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Info & Update

「国生み」の力学と海のセラフたち

2023 / 06 / 27  19:48
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こんにちは いつもありがとうございます

クリスタルラボ・アースメディテーション春期生の皆さま、本日vol.3の実施後のシェアを専用ページにUPしています。お時間のある時、覗いて下さい。

 

早いもので次回でもう「春期」はラストになります。今回 vol.3は夏至に相応しい怒涛のような、「岩戸開き」のような、壮大かつ複雑に重なり合う要素が、幾つも姿を見せては謎を投げかけ、また過ぎ去って行く、目が回るような時期でした。ただ単に展開が早い、目まぐるしいのではなく。11日の「聖堂 vol.13」、個人的なフィールドワークを挟み、一旦は落ち着いたと思われたテーマと気配が、また夏至のころに顔を出し、24日のラボのメディテーションを前にもう一度、浮上して来て、「そこ」に対する目覚めと癒しの光が、参加者の皆さんと配置している柱とグリッドを通じて、伝播していく様でした。

具体的に言うと、この Info 記事にも昨年末から登場してきた「月セラフ」の救済、癒しが展開中のようです。11日の聖堂ではセラフィムたちが傷ついた仲間を癒す時に使う液状のクンツァイトのような光を中心に、施術が入っていました。引いては月セラフ、だけでなくセラフ原型の要素、全体に響いているかも。

 

「聖堂」の時点では「月セラフ」の原型をお持ちのソウルの方や、家系等から原型エネルギーを引いて来ている人、セラフでは無いけれどポセイディア(アトランティス終末期のエーゲ海の都市国家)の月信仰に関わった方の場合はその部分の残留するネガティブエネルギーをクリアにする、という、幅広の共通項から、ワークのテーマが絞られて強調されていると感じていましたが、

そこから、24日の石ラボ瞑想では、実際的・物理的な「日本人のDNA」「日本列島の形成」へと、同じセラフィム・テーマでありながら層が変わり、海を体現するロシレムの神殿や、海の石たちを配置してワークに臨みました。以前から言っていたように日本人、アジア人にはセラフィム要素がDNAに濃く入っている。それが、セラフというより「月セラフ」なのかもしれないと、今回新たに気づきました。彼らはポセイディアでのカルマだけではなく、利用・活用された時代や場所も多岐に渡るのかも。そして、南方のアジア人には実際にその遺伝子が入っているのでは、という仮説。

もしかすると、シベリアで発見されながら、ユーラシアよりもオセアニア〜ポリネシアに移動し、形跡を残したというデニソワ人?辺りに、月セラフが入っているのかもしれない。これについてはまた遺伝学の最新研究などに注目していないと、今はまだ分からない。海の文明に広がり、南方由来の日本人の一要素に、その宇宙種族が混血したのでは?という仮説が今回、浮上しました。ここが、以前から書いて来ている「シリウス的な進化のスイッチが入らない」「眠ったままの」日本人の意識面の課題と繋がっているのかも、という。

 

そして、感動的だったのが「イザナミ・イザナギ」による「国生み」を再現するようなエネルギーの体感とヴィジョンを得られたこと。これまでずっと、、本当にずっと、、「イザナミ・イザナギの夫婦って何だろう?」と考えて来ました。

今回、日本列島の形成、を意識してみようと言うことで、事前のガイダンスでは参加者の皆さんに以前書いたこちらのブログ記事について、紹介していました。

『日本列島の誕生・秘教的考察』

https://blog.arganza.online/entry/2018/07/06/113623

 

・・今回の内容と関係があるかも?と言っていたのですが、私自身はそれほど気にしていなくて、あくまでも「参考までに」とリンクしていて。ところがワーク当日の前日に、時々しかログインしない NHKオンデマンドに何となく入り、特にお気に入りにしている訳でもないのに、見るものを探すうちに数年前のこの番組のこの回(上のブログ記事で紹介しているNHK特番)のサムネイルと目があってしまいました。「おおっ」とお告げのような感じも受け取り、当日にはオフィスへの往路、自分のこの記事を読み直したりしていて・・

