Office Arganza

A Diary

2022-10-31 14:50:00

Message

というタイトル(原題は「Arrival」)の映画が好き。以前メインブログに書いたことが。

「『Arrival』『Big Eyes』から考える「孤独」と「共依存」」

https://blog.arganza.online/entry/2018/12/30/163226

 

本当は、前の投稿のつづきで、以前FaceBookで触れた事のある韓国時代劇の『守百香』(スベクヒャン)に見る、ジェネシス神話のアルビレオ恒星をめぐる原型ストーリー分析、を、書こうと考えて既に下書きしてある。けれど、皆さんもお聴き及びと思います、30日の韓国での事故を受けて、ドラマの話と関係ないと言えばそうなのですが、やはり、自嘲しようかと思い。自分もそのような気分にはなれなくて。

30日前後、世界では「大きな事故」が相次いだよう。今朝の日本のダイジェストニュースでは、韓国の事故と、ソマリアの爆弾テロ、インドの吊り橋崩落、と、珍しく海外のニュースが続いて。どれも100人以上の方が亡くなっている大惨事。ソマリアは事故では無いものの、ほぼ同時に起きているという所で、感じる、考えるものがあった。

 

日本で天災が起きた時も、いつもこういう事を書くことに気を遣いつつ・・ある意味で、まあでもそういう仕事、立場なのではと思う所もあって、いつも書いている。犠牲になった方々に落ち度があるという意味では、決して無い。

カナリア(最初に変事を察知し騒ぐという意味での)族の杞憂であって欲しい、と思いつつも、パンデミック以来、やはり人間社会このままで良いのだろうかという思いが強い。いや、多くの人に意識変化が起きて、働き方や社会のあり方も良いほうへ動いているという事は確かに、あると思う。けれど、逆の力も強く働いて、変化を自然な形で自分に取り入れる用意が出来ている、既に歩き出している人々が、それほど多数ではないのかな、と。

歴史上常に、事前に察知してあれこれと声を上げる知識人の方々、学者の方々などがいらっしゃる。パンデミックが始まるよりも前に、好きで見ているNHKのドキュメンタリーなどで、特に経済学などの一流の方々が、人間社会の崩壊の危険性を既に専門家ならではの分析力で語っていたし、科学者の方々も、地球上の生命が絶える大量絶滅の可能性、強い危機感を訴えていたりする(やはりそういう立場を表明するのは海外の学者が多い気がする)。

 

同日に世界で起きた3つの事象の重なりに「これでいいのだろうか」という、毎日感じている想いがまた、高まった。

ミャンマーの内戦はどうなっている? ウクライナ戦線はいつ終わるのだろう? シリアや、アフガニスタンは? 気候変動を毎日、普通のニュースでレポートし、一般の人々の意識に情報を注いで欲しい。全ては繋がっていて、自分たちは安全だから大丈夫、という事など無い。

邦題「メッセージ」と名付けられた映画『Arrival(原題)』は、宇宙人たちが地球に、このままだと危ないよという警鐘を鳴らしにやって来るという内容だった。

人々、群衆、転倒、崩落、爆弾テロ・・・この重なって報じられた事象に、私はとても「メッセージ」を感じてしまった。

私たちはパンデミックで「目を覚まし」たらば、これまでと同じように「楽しむ」「食べる」「遊ぶ」=欲を満たす のではなく、楽しむ、遊ぶ、食べる、にしても、これをキッカケに考えを深めて、変化を受け入れる必要が、ある。あった、のではないかと思っている。禁欲すべしという意味ではなく、生活や意識の質を変えていく、結果として、ライフスタイルも変わっていく。そんな人間社会のシフトが、必要だと言われているのだろうと。

 

・・と、相変わらずいつも同じようなことばかり。多分この15年以上ずっと、同じようなことを言い続けていると思ふ。(笑)

Man in the Mirror ということで、自分の生活や思考の中で、サットヴァを高めていこう。

P.S.

そうそう、先日の記事をUPして読み直している時に気づいたのですが、前々記事「ネガティブな執着」が、いつの間にか消えていました。メインブログに移動したその後の記事の削除作業をしたのは確かですが、その時に一緒に消してしまったのか? チェックボックスにチェックを入れなければ消えることなんて無い筈なのに、消えてしまいました。怪奇現象ですが・・・検閲(5次元からの・笑)が入ったのかもしれません。

いつも時間を掛けて書いた記事が、UP前に消える事で「ああ、この内容はダメなのね」と悟るものですが、今回はUPして暫く、読んでいただきつつも、「そろそろ下げよう」という事だったのかもしれません。

アリストテレスより「嫉妬とは、他者に起きる善なることを悲しむ行為である」というお話、他者に善が起きるのが「悲しい」だなんて、人間の心とはなかなか病み(闇)が深いのだな、というのが概要でした。

 

