時代。エジプトの「神代」は『ゼプテピ(最初の時)』というらしい。きっとアトランティス、或いはアトランティス終焉後の始まりの時だと思うけど、都市がまるごと、まだ埋まっていると考えられる。また、エジプトの王朝衰退後、ヌビア、アッシリア、ペルシャ、そしてギリシャ(アレクサンダー大王)と異民族が支配している時代が長く、文献や遺物は多く破壊されているという話は有名だ。(アレキサンドリア図書館も)

 

メソポタミアの大図書館も、中国でも、王朝が変わるたびに古い叡智は破壊され、書物は焚書にあっている。西洋人による「新大陸」征服も同じく。小さな島国日本でもおそらく、隠蔽された時代があったことだろう。縄文の記録や、太古文明の名残の建造物、聖地なども。聖職の人々の血筋や、存在も抹消されていったのかも。

チベットは密教による国政だけではなく何らかの古代の叡智を守るために、鎖国状態だったという話はよく聞く。中国による侵攻でダライ・ラマがラサを追われた数十年前から、中国軍はやはり宗教遺物の破壊などを行っているようだ。

歴史上よくあるこの人間の慣習、他文化を否定し征服者としての自分たちの歴史に塗り替えていくためであろうと思って来たけど、この番組ではそこに、地球に関わっている宇宙人たちによる力が働いているという仮説を提示している。理由は、(数名の話者によって若干の見解の違いはあるが)人類にまだ「真実」を知らせるべきではないという配慮、あるいは宇宙人側の事情、都合から、文明や人類の状況を操っているという。。

それが悪意かどうかは置いておいて、その通りだろうと思うし、実際に「ハピの巫女姫」や「ガイアナ神謡集」で(2003~2006年に執筆)そのように描いていた。ただ、番組ではそこまで踏み込んでいなかったけれど、ニューエイジのスピで言われているように、様々な宇宙存在のグループがあり、人類と文明を巡って色々な事が起きている、というのがポイントだ。人類の進化を見守り導く勢力、そこの「親子関係」の邪魔をし人類あるいは地球を搾取し、利権を得ようと?している勢力、両者の拮抗。もっと様々な勢力、グループが混淆しているのかも。

中南米にもジャングルの中に膨大な数のピラミッドや都市があることが近年の衛星写真などから判明したが、政情不安や危険な組織による占拠で近づけなくなっているらしい。イスラム諸国でもニュースで伝えられていたように、多くの遺跡が破壊され、博物館などの収蔵品さえ襲われ壊され、失われている。イスラエルの神殿の丘は、秘密が隠されているというが、3宗教の争いから発掘調査なども難しい。

日本でよくある「天皇陵」により発掘できない古墳や、神社などの禁足地なども・・もしや、そのような宇宙由来の何かを守るためという事も考えられる。

 

この「古代文明の遺物に残る真実」に触れさせないための手段として「人間同士を争わせる」ことが起きているとすると? 番組で紹介されていたのが、人間の遺伝子に手を加えて、暴力性を引き出すというちょっと怖いけどありそうな話。最新の遺伝子研究で、マウスで実証されているそうだ。ウイルスを遺伝子操作して脳に埋め込み、特有の光パルスを当てると、その信号を受け取ったマウスたちが暴力的になり争い始めるという。

当初番組が放送されたのは(シーズン9だから)2019〜2020年頃だと思うけど、今見るとちょっとデリケートで、人ごとではない世の中になっている。。。

たとえば埋め込むのが「暴力性」ではなく「怠惰性」でもアリかもしれない。というか、与える刺激によってそれを変動させることも可能かもしれない。ラジャス過剰にするも、タマス過剰にするも、操作できるということになる。これはあくまでも「古代の宇宙人」の話で、地球外生命体、つまり人類を作り、古代文明を導いた「神々」であった彼らは、遠からず確かに遺伝子や、パルスを操作しながら、地球上をマネージメントしてきたはずだ。もしかすると、神智学でいう「宇宙光線」もそうかもしれない。=光パルス

「神々」がしてきたことを、地上でやろうとしている人々が今、居るのかも・・というか、もうやっている?(自然界由来のウイルスではなく「例のあれ」によって。「神々」とは逆の方向性に向けて)

 

『ガイアナ神謡集』の中で、やはり「神々」が人間界に対して「周波を変える(水脈などを通じて特定の波動を流して人間界の波長を変える)ことで意識を変化させる」「一定の時代の記憶を全人類から消す」「一神教の神に扮して信仰を与える」「遺伝子に変化を齎すために神々が降臨し人間に受胎させる」などのエピソードを、描いている。今、もう執筆から15年を経て、「古代の宇宙人」のような映像化された「資料」や、ヒーラー仕事としてまとめた「ジェネシス神話」などがまた足がかりとなって、「失われた時代」の人類の歴史、その特殊な時代を生きる人々の生命叙事詩を、書いていくことが出来そうだ。

私の仕事などはあくまでも文芸作品・芸術作品であり、考古学でも科学でも無いから。空想や夢想を盛り込みながら、美しい叙事詩に編み上げていこう。『翠の公子』、始まりの章とだいたいの流れは、『神族の巫女姫』を書き終えた2006年時点から既に頭の中に流れていたけど、先日急に考え事をしていたら、最後の結末が浮かんだ。・・私の執筆パターンでこれはとても重要なファクターで、最後が決まれば、向かう先がインプットされるので、あとは自動で途中途中の物語は出来上がっていく。人物たちが勝手に喋り、場面が展開し、国が、歴史が動いていくのだ。

いよいよか・・長かったな。15年のブランクを経て。note での連載?が始まったら、興味ある方はぜひ、読んで下さいネ。

 