イザナミ・イザナギの夫婦神による「国生み」が、この番組で取り上げている1500万年前の日本列島の形成の始まりと関係するのでは?という自分で書いた表現を再読して、「う〜む、なるほど」と心で呟いていました。本番、メディテーションの冒頭、まだ調整ワークの段階で、「イザナミ!」と感じる白〜透明、わずかにピンクが見えるようなまばゆい光が海原の上にわ〜っと広がるヴィジョンと、それがハートに入って来るような感覚もあり、1650万年前に地球に到来したシャンバラのマスター界が、「イザナミ、イザナギ」というプログラミングを日本の海に投じて、「国生み」が作動する、それを目の当たりにしているような感動がありました。

どのタイミング、時代、次元の、何をもって「国生み」であり、「イザナミ」「イザナギ」なのか、と、ずっと長いこと考えて来ましたが、「ああ、これでいいのだ」と、静かな感動が。

 

「Is」(イス)をシリウス、シャンバラ由来の神なるもの、と、アルガンザのジェネシス世界観では捉えているので、「Is」のサウンドを含む夫婦神が、「五次元の内界から地上に投じられたプログラミング」あるいは「計画」と捉えると、納得できます。その先、「カグツチを産んでホトを焼いて亡くなる」などを追求する予定は特に無いけれど、五次元的な事実の反映が奥にあるか、あるいは民俗学でよく言われるように古代の人間世界における宗教や何らかの事実を、夫婦神の存在に被せた後世の人間レベルの創作的ストーリーか、そのどちらかだろうと思います。・・そこは今のところ余り興味はなく。

ただ、ロシア付近の大陸のふちが観音開きで回転する、という大事件から始まる日本列島造成の物語、その大地殻変動を、「国生み」と捉えると、とにかくとてもスッキリする。

高次は、日本列島を「意図的に作り」「世界の縮図とした」。

その辺りのこと、今回の石ラボのシェアから引用すると、

 

国生み、の物理的な作動は、1500万年前ということですが、そのころに地球に到来し、シャンバラという拠点を作ったシリウス系マスターたちが、日本列島をひとつの実験場とするべく、イザナミ・ナギのプログラミングをし、「あとは人々の魂の選択に委ねる」という方針をもって見守っていた。

「委ねた」ことによって、シャンバラとは違う思惑で人類に近づく宇宙勢力が恐らく、介入してきた訳ですが、そこで埋め込まれた「非シャンバラ」の要素は、「進化せずに子供のままでいる」というある種の病理として、日本人の性質の中に入っている。それを、外す、解除する、しなくてはならない時が来ている。

 

いやはや、去年の末からイワナガや月セラフ・・と出て来て、今月の聖堂でなぜ再び、セラフの癒しなのだろう?と思った訳ですが、日本列島のはじまり、と題していた今回の石ラボと、セラフがしっかり繋がって来た。そして「岩戸開き」の様に、同じ縦ラインで様々な時代、次元、ジェネシス層も含めて、「意識の目覚め」が多角的に促進されるような流れになっている。

けれどその分、逆風も強くなっている。「風」というほど目立つ訳ではなく、もっと静かな、エネルギー同士の、ある意味「闘い」のような。

そして少し話が逸れるようですが『レムリアンセイクレッドレイキ』をぜひ、皆さん活用してください。今この時期、に必要な癒しと覚醒のための光線とメソッドが詰まっています。

 

ではでは、今日はこのくらいで。

Love and Grace

Amari

発想の転換と「全体性」/白い聖堂・アースメディテーション報告

2023 / 06 / 19  11:16
意識と感情のトリックを見破ろう

こんにちは いつもありがとうございます

一昨日、「白い聖堂」第13回の参加者へのシェアリングレポートをメールで送信、昨日はクリスタルラボ春期生のみなさまに第3回に向けてのガイダンスをお送りしています。どちらも未着の方いらっしゃいましたらお知らせ下さい。