Love and Grace

2022-10-29 10:03:00

ヤマトの彦姫

今日書く内容については、前回の日記後から暫く、次はこの話題・・と思いつつ何故かいまいち気が向かずに、先日は急な思いつきで別の話題を書き始めて、長くなった事もありメインブログの方へ移動。『始まりと原郷 そして未来』https://blog.arganza.online/entry/2022/10/25/160042

そして今日はいよいよどうしても書かなくては、という空気が来ている(この関連のエネルギーが流れて来ている)ので、区切るためにも向き合ってみる。

古代日本人から現代まで続く原型エネルギーの継承について、思うことを書いておこう。

 

「彦姫」とは、何が言いたいのかというと、人は国にかかわらず永遠の少年、少女であることは否めないし、純粋さと素直さという意味での少年・少女性はむしろ、私はとても良いこと、好ましいことだと思っているし、世の中に擦れたりこなれたりして「おじさん・おばさん」化するよりは、そういう方々が個人的にも好き。それとは別に、「依存心」という意味で、年を重ねても「男子」「女子」のままである、という性質が日本人にはありがちなのではないかと、常々思っている。

(他国の人々もそれぞれ課題は色々あるだろうと思う。が、日本の人々の癒しに関わる仕事をしているので、他国の人との比較が目的ではないことをご理解頂きたく)

 

最近は、SNS特にツイッターで女性たちの、家事と育児と外での仕事の両立における苦労を誰かが呟き、多くの人が賛同して盛り上がっているツイートを見かけたりもする。・・けれど、自分が女性として女性の中で生きてきて(友人関係)、ヒーラー仕事で出会うクライアントさんの多くも女性であるし、結果、思うのは、日本の女性たちはやはり「家父長性のもとで撫子」あるいは親指姫として大切に守られ育てられて来ているという事。結果として、ずっと「女子」であるし、結婚しても旦那さんが「一家のあるじ」つまり、父親の役目を担う事をよしとしている。

つまりは、日本は男尊女卑だというけれど、女性たちが、いつまでも「娘」=「姫」として守られているという風土がまだある。持ちつ持たれつの、「男子と女子」「姫と彦」の国、ある意味、文化・・と言えるだろう。

いざ、という時にはやはり、旦那様の後ろに隠れるだろうし、それが良しとされている空気もまだある。その分、母親としての仕事、子育てや家事のフィールドで自分が責任を引き受ける。結果として、夫の面倒も母親のように見ることとなり、その点で、夫はいつまでも「息子」であり、妻がある意味で「母代わり」であるという構図になる。もちろん例外的な人々は沢山いるし、昔よりは構図は変わって来ているのは間違いないけれど、夫であり妻である、反面、双方、相手が担当している分野について自分はタッチしない、とか、よく分からない、苦手なままであったりする。

 

以前、金融関係の方に聞いた話。日本の妻たちはご主人が先に亡くなった時、お金のことは特にどうしていいか分からず慌てる事が多いという。私のママ友たちは、プリンターのインクが無いとか、電球が切れたというだけで、それをご主人に頼むとかいう会話を前にしていたっけ。。これが更に、未婚の女性だとずっと「娘」のまま実家に居て、家のことは年老いていても両親が担っている、なんていうケースもある。男性側も同じくで、それは男の仕事じゃない、みたいな意識はきっとありそうだ。

シングルマザーたちも、うちは娘だから二人だけでの生活が始まる時に「あなたが手伝わないとママは自営業だからうちは破綻する」という現実を(笑)よく言ってきかせ、もちろん簡単な道のりでは無かったけれど、本人もちゃんと分かっていて葛藤しながらも、高校生くらいになると一通りなんでも出来るような状態になっていた(もちろん今でも私のほうが家の事をしているけど・まだ学生だから)。これが、お子さんが息子さんだと、シングル母たちは自分で家事を全てしてしまっているケースが多いようだ。

 

 私は「ハピの巫女姫」の執筆に至ったキッカケがやはり、フェミニズム、それもユング派心理学のフェミニズム系の視点をもった研究者の著作に出会った事がキッカケ。とはいえ、それは29歳の時で、その10年前、19歳の短大生の頃にオノヨーコさんで、今思えば同じ「女神的」「太母神」的なエネルギーによる開眼のような事が起きていた。ヨーコさんのあり方を見ていれば分かるが、女性が女神である=大人である という事は、人として(母としてではなく)自立した責任意識を搭載しているという事だ。

社会が敷いたレールの上を歩き、そこからはみ出さず、「人がしていることをしなさい」と教育されている日本の人々。ゆえに言葉遣いや表現なども複製して使ってしまう・・安心感があるからだろう。けれど本当は、人のマネをするのはまだ「未熟で経験の浅い」見習い・若者だからこそ、であり、大人としてそれをやっているのは寧ろ恥ずかしい事、であるはず。けれど日本社会ではそれがゆるりと受容・黙認される空気がある。

この、男女ともに互いに、家族的原型エネルギーの縛りから抜けられない、永遠に彦(息子)であり姫(娘)である、という風土的な課題を、ジェネシス層、宇宙のより大きな原型エネルギーのモデルタイプが地上に降りたもの、として、考える試みをしている。

 

〜〜つづく〜〜 (笑)

(長くなっちゃったので!)