Love and Grace

2022-08-13 07:31:00

潜在意識と「始まり」

過日書いた映画「インターステラー」の話題。その後、ご自身も見てみたという方から、同じ Christpher Nolan 監督の他の作品も面白かったですよ、というお話を伺って、私も見てみた2作目、「Inception」(インセプション)。こちらのテーマは潜在意識。「Interstellar」は宇宙のワームホール、四次元、直線ではないパラレルとしての時間、が側面だったところ、こちらは夢と潜在意識をフィールドにした、やはり次元やパラレルという概念を扱っていて、撮影現場やセットも繋がりあっていて、同じ監督によるこだわりの、同じ世界観であるという点で、力強かった。

潜在意識を操ることで、ターゲットの人物の思考を操作するという特殊チームを組む主人公たち。「そんな、人聞き悪い」・・と思いつつ、リーダーであるレオ様(別にファンというわけではないが日本で定着している呼称で呼んでおく。そういう点、「ヨン様」と同じく。笑)の人間性から、標的の人物にとっても癒しと解放が起こる形での結末に至る。夢をあやつる手法、プロである彼らも命がけで、それを漫画っぽい視点で見るもよし、エンターテイメント性も豊富にある。

けれど実際には、私たちの三次元における生命もこんな感じだ・・と、多次元地球を意識して生きているものとしては人ごとではなく、潜在意識から操作されないためのトレーニング、エナジーヒーラーや本気のライトワーカーには必要かもしれない。とも思った。夢を通じてサイキックアタックを受ける事もあるので。

 

夢(四次元)と、現実(三次元)と、シャンバラのような五次元を、行き来している私たちの意識というのは、この映画で描かれるような構造だろうと思うし。行き来しているうちに、あれ?いつの間にかそう思っている、それを知っている、なんていう事もあるし、三次元では眠っている95%の脳が、それぞれ四次元、五次元の体験をストックして、潜在意識を構成しているのだろう。

昔から明晰夢をわりと見るほうで、夢というのはある意味で別次元体験だと思っている。夢日記をつけたり、夢分析をしていたのは二十代前半くらいで、ヒーラーになってからは逆に気にしなくなった。意識は瞑想でも、セッションでも、執筆時でも別次元体験をするので、夢そのものへの興味はフェイドアウトしたのかもしれない。けれどこの映画を見てから、夢見が悪かったある朝、映画の中で彼らが行うように、夢の上に一段高い階層を作って、その階層でさっき見ていた「悪夢」を良いほうへと反転させるという手法をやってみた・・笑

究極は、この三次元の現実界においても、そのような多層構造を使いこなせれば、自らの望むような現実を作っていける。けれど、話がそう簡単に終わらないのは、三次元転生コースにおいては、私たちはカルマというものを刻んでいるから、自分だけではない方向から様々な作用が起こる。カルマを消化、昇華、償却しながら自分の人生を五次元のソウルと共同創造することをマスターすれば、三次元は卒業できる。この映画で言うなら『現実に戻る』部分で、『五次元に戻る』。

 

Nolan 監督作品を2作見た感想として、三次元〜五次元の構造、つまり多次元を描く事で、人間界と神なる次元で変わりうるものと、変わらずに貫かれて宇宙に存在するもの(絶対善=愛)を両方見せていると感じる。自分の執筆コンセプトがそうだからと、そのフィルターで見ているのかもしれないけれど。

興味深いのはタイトル「Inception」という言葉のセレクト。潜在意識レベルでターゲットに何らかの感覚や思考を埋め込む、という意味で使われている(劇中の日本語字幕では)けれど、英単語そのままの意味では「はじまり」で、同義語には beginning ,そして genesis も出てくる。始まりを植え付ける。それにより、人物はその情報が自分の一部であると感じる。その様な事を繰り返し、今の私たちは出来ている。ソウルが転生し続けるこの世界は、まさにたくさんの夢を見続けて、たくさんの「始まり」をインプットし、転生するたびに脳にダウンロードする。

脳とソウルシステム、チャクラシステムは連動して存在しているので、脳が自分だと思っている「コーザルデーター」からの情報は、それ以下のライトボディつまり精神(メンタル)体、感情(アストラル)体、生体エネルギー場であるエーテル体と、それを三次元の物理法則に置き換えた結果現れているフィジカルボディ(肉体)という、「現実」を作り出す。一つの生を終えると、肉体とエーテル体は消滅し、アストラルは集合場へ、メンタル物質も粒子としてメンタル界という集合フィールドに還元される。それらが刻んだ情報は、個々のコーザル体に保存。

 

 『古代の宇宙人』を見ていて、AIを人間が作る時代に今なってきて、「これと同じ事を古代に地球外存在たちが行った。つまり私たち自身がAIなのでは?」と言っていて、大いに頷いていた。AIというのはプログラミングにより自動で増殖(繁殖)していけるし、放っておくと意識を個々に持ち始める?らしい。もう少し地球の科学技術と意識が発達すれば、この事の意味がよく見えてくるだろう。Nolan監督などはそれをよく分かっていて、大衆向けとしてスレスレのところまで翻訳し、映像化しているように思う。

宇宙がそのようなものだからこそ、「愛=絶対善」が重要なのだという点も、作中の主人公たちの極めてまともな人間としての愛と信と義と、ヒューマニズムとして描かれている。

今のアメリカを中心とする宇宙研究開発においては、もう、理論上はワームホールを作れるというところに来ているそうで、莫大な資金がかかるという問題はあるけれど、時代の流れとともにそれは解決されていくだろうし、時間の問題。もう人類の現文明はそこまで来ている。アトランティス末期のテクノロジーに追いつきそうな時代が来ている。

 

話が逸れつつ、今日はこのくらいで。

Love and Grace

 

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