そして来月2日(日)「マンスリーイニシエーション初回・メタトロンリンク」の受付中です。まだ入れますので、宜しければご検討ください。

詳細ページ:https://arganza.biz/free/monthly

 

「白い聖堂(旧シャンバラ光の学校)」は、次回の受付もスタートしています。(毎月30日前になるとスケジュールページからのご予約が自動的に可能になります。締め切りは毎月月末)

詳細ページ:https://arganza.biz/free/whitetemple

ほか、個人セッションも含めてご予約枠等はこちらでご確認・お申し込み可能です。

Schedule: https://arganza.biz/reservation/event/

 

さてさて、「ライトワーカー(エルのソウルたち)の掘り起こし」という前回「聖堂」で上がったテーマの具体化、具体策が動き出したという近頃の感覚。石ラボ瞑想の感触からも、今は本当に正念場、地球全体の未来に関わる重要な分岐点のように思います。「今は」の範囲は色々な伝わり方があるかと思います。ここ数十年だってきっとそうだし(人類史の中では)、2013年からのタイムラインもそうだし、パンデミック以後の数年も。その大小の「時代の変わり目」の中でも、去年・今年・来年は、3段階にわたってのクリアリングにフォーカスされる時、であると。

 

パンデミックというお題を通じて、ある意味人類は試されたと思いますが、どちらかと言うと、順調な進化への通路として高次が用意していたコースとは違う選択をしてしまったのでは。ここでひとつ、プランAがなされずに終わり。起こったことは仕方ない、という「現実」の中で、今は精一杯の救済、対策が取られている。考え方は色々ですが、私はそのように思っています。

「幻惑」という言葉を過日の記事で使いましたが、自分自身も含めて、人間の世界で生きるとは中々に、グラマー(幻想)の網から、エゴ自身が固執するトリックから、ソウルが目覚めないようにと必死に働くものであることを実感します。

 

人間的に感じ、思考し、その上で「知識だけ」はスピリチュアルになっていく、という風潮。ただ「癒し」、自分が楽になるため(もちろんそこからのスタートですが)、護身用・(エゴの)自己肯定のためにスピリチュアルを取り入れようとする風潮。悪気なくそこにはまっている傾向。それが「普通のこと」であると思っていて、自然な流れに背いているという意図や意識など持っていないという感覚。・・・すべて、私自身も分かるのです。人により程度はさまざまですが、ヒトである以上はそのようなグラマーに随時、はまってしまうことと思います。

これをとても端的に言うなら、仏教用語の「煩悩」ということでしょうか。

ヒーラーの仕事を通じて、善なる高次の叡智・意志に触れていると、自分ではまったくエゴイズムであるとは思っていない思考や態度であっても、高次における「全体」の計画においては、ただ単に自分の利己の響きに過ぎない(だからうまく事が運ばなかったのか)と気づく事は少なからずあります。それだけ、現代人、現代社会は「全体性」を忘れてしまっているのでしょう。

 

日本人の社会のような、同調圧力、同調を良しとする「全体性」(三次元の)とは違って、何かの宗教や、誰かの思想に自分を同調させてしまうということとも違って、自分自身の個を通じて、自分自身の高い領域とともに生きるという状態にあると、ソウルや高次意識がみな、ワンネス状態に最初からあるということ、その背景に宇宙という壮大な生命があるということを、本能的に感じられる。

そのような源から魂がやってきて、今、ここに在る自分に宿っている、と感じられる。理屈を超えて。

エナジーワークのセッションやアチューンメントの最中に、そのような感覚を感じることは、皆さん、珍しく無いことと思います。それを三次元の現実生活の中に持ち込んで、うまく活用し、そちら(三次元的グラマー)に飲まれないよう。また、自分自身のエゴセルフの自己保存のための囁き(恐れや損得勘定など)に負けないこと。キープしていくにはそこが大事なポイント。

 

「利己」に徹底的に向き合う ということを、今は教えられていると感じます。自分自身の中の囁き、頭で普通に作動してしまうエゴイズム、常に何かを恐れていたり、常に何かに不満を抱いていたり、比較をしたり天秤にかけたり。無意識に行っている思考活動の中に横たわるエゴの声に、気付かされることが続く。