 

Love and Grace

 

2022-10-06 11:21:00

エルフたちのララバイ

膝掛けが欲しくなるような今日。11月並みの気温。

infoで「エルフの事を書きますね」と予告した後、ちょうど話題にしていた「力の指輪」のたまっていた分を見終わり、金曜配信の週イチのペースに追いついて、やや意識が離れてしまったような感覚の今日。一昨日、書いたけど全文消えてしまった、という日記の記事は、また別の話題で。普段、韓流を中心に1日1話ペースで何かしら見ているから、通常のテレビ放送のような、続きの新作を待つのに7日掛かるというのは、中々、私の時間の粒の密度からすると、かなり遠ざかるような感じもしてしまう。

そう、消えてしまった記事にはそういうことを書いていた・・「Time is gold」というタイトルで。先日の「エスカレーターで止まっていられない」という話にも通じるけど、短気でもなく、人に待たされるとイライラするという訳でもなく、どちらかというとボンヤリ、マイペースな私が、時間の粒子の中に密度を詰めこむ、という感覚になれたのは「シングルマザーで自営業」の十数年の賜物だ。要するに人はゆとりが無ければ何とか出来るようモードチェンジする他ない。となると、火事場の馬鹿力と同じように、物質界を超えた法則で何とかするという、修行?に晒される。

 

そこでの基準は「意味」であり、その意味というのも、こういう仕事をしながらなので、物質界の基準ではなく、エネルギー次元での「中身」がものを言う。・・でも、まあ、この宇宙人的感覚は子供の頃から実はあり、興味向くものやペースや言動も、やはりちょっと普通の子供ではなかった。けれどこの三次元で生きるために、自分の中にある「その感覚」を呼び覚ましながらヒトとして生きていくために、シングルマザーで自営業、それも、ひとり親への保証は無いに等しく、自営業者に厳しいばかりのこの国で実践することに(魂は)したのだろう。・・本来持っていたものを出現させるために、必要な修行期間だったと思う。

人によって、時間の粒子の密度は違う。そこにどれほどのエネルギーが入っているか、振動も違う。これが、Alice Baily 著にある「インテンション」ではないかと思っている。緊張感とか、日本語では訳されてしまうけど、「密度濃く詰まっていて、かつ冷静で無駄がない」というような。「集中力」のほうが近いかも・・「インテンシブコース」のIntensive は同じ単語の形容詞だ。集中的な、という意味で使っている。

 

平等に与えられた時間の中で、この物質界の法則の中にありながら、時間の意味を変えるには、自分の意図を集中して注ぎ、周波数の高い粒にすることで、「質」を変えていく。それが5次元創造や、スピリチュアルな成長に繋がっていく。

(あっそうだ。物理学賞の受賞者発表もあった所だけど、量子は粒ではなく、正確には弦、でしたね。)

一昨日はそんな内容を、もっと三次元的な、昔こんな事があったり、あんなことも、と、長々と綴っていたら消えてしまった。それで良かったのでしょう・・あんなこと、こんなこと・・の、過去のエネルギーたちも昇天したのを見届けて。

「静かで落ち着いた集中力」と純粋性が結びついて、サットヴァ(Sattva)として機能するのではないかな。自分もまだまだ、半世紀も生きて来たのにボンヤリしていて、物質的に豊かで平和な時代のゆるい空気の中で、本来ヒトが育てるべき力の一つが育まれにくい社会の、一員として生きて来ていることを実感する。成長進化とは、時間がかかるものだな、と。

(P.S. エスカレーターは安全のため歩かずに立ち止まっておきましょう。。。笑)

 

では、エルフについて、『Lord of the Rings』の新篇、「力の指輪」視聴雑記を書いてみよう。

原作を読んでいない上に、今回、制作が始まった経緯や、脚本の背景などについても調べていないので、本当にお茶の間的な話になるかも。プラス、アルガンザの「ジェネシス」神話を絡めての考察。

本編の「ロードオブザリング」でも然りで、やはり見ていると何でも、ジェネシスの原型論にあてはめてしまう。エルフたちは神の使い、半ば別次元の存在が地上に降っているようなので、やはり「白」だろうけど、ドワーフは「赤」で、ホビットは「黄」、人間は・・何だろう? 明らかな黒、も非常に分かりやすい。人間は、これら全ての要素を持っているということだろう。白にも黒にもなびくし、赤い時も黄色い時もある。