 

もし、うまく前に進めない、中々パターンから抜け出せない、ある程度改善されても苦しみや憂いが晴れない・・・と感じている人が居たら、そこにフォーカスしてしまっている自分の思考を逆転させて、発想の転換をしてみて、「地球のために自分に何が出来るのだろう」「人間社会がよりよくなっていくために自分はどんな役目を果たすべきだろう」と、考え、感じてみてください。

よく聞くのは、「まずは自分が大事」「自分が癒されないと人のこと、まして地球のことなんか」と。それは間違いないのですが、そこを追いかけていると、多分一生、ずっとそのテーマの中にはまり込んでしまいます。なぜなら人間は満足することが無いから。エゴセルフや利己に重心があると、実際そうではないのに「まだだめ、まだ足りない」という感情や思考が消えず、与えられれているギフトよりもそちらに意識と気持ちが向いてしまう。・・と、いつまでも「まずは自分」というスペースから、抜け出せない。

 

「地球のためには?」「世界のためには?」という出発点を持つと、順番に、必要なことが起こっていきます。必要な癒しが起き、必要な解放・活性・手放し・作り替えが起きていく。自分の生きづらさを修正しながら世の中の仕組みにも気づいていく。そして、魂が持って生まれてきた本来の個性が発揮され、個としての才能を生かした天職や、本来の目的・役目にたどり着く。

 

ひとりひとりがそのようなソウルの(エゴのではなく)自己実現を果たしたような社会が、自ずと、五次元になり、ワンネスになり、それがアセンション=次元上昇 であるということ。

鵜呑みにして全て信じる、インプットするという訳ではないけれど、私は基本的に 神智学、A・ベイリー著書の情報は本能的な信頼感を持っています。2025年に顕現する「第4光線」という宇宙光線・宇宙からの人間社会への刺激 に向けて、クリアリング強化のこの時期ですが、100年前とはやはり違う。進化が促進される高次からの後押しのある時だと言えます。

 

そんな今だからこそ。煩悩を無くしてソウルで生きる、なんて果てしない・・・と思わずに、まずは大きい視点で「地球のために私は何をすることになっているのだろう?」という発想の転換をして、そこをスタート地点として歩き出せば、自分の魂が順番に、道筋を用意してくれます。

あとは諦めたりくじげたり、逆に調子に乗ったりと・・自分の弱点との果てしない内なる闘いです(笑)

 

尤もらしく幻惑や誘惑のトリックもありますが、そこに引っかからない秘訣もまた『「利己」ではなく「利他」であること』なのです。エゴを優先する波長はスピリチュアルなトリック、トラップを引き寄せます。利他が過ぎてしまう(エンジェリックで無欲な)タイプの人でも、恐れや正義感から逆にトラップに掛かってしまうことも。どちらも私自身も少なからず経験済みです。

近道はなく。一歩一歩、踏み固めて進んでいくほかないのですが、意図を持つ人には高次の後押しがあるということを、感じながら進んで行きましょう。

 

Love and Grace

Amari

ガイア・海の癒し and 『メタトロン・リンク』お知らせ

2023 / 06 / 02  13:20
ガイア・海の癒し and 『メタトロン・リンク』お知らせ

こんにちは いつもありがとうございます。台風ですネ・・水と風による浄化、のタイミングでしょうか。

 前記事が26日。その翌日には「クリスタルラボ・アースメディテーション第二回」がありました。翌28日には、前記事「海の女性性の癒し〜」の補足・追加事項を Diaryに書いて、31日には石ラボ参加生の皆さんへのシェアをUP(非公開)。そして6月に入り、あと10日足らずで次は「白い聖堂13回」が巡って来ますので、頭を整理しながら、今日はお知らせやシェアしたいことを書いていきます。

 

まず、トップの写真は熊野の海岸。四年前に母とふたり旅をした時に写した一枚です。母と行くには相応しい(と後から気づいた)日本の国土を生み出したイザナミ女神の墓所と言われる神社前の海岸。神代には、熊野の神々が渡って来たという。ここは2度目でしたが、4年前にはすでに「ジェネシス」世界観がまとまっていたので、二度目の熊野旅行でも、一度目で印象的だった聖地や神社が、ジェネシスでいうどのような原型エネルギーや宇宙由来の神なる存在に関係しているのか、感じたり考えたりしながらの旅でした。

じつは・・『ハピの巫女姫』のセイレンたちが上陸したのは、熊野ではないかと密かに思っています。・・ええ、もちろんフィクションで、私が考えた物語ですが、もともとあの小説を着想した一番最初のキッカケが、30年前になるか、20歳で始めた大和路巡りで、当時から不思議体験があって、持ち帰ったエネルギーに包まれていたか..ある日、6世紀辺りの日本史を書こうとぼんやり考えているうちにうたた寝をして、そのストーリーに出てくる精霊のような存在が、過去生では人間だったという超古代の大陸「ムウ」での「前世」を、白昼夢の中で見ていたのでした。

 

ネタバレ、になりますが・・最後には日本列島に辿り着く。11000年前のこと。彼女らがシリウス由来のUFOと交流し、配偶し、そこから縄文期へ。縄文の人々の信仰にはシリウスとの繋がりを感じますが、書けてはいないけど自分の中にはこの、宇宙との繋がりを重視しながら展開していく縄文時代、そこで守られ続ける神秘の力や叡智、遺伝子の系統、そして構想している古代日本史の物語へと、脈々と繋がっています。これとは別の流れで、ムウ水没後の新文明『ガイアナ』・・これはヒマラヤ山麓を想定していますが、こちらの流れも後々になって古代の日本へ。そして、合流します。

ちなみに、主人公セイレンの子孫たちが日本で脈々と。同時に、上に書いたようにセイレンの分霊のような精霊的存在が6世紀舞台の小説に登場、一方でハピの続編である「ガイアナ」では、セイレン自身は前世の生き様から神々の世界に迎えられ、次元上昇し女神「サラ」・・水の女神です。この「サラ」は自らに縁の日本列島をその後も守護しているわけですが、その前身であったセイレンと子孫たちと、シリウスの神々の遺伝子が配偶したことなどから、「シリウス=(ギリシャ語で)=セイリオス=セオリツ」?=「セオリツ姫」伝承が生まれたかも?と、考えたりもしています。物語って作者の中では半ば実在性とともに思考されるので、ついつい。(笑)

 

初回、2014年に熊野に行った際、待ち合わせまで余った時間を使い、電車で少し奥地へと。無人駅で、誰もいない。海岸と、そのすぐ背後には段々畑、山、ポツポツと民家。私が着くなり空が真っ暗で、ちょうど今日のような激しい雨。だから地元の人も誰も姿はなくて、次の電車まで1時間・・ただただ、傘を差して大雨のなか、海を眺めて佇んでいました。その時、時空を超えてその海岸に上陸した多くの人々の姿を心の目で見ていて。セイレンたちもきっと、九州方面に辿り着いてから黒潮に乗って、あるいは、北九州の日本海側に着いてから瀬戸内海を抜けて再び太平洋に出て・・熊野へ、上陸したのではないか。と。執筆を終えてから10年以上を経て、初めてしみじみと、実際に熊野の海を前にして、体感していました。

それまでは、特に設定していなかったのですが、彼女らが上陸し拠点にしたのは、九州でもいいし、吉野〜熊野の辺りでもいいかな、というくらいに。ところが、何かビビっと感じて、時間潰しに電車で出かけたその地でしたが、驚いたことに・・ある古代豪族の名前が着いていて、中国から渡来、そこから上陸したのではという説があるようです。近くには関係ありそうな神社も。大雨だし山の方だったので神社は断念しましたが。1時間後に、小さな、畳数枚くらいしかないような「ホーム」に戻ると電車が来て。「人の世界に戻れる」とホっとしました(笑)。誰にも会わず、不思議な1時間・・時空を旅していたかのよう。