原作を読んでいない私には、かつての映画版の本編で、最後に闘い疲れたフロドが、平和なホビット庄に帰らずにエルフ達の「西の故郷への帰還」に同行するという流れに、胸打たれるものがあった。最近ウクライナのニュースで、戦地の女性が「もう元の私には二度と戻れない」と語っているのを見た。多くの破壊を見てしまうと、人はそうなる。増して平和を愛する純粋なホビットであるフロドの変化を思えば。・・彼の終末の静かな様子がとても印象的だった。ホビット村の周波数の中にあっては、体験した記憶をすべて忘れて封じてしまうか、ただただ悲しく壊れていってしまうのではないかと思う。

同じく映画本編の最後のシーンで、印象に残っていた事がもうひとつ。「西のエルフの故郷」とは、どのような世界なのだろうか・・・と。

 

今回「力の指輪」の第一話で、長年のその謎が解けて興奮していた。そのシーン、何度も繰り返し見てしまう。。笑

ガラドリエルが仲間とともに、王の命で「西の故郷への帰還」を許され、船に乗っている。船なんだな〜、フロドの時と一緒だ。海から繋がっているのね と見ていると、

あるゾーンまで来ると、独特の静寂に包まれて、前方に・・出た!ワームホールが開く!

海の上のワームホールに、船や飛行機が吸いこまれて行方不明になる事件が多発、という話題を「古代の宇宙人」でもやっていたっけ。その時に見ていたCG映像と同じような様子で、興奮。高次元への扉が開く時は、やはり目を開けていられないような光がそこから溢れ出す。そして精妙な空気が寄せて来て、明らかな別世界を見る。用事が済むと扉は閉まる。何らかの合図・必要性で開くのだろうけど、ドラマではエルフたちが歌を口ずさんでいた。

個人的にはこの、エルフ族の故郷=ワームホールを超えていく高次元の地球 という描かれ方をしていて、とても喜んだ。納得もしたし、アルガンザの「ジェネシス」の視点からいっても、無理なく噛み合って嬉しくなった。

 

そこで、放送している Am●z●n Prime の紹介ページをようやくマジメに読むと、「西の故郷」(ヴァリノール)とは「ヴァラールの国」という意味で、「ヴァラール」は神のような存在たち。ここから先はウイキを覗くと、単数形が「ヴァル」で、その複数形だそう。つまり「「神々」である・・後々(ウイキの原作についての記述を読むと)、「力の指輪」にも登場しているエアレンディル(註*)の訴えを受けてヴァラールから援軍が中つ国に派遣されるとあり、原作では作者の時代を考えても恐らく、神々の世界も地上世界もフラットにつながっているような世界観かもしれない。だとしても、周波数の違う世界を行き来するにはやはり次元という区分を超えていくための「扉」が必要である。

( *「力の指輪」ヌーメノール人のエレンディルとは別の「エアレンディル」は、エルロンドとその兄弟エルロスの父だそうで、この兄弟はちなみに人間とエルフのハーフ、エルロスは人間の道を選びヌーメノールの初代王になり、その家系にエレンディルが子孫としている、らしい。wiki参照)

 

色々と予定している執筆物の中に、「ジェネシス」をまとめながら見えてきたアトランティスの様々な時代を描く構想がある(すでに一部書き始めている)。そこで考えさせられたのが、それ以前のレムリアまでの5次元世界とは違う、3次元の出現(「神々」による創造)のしくみと、長い長〜いアトランティスにおいても、時代によってヒトの作りは変わっていて、初期の頃にはきっと半分、5次元的だったのではないかと。そして終わる頃は、僅か今から13000年前だから、完全に物質界を生きている。けれど、必要に迫られた時には五次元の神々の世界を、物質的に「訪ねていく」事もできたのではないか・・とも思うし、アトランティス後、我々の文明期に入ってからも、聖職者のような人ならば次元の扉を時折抜けて、また戻って来る、というような事もあっただろうと考えている。それらの、多次元にまたがる舞台設定を、物質的なリアルな描写で描くべきかどうか、という迷いがあった。またその手法は中々、難しいものだ。

 

原作の「指輪物語」は北欧神話をベースにしているから、他の神話も同じくだけど、5次元と3次元がまだ、共立していて、往来が頻繁にあったし、全ての人の目に見える形でそのための「扉」があったのだろうと。「力の指輪」や映画の本編から察するに、その世界観は神々(恐らく非物質)の住む世界と、その膝下で暮らす物質体を持ったエルフたちが在り、エルフたちは次元の扉を超えて人間その他の種族が住む世界へ出て来る事が出来る。その逆は難しいらしいけど、「力の指輪」でも「西に行った」者の話がチラチラ出てくる。(エレンディルの下の息子、かな?)エルフと一緒ならば、扉を超えられるのではないか? 人間ではないけどフロドの例もそうだ。