どこからともなく姿を見せた若い男性の二人組が、中国語を話していたのも印象的でした。きっと、中国からの渡来人に縁の場所だから訪れたのかな?と。

 

「石ラボ・アースメディテーション」初回では、日本のとある土地にフォーカスが入りました。第2回は視野を広げて、地球全体へと。そしてガイアの女性性、「聖堂」やセッションで連動して出ていたジェネシスの進行形のテーマ「海の女性性」を意識しました。けれども、初回で得た直感をキッカケに、日本古代史(すごい数の蔵書があるのですが、中々読む暇がなく・笑)をまた違うアングルから探求してみると、やはりテーマが「海」となり、上につらつらと書いたように、自分の中にある「ハピ」や「ガイアナ」からの、日本列島への海のルート、神秘の力の到来、その後の(その力を巡って生まれたであろう)日本のカルマ、それを隠喩的に書き残す神話や歴史書、さらには、そのカルマパターンと、ジェネシス神話での原型のシンクロ、相似形、などなど。全てが繋がっていきます。

これは以前からの、アルガンザのスタイル。けれども、数年間はワーク群の改定とリリースに集中していたこともあり、止まっていました。「聖堂」で動き出し、「石ラボ」でさらにアースワーク、ガイアワークを伴い加速しているようです。そして、先月の「聖堂」で出された宿題の具体化が始まって行きます・・・その示唆とエネルギーが、先日の「石ラボ」で来るという、段取りの素晴らしさも、懐かしいというか、帰って来たぞという感じ。

はい。その流れで、新しいワークのお知らせでございます・・

 

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こちらは、今日から受付スタート。

詳細ページを作っていますので、ご覧ください。

https://arganza.biz/free/monthly

 

3つのグループワークを廻していく。どうなることやら!!

そんな事もあって、受付を再開する7月以降も、個人セッション枠は少なくなります。予定している方は、お早めにご相談頂ければ調整可能です。

 

「メタトロン・リンク」について少々。

何度か書いて来ていますが、何かやっぱり変だぞ?と思っています。この仕事をずっとして来て... ショップは19年、サロンは17年、ヒーリング歴は20年。常にそこに吹いている風、のようなものがありますが、以前は、後押ししてくれる追い風でした。が、ここ数年は向かい風の中、仕事をするかのようです。それは、アルガンザが神智学でいう「そのような領域」に差し掛かったゆえの、修行モードなのでは?と暫くは考えました。確かにそれはそうなのです、「ジェネシス」の仕事ゆえでもある。

パンデミックもあった、自分も更年期で見え方が変わっているのかも、世の中も変容期だ・・・と、色々な可能性の中で、考えて来ましたが、仲間たちとも話していますが、2022年から何かとても、周波数がおかしいと感じる。シャンバラ的な周波数が、喩えて言うなら公共電波として常にそこに接続出来た、というのが以前であるならば、普通にしていると、逆のほうにアクセスしてしまう。つまり逆の周波数が、脳やオーラに入って来てしまうような。

 

だから、という自覚は無かったけれど、それゆえに「聖堂」が去年4月に始まったことで、自分でも非常に助かっている。そこに戻せるから。当日だけではなく前後に動く一連の働きで、ブレず、逸れずに居られる。ただそれでも、油断していると脳波がおかしくなり、自分でそれに気づいて、ワークをして戻す。その繰り返し。

この「気づいて」「戻す」ということが無いままだと・・多くの人々は一体どうなってしまうのだろう?と、高次に問いかけた時、答えとして感じたのが、

「ソウルと人格が離れる」その、接続ポイントのような部分、本来ならば誰もが持っているソウル〜モナドまでの縦軸、アンタカラナを、遮断される。・・と。劇的な変化ではないので気付きにくく、ゆっくり、ゆっくりと、シリウス的な意識のシャープさ、真剣さ、縦へと伸びていこうとするソウルの導きに委ねる成長へのモチベーション・・のようなものが、薄れていく。少しずつ、意識の性能を落とされていくようなこの仕組みは?