 

物質体を持つ、と言ってもエルフたちは不老不死で、何でも有能にやってのける。戦で深傷を受けるとセルフヒーリング機能が効かなくなるせいか?亡くなってしまうこともあるそうだが・・闇に囚われる事も稀にある。

アルガンザの「the Genesis」においては、2017年の冬以後、アトランティスにおける大戦争と、そこに出陣するエルフ軍、ケルビム軍のストーリーが出て来る事が続いた。一番、私たちがフタを開けたくなかった記憶だと言えるかもしれない。この路線もだいぶまとまって来て、神々の世界に住まい半ば神でありながら、レムリア期には自然界(が当時は人間の魂の生き場所)の秩序を守るために高次自然界に在り、アトランティス期には、大戦の援軍や、人間たちの要請があった時にワームホールを超えて現れてくれる助け手として、活躍していたのだろうと思う。

そんなエルフ(エロヒム、エロス)たちが地上で犠牲になってしまったり、完全体のまま「故郷」に帰れなかった場合に、地上のシステムに情報的に囚われてしまい、そのカルマゆえ、人間界に生まれ輪廻転生しなくてはならなくなった。ジェネシスにおけるエルたちの物語は、そのまま今を生きる私たちに繋がっている。原作者のトールキン博士も、無意識でアカシックを受信し、描かれたのだろうと思う。

 

アトランティスに関する、神智学の文献の中に、「人間がマヌたちのアドバイスをちゃんと守っていれば、肉食動物は生まれなかった」という一文がある。マヌ、というのは、アルガンザの観点ではちょうどまさにエルたち=エルフたちを中心とした、「5次元の神の世界と人間の文明を繋ぎ、導くグループソウル」である。アトランティス期、人類が神々の教えを守らなかった事で、肉食する動物が誕生したそうだ。そして人間たちも争い合うようになったのかもしれない。

「力の指輪」を見ていると、誇り高き、神々の子であるエルフたちは、正義感が強くいつも正論で、人情や感情などはあまり重視しない。何でも出来る多彩な才能と、キリリっとした容姿と周波数。けれど、言葉は丁寧なのに率直すぎて、人間やドワーフの感情を損ねるらしい。。。無意識なる失言、それでも特に悪いという反省もなさそう。笑 そんな、相違をどれも偏りない愛を込めて描いているような眼差しは、原作から踏襲されているのだろう。

 

ホビットの祖先であるという「小さい人たち」ハーフットは、移動する行列で、「誰も列を逸れない!」「いつも仲間と一緒!」と唱えて進む・・・という、すごい同調圧力で(笑)体が小さいから無理もない防衛本能、外の世界に興味を持ってはダメ、勝手な行動をとってはダメ、冒険も空想もダメ、収穫や仲間のことに集中していなさい、という。それが少し洗練されて、後のホビットになるのかもしれないけど、日本人やアジア人を見るような気がするのであ〜る。

クリスタルもちょいちょい出て来て、やはりスピの人々はこの作品、みんな好きなのかもしれない。・・でも「光と闇の闘い」がテーマであるから、どこまで見続けられるか、Prime 特典の1stシーズンを過ぎたら、見続けるかどうか、まだ分からない。ただ、ヴァラール、ヴァリノールには興味津々。どんな風に描かれるだろうか? 時折記憶に残る、シャンバラのある五次元インナーアースの世界と、やはりきっと、似ているのかな。

Love and Grace

2022-09-24 16:31:00

物質ではなく情報

NHK コズミックフロントで、以前から興味を持つ「ホログラフィック宇宙論」を扱っていて、とても面白かったので記録のために。

アルガンザでは、カレッジのマスタークラスである「意識の学校」で少しだけ、量子物理学を取り入れていて・・もちろん名前の通り「意識」という問題を突き詰めていくのが目的で。インド思想、ヨーガ哲学などを紹介する傍ら、それと関わりを持つ内容を脳科学や量子論などの最新研究や、音の周波数やクリシュナムルティの思想なども紹介していた。

その路線で言えば、量子物理学界で最新の理論として熱く注目されているホログラフィック宇宙論は、かなりメタフィジカル、スピリチュアル、特にインド思想、インド哲学の宇宙論に馴染み安い。というか、そのものだとも言える。つまり、数千年前にインドで既に、宇宙の真実は記されているし、西洋や中東の古代文明とは違って焚書に遭うこともなく、温存されて残っている。一部の仏教がそれを踏襲しているし、お陰様で現代欧米で起こったニューエイジの潮流で、インド以外にも紹介されたという訳で。

 

物理学者の先生方はそれを、数学を使って証明しなくてはならないというハードルを、幾重にも、多くの学者たちの努力と直感・情熱によって乗り越えて、古代から伝わっている宇宙の仕組みと、人間が積み重ねて来た学問の世界が、ようやく、統合されようという時代になっている。(まだそう簡単には行かないとは思うけれども)

興味があって物理学の本はけっこう並んでいるものの、ちゃんと一冊読了した試しがなく(笑・本のコレクターなのです)、この番組でようやく理解出来たことも多かった。アインシュタイン、ホーキング、で知られる相対性理論では、宇宙の全体像、成り立ち、仕組みそのものを数学的に取り扱うのだそうで、一方で、量子物理学では、物質の本質である量子によって、宇宙や現象の様々を説明しようという。

 

そこに、20世紀末のあるセミナーでホーキング博士が爆弾発言。ブラックホールの中に吸い込まれた物質は、ブラックホールが熱を発して蒸発を起こす(「ホーキング放射」)中で、すべての情報が完全に消滅する、という説を発表。「ホーキングの情報パラドックス」と呼ばれるようになる。これに衝撃を受けたのは、量子論の研究者たちで、いくらブラックホールでも、存在の全てを完全に無に帰するなどあり得ないと強く反感を抱いた。

その中心が、スタンフォード大で現在も(80代ながらに)教授を務めるトスキンド博士。「全て消え去る、何も残らない」に本能的な強い反発を抱いたようだ。失われたら、その後の、その物質を作っていた要素の手がかりが何も無くなる。そんな筈は無い、と。(この気持ち、個人的にはとてもよく分かる。それこそ本能的に)

 

10年かけてこの問題を考え続け、理論武装し、「相補論」を提唱。地球の重力内から見ると、ブラックホールに引き寄せられたものはブラックホールの質量の強さゆえに止まった様に見える。一方で、物体と観測者が一緒に居る場合は、ブラックホールに落ちていく様に見える。そのどちらもが、相反する二つの現象でありつつも、観測の視点により同時に起きている、補い合っている。観測者の視点により、どちらも正しい。それが「相補論」。

これを、オランダのユトレヒト大学のトホーフト教授がさらに整理し、ホログラフィック宇宙論とした。ブラックホールの密度の上で停止した「情報」が、ブラックホールの起こす「ホーキング放射」により、映し出される。それが物質宇宙の実際であり、二次元の平面(ブラックホールの表面「事象の地平線」)にある情報がホログラフィーとして投射されている世界である、という。世界中で、相対論と量子論という物理学の二大理論を統合しようという動きで盛り上がったそうだ。

「サンダバーバラの闘い」と呼ばれている、半年に渉る(!!)物理学会での白熱した様子、面白かった。。「量子はブラックホールに飲み込まれる一方で、その物質を構成している情報は保存される」と説いても、当時はまだ多くの学者たちは、ホーキング博士が正しいという姿勢であり、反応は鈍かったという。時空の研究をしている相対論者たちにとっては、その説を理解する事が(フィルター的に)出来なかったという。

サスキンド博士は、彼らが何故、これを理解出来ないのか、理解出来なかったと当時を語る。(そうそう、そうですよね!)

この論争を最終的に決着させたのが、マルダセナ博士による今では有名な「超弦理論」で、量子を粒子としてではなく、震える弦として考えることで、その震えや動きによって表現される様々な情報が、宇宙を作り上げているという。素粒子の震えの情報のひとつとして重力も存在する、ということで、「重力を含まない量子論」により相対論を説明するという偉業。これにより、量子物理学界の方向性は統合されつつあるようだ。

サンタバーバラの学会でサスキンド博士が発表する際には、「あのホーキングが負けを認めるかも?」ということで大いに盛り上がったのだとか。。ご本人は即時には認めなかった様だけど、サスキンド博士曰く、この場に居た多くのホーキング支持者たちには「意識のシフトが起きた」のを目撃した、とのこと。最初の「爆弾」と反論から、30年。そうそう・・研究史が好きなんだけど、重要で真理に触れる学説ほど最初は反発を受け、数十年掛かってようやく受容されるという事がよくある。

 

そして、メタフィジスト、エナジーワーカーとしての考察。

情報が、「完全に消え去る」ことは、無いと思う。そしてこの宇宙そのものや、マクロ、ミクロ、ブラックホールからの情報の投射と同じ仕組みが、私たち自身でもある。消えたように見えて、システムの光の中で燃えたように見えて、情報は残り、次の創造の素になる。輪廻転生はそうして、情報が持ち越される。それが時に混ざったり、関係し合ったり、変容したりはするけど、消える、ということは無い。

映画のように投射、投影されている情報は、数値化、コード化されることで個人の、ソウルグループの、家系の、人類の、時代ごとの、性別ごとの、輪廻からの、情報を積み上げてミックスし、並べて、私たちという存在を作り出している。

エナジーヒーリングで起きることも結局、その「情報」に変化を加えることだ。マイナスの、ネガティブな、良からぬ感情や性質、運などを含んだ情報を、素粒子の震えの性質から解毒・解消・変容させられる波動を送り反応させることで、弦の震え方、量子の振る舞いを変えていく。