 

時代の変わり目ゆえの地球からの磁場のゆらぎでしょうか、地磁気の影響? 人類の遺伝子の中にセットされている?(そこから方舟的に進化にコミットせよと)・・・理由は分かりませんが、逆に言えば、これまで「追い風」で祝福されながら進んでいた時代こそが、特別に高次に与えられた恩恵だったのかも、とも思います。もうその時期は過ぎ去った・・高次によるキャンペーン期間は、終わったのだ・・と、悟る事にして、切り替えた最近。故に、以前よりもセルフワークをする様になっています。

ソウルと繋がりにくくなる、少しずつ少しずつ、意識周波数の低下が起こっている・・という中で、前回聖堂で課題とされた「エルたちの目覚め」をどう進めていったらいいのだろうか?と、日々考えていましたが、石ラボのメディテーションからの流れで、その答えを受け取りました。それが「メタトロン・リンク」です。

 

長くなりましたが、今日はこのくらいで。

Love and Grace

Amari

「海の女性性」の癒しに必要なこと

2023 / 05 / 26  19:14
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こんにちは いつもありがとうございます。

ジェネシス神話の原型ストーリーを整理していくにあたって、かなり前から上がって来ていて、それにまつわるワークや光線があったりするも、背景や経緯などの欠落した部分を穴埋めするような作業が続いています。こういう事は、いつも予定外、というか高次にお任せで浮上して来て、それをキャッチして対応するのがこちらの役目。流れが生まれると、あとは自動的にあれよあれよと、ご縁ある人々、関係者、お客様との広範囲の無意識の共同作業で、どんどん進んでいきます。まさに潮の流れ、川の流れのように。

途中、岩に乗り上げたり、感情で誰か(関わっている人々の中の)がその魂のワークショップのような動きに(これもまた)無意識でエゴが抵抗し、全体のプロジェクトの雲行きが怪しくなることもありますが、そんな時は別の誰かが(たとえば何も知らない友人など)、さりげないフォローをしてくれることでまた、流れに乗れたりもする。何度も何度も、邪魔が入るようなテーマはきっと、それだけ重要だということなのでしょう。

 

「乳海のニンフ」という存在たちが、いつごろ、どんな経緯で、アルガンザの世界観の1ページとして登場したのか、もう思い出せない。けれど、2014には当時出来た「リリスリリース」の番外編的なコースとして「乳海のニンフとケンタウロス」が追加されていたので、少なくともその頃には。数えると10年近く前、になります。まだ奈良に住んでいた頃、2008〜9年でしょうか、当時の「シャンバラ光の学校」で「乳海」を知り、インド神話の「乳海攪拌」のエピソード、そこで生まれる女神「ラクシュミ」、女神に続いて誕生する「アプサラたち(=アプサラス)」が、「アフロディーテ」の原型なのだろうと気づいて。

アフロディーテというと、燃えたつようなマゼンタの炎、のイメージがあり。個人的に以前はかなり(スピリチュアルに興味を持ち始めた当時)思い入れを持っていました。今ではほとんど遠い感覚ですが・・というのも長年の探究で、アフロディーテという女神が存在するというよりは、乳海のアプサラスのイメージと、アルガンザ・ジェネシスの世界観でいうアンドロメダ由来の存在たちの集合エナジーであるマゼンタの光線が、アフロディーテという女神がギリシャで創作される背景にあるのだろう・・と、謎解きを自分なりに終えて、落ち着いたゆえ、でもあります。

 

その「落ち着いた」という状態になるまでの歴史は古く、20歳で小説を書き始めてから、長短編あわせて数編をセクシャリティ、女性性をテーマに書き続けて、最終的には29歳の時(離婚の直前)『アフロディーテ』というタイトルでシリーズものとして、世界樹ブックスの制作が始まった当初は、販売もしていた。「これは官能小説では?」「エロスですねえ」などの評価?を多くいただいて(笑)ヒーラーをしている今となってはもう販売はしていませんが、あれが私のルーツでもあり、書き上げた直後に「ハピ」の執筆に入ったという、ジャンプ台のようでもありました。