 

ヴェーダ、サーンキヤ哲学でも宇宙の始まりは創造主の「視点」と、素粒子の集まりという「具材」=プラクリティ。視点が具材を見つめることで震えが起こり、ビッグバンへと進展する。つまり、ひとつのブラックホールの「事象の地平線」という映写機から、ホール内部の具材が爆発するように映し出される仕組みは、宇宙の始まりと言われるビッグバンと同じなのだろうか?・・(素人の呟き、全然違っているかもしれない)

宇宙が無数にあると言われるのも、私たち物質界の人間が考えるブラックホールという存在の、ひとつひとつが小宇宙で、またこの外側にも別の宇宙が映写機からの投射を行っていると思えば理解できる。そして、私たち人間というシステムも、ひとつひとつがブラックホールを備えた宇宙、のようなもので、どこに書いてあった訳でもないけれど自分の感覚からして、チャクラが並ぶ体の中心のエネルギー軸「スシュムナー」は、ある意味、ブラックホールなのではないかという気がしている。チャクラというセンターから、情報が投射されているのだ。チャクラは、内分泌腺に情報を送り、現実を作るものだと神智学では言う。

少なくとも7つの階層の情報域があり、その情報をプラーナが運び、スシュムナーとチャクラを通じて肉体という現象に働きかけ、現実を生み出している。それが人間。7つの階層には、魂、霊、モナド、といった違う周波数域の波動で震える「弦」が情報を蓄えている。そのすべてが、システムにより三次元に映し出しているのが我々、この瞬間。この肉体。この想い、この思考、この現象。

メタフィジカルの分野で、何もしなくても、物理学が自ずとスピリチュアルな領域へ、近づいて来ていつか統合されるだろう。けれどそれまで、ただ待っているには人間社会がまだ想いや感情に支配され過ぎていて、こちらからも、近づいて行くことで、統合の時間は早められるのだろう。

 

当該の番組、来週木曜日に再放送があるそうです。

 

Love and Grace

昨日はインスタと Face Book、今日はInfo記事も更新しています

2022-09-17 07:24:00

時つ風

9月に入り、時間の流れが早く感じるようになったなあ・・と思っていたら、満月を境に、時間が長く伸びているような感覚がある。これもまたそろそろ変化しそうにも感じる。

個人的な事象としては、1年くらい継続していた「状況」の変化が具体的に地殻変動のように起きていたのが6〜8月まで。象徴するように、1年近く通っていた場所とのご縁に一区切りがあったり、プロジェクトの幾つかがひとまず区切られたという事も。このような共通する場面で感じたのは、「トレーニング期間」の終了と、各自の選択による道の分かれ目。

世間でもきっとこのようなテーマが、実感されていく秋なのではないかな。

 

エリザベス女王の逝去が、まさに時代の変わり目の象徴でもあるのだろう。ほぼ1世紀の、連邦国家の君主としての人生。ただその座に居続ける(正気で、健全な状態で)だけでも大変なことで、強く気高い魂でないと、カルマや歴史の重みに乱されてしまう。前回の記事の続きとして・・

BBCで女王の人生を振り返る中で、ダイアナ元妃が亡くなった直後、孫たちの面倒を見るため地方の城に留まった事に対し、世間のダイアナ元妃に想いを寄せる人々は「弔う気持ちが無い」と反感を示したそうだ。女王はそれを受けて、母を失ったばかりの孫たちを残してロンドンに戻ったという。

ちょうどそのニュースを見ていた数日前、ネットで視聴中だった韓国時代劇『ヘチ』で、歴史上数奇な王で知られる英祖の若かりし頃、兄王が死去した際に、空位の間に暗躍する政治的な派閥を牽制するべく、通常より(喪に服する期間を早めて)即位を急ぐという決断をし、反勢力の煽りもあって民衆から「弔う気持ちが無い」と騒がれ非難され、挙句には自分が兄王を毒殺したという噂まで広まって、悲壮するという場面を見ていた。

歴史上、諸説あって詳しくない私には何が真実であろうという推察をする程にも至らないけれど、このドラマでは少なくとも、欲を持たずに兄を支えつづけていたし、毒を守られた兄王を助けようと必死で動いていた為、「人間としての心情から愛ある人の行動を取っていたのに、真逆の捉え方をされて非難を受ける」という、(女王のエピソードと)同じパターンを見ていて、君主や責任ある立場というのは、こういう悲しみをたくさん味わうものだよなあ・・・と呟いていた。

 

そうそう、この『ヘチ』も質の良いドラマだった。去年NHKで放送していたそうで、見ている方もいるかと思うけど・・この前に『奇皇后』を見ていたので、この昔ながらのドロドロ激しい欲望と権力の〜 という古風なパターンからの『ヘチ』、最初は上品な映像と展開に、ぼんやりしてしまった(笑)。ヘヴィメタを聞いていた所から、ボサノバに変わったような。

どうしようかな?と思ったけれど、

出ている俳優さんたちが、他の現代ドラマや映画含む作品で「良いなあ」と思った方々ばかりだったので、見続けることに。4〜5話くらいから、『奇皇后』等の「史劇ハードエンターテイメント」とは違う、新しいタイプのよりリアリティに近い人間ドラマを、美しい、目に見えるような時間の流れと映像で表現しているのだな、と理解し、その旋律に乗ることが出来た。

『ヘチ』とは、古代中国から朝鮮にも伝わった伝説上の生き物だそうで、狛犬のような、獅子のような、麒麟のような姿をしている。けれど「正義の守護者」で、「人々が争った際に、悪のほうを滅ぼす」という性質があるそうなので、獅子、ライオンのイメージが強いのかなという気がしている。

 

時代的には以前見た「トンイ」や「チャン・オクチョン」その他、思い出せない幾つかの作品でも描かれている英祖(「イサン」のお祖父ちゃんにあたる)の若かりし頃。印象的だったのは、タイトルが「ヘチ」であるにも拘らず、若くして苦労した英祖が味わったのは、「善と悪の共存」がこの世界の真実であり、それを変えることは出来ないという法則。

韓国の歴史ドラマには多かれ少なかれ、このテーマはいつも流れていると感じる。けれどそれがタイトルでもあるように、最終回の結論的な概念となっていた。・・それでいいという訳ではなく。。

善に向かえばまたすぐに悪が追い付き、進んだと思ったらまた戻される。良いほうへと努力をし続けても、少しずつしか進まない。多くの人はそんな世の中の仕組みを知り、そこで諦めてしまう。若い頃の情熱や純粋さを失い、適度に悪(といっても極悪非道というレベルではなく、普通の人々の普通の慣習、怠惰など)に染まって適度に生きていくものだけど、

この主人公は違う、そんな姿に自分は目が覚めたという感じで、ストーリーの軸でもある重臣が政治から引退し陶器に絵付けなどしているラストの場面に、このドラマの言いたい事が詰まっていた。通常の時代劇は、赤い衣装を来た重臣たちにはそのような人間性とともに描かれる事はなく、ただただ権力のために策謀ばかり巡らす、主人公にとっての「倒すべき壁」として描かれる。

けれど、寧ろこのドラマはそのラスト、隠居した大物政治家がその境地に至った事が隠されたメインテーマであり、最初から人間的に出来上がっている主人公とその周囲のキラキラした人々のほうが、トリクスターなのかもしれないと思わされた。その他、悲しみや傷心から堕ちてしまった悪役たちの描き方も独特で、流罪になる権力者なのにちゃんと反省している人々(笑)など、異例のキャラクターが多かった。

 

エナジーワーカーをしていると、善と悪のテーマは単に概念ではなく、エネルギー的な存在として体感される。最初に体感があり、人を善から引き離そうとする力の働きを見ることになる。善が働こうとすると、逆を向かせる力が常に動くことが見てとれる。「ヘチ」で示されたように、一進一退なのだという仕組みが良く分かる。

世界の全てにそれが働いているということを悟った時、尚且つ、自分は常に善を向いていようと決めた時に、大きな切なさに襲われる。けれどそれすらも乗り越えて、一進一退でも少しずつ前に進めればいいさという境地に至った(既に最初からそのように生きている)人々が『ヘチ』の主人公サイド。

ちなみにではその「善と悪」とは分かりやすくいうと何か?と言う問いの答えも、劇中のセリフでちゃんと現れていた。「利他」か「利己」かということ。他人というより全体のため、愛ある人としての当然の行動を取る人。自分の利をベースに物事を考え行動する人。・・・悪というのは何も、特別な法外の行為を言うのではない。

そして「まあ今はこのくらいで」「今は周囲の(慣習・怠惰・日和見)流れに乗っておこう」という選択をしていると、それは結果的には善であろうとする人々の「邪魔をしている」=「悪に加担している」事に他らならないと、人間がもっと気づいていくべき時だなあ・・・と、感じ入りながら、身終えたのだった。

 

タイトル「時つ風」

「程よい頃合いに吹く風」を意味する古い日本語。「自節に適った風」「順風」(Weblio)

眠ったままか、起きていても何もしない=悪に加担(日和見)の人々と、新しい風の時代に乗って自らを自分の意志で変えていこうとする人々と。

お試しや練習問題、その中で考え気づく機会を与えられていたシーズンが終わり、道が別れていく。今はそんな変わり目だと感じる。「時の風」をうまく生かして、人生のかけがえのない時間を、一歩一歩、刻んでいって欲しい。

Love and Grace

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