そして、その「アフロディーテ」シリーズの最終章「聖娼」を書くキッカケとなった出来事が、「世界樹ブックス」の紹介ページに書いているある神秘体験。鬱状態から醒ましてくれた天からの一条の光、マゼンタの稲妻でした。その日から意識と活力が満ちて、不思議な力に導かれて「聖娼」を書き上げ、更に勢い余って、その言葉が本当に存在していた時代--超古代、の女神崇拝の都市国家を描き始めた。それが「ハピの巫女姫」でした。この辺りでパーソナリティ部分での探究はかなり満たされて、更にはそのモチベーションの奥にあったソウルの女性性の深い傷も癒しが起きて、自分の感情などはもう、そのテーマに支配されなくなり。

その後、ヒーラーとして上記の通り、乳海、ニンフ、ラクシュミ・・アフロディーテ、アルテミス、ウリエル、などの「正体」が自分なりに結論づけられて、「落ち着いた」。

 

ですが、話はそんなに単純ではなく、もう少し奥が深い。と最近思っています。

自分自身が「ハピの巫女姫」や「ガイアナ神謡集」を執筆していたころ。=== 自己ヒーリングは、「ハピ」執筆の終盤には始めていて、「ガイアナ」を書き上げた頃、ヒーラーの仕事をスタートしている。あの頃はまだ、ヒーリングに関しては素人で、かじっている程度。ゆえに、検証することも出来なかったけれど、聖娼制度や女神崇拝などの、セクシャリティが持っている独特の原型的な響きを、今、ジェネシス世界観が出来上がったところで再検証すると、答えは「海」であるのだろうと思います。

もっと言えば、人類のセクシャリティのルーツは、海、にある。

 

説明をちゃんとしようと思うと、本一冊くらいになりそうなので、省略しますが、私たちのソウルにとっての最初の「自我」の記憶、そのルーツ、原郷であるレムリア。生命は海から誕生し陸に上がったとされますが、まだ海を拠点としていたころ・・物理的な世界ではなく、五次元的、つまりレムリアの半物質な世界において、地球の生命たちが、ガイアとヴァイアマスに倣い両性という体験をすることになり、ひとつだった性を男性性・女性性に分離させて、別々の存在として在り、かつ配偶するという生き方をスタートした。その歴史の記憶を宿しているのは海、であり、人もまた海を見ているとセクシャリティを刺激されたり、海によりその部分の傷が癒やされたりするのかもしれません。

レムリア期、三次元の物質的な地表世界はまだ、存在はしつつも、人類のソウルの生き場所ではなく(2億〜100万年前なので)、ソウルたちは乳海とその延長線上にある「五次元の海」から、生命体験をスタートしているのでしょう。

「レムリアントランスミッション」や「レムリアンセイクレッドレイキ」で言及している「レムリアの海」はローズピンクで、そこで生きる海の種族のソウルの集合場は、「サーモンピンク」あるいは「シャーベットオレンジ」と表現したりしています。その理由として、「ラクシュミ」がある。ラクシュミを光線としてメニューに含んでいるプログレッシヴワーク『乳海攪拌』では、ラクシュミを構成するのはディーザ(Divine Mother Sun)、白山姫(ロゴスの女性的側面)、そして乳海のエネルギーであると説明しています。ニンフたちの集合エネルギーは(先日の記事で書いたように)ジェムグレードのインカローズ(ロードクロサイト)にも似た色で、マゼンタピンクだけどうっすら黄色味が入っているような。

この黄色味はやはりリラ、のエネルギーを意味していて、ニンフたちがというよりも、当時のシェイプシフト族が暮らしている世界、つまりレムリア世界全体には、リラ系のエネルギーがすでに枠組みからして浸透していたのだろうと思います。

 

それから色々な事があって・・リラの勢力は地球を引き上げますが・・・月を拠点にして、盛んに地球に介入していたと思われる時期が、アトランティスの末期。それまでに繰り返された戦乱で全域は荒れ果てて、最後の砦のように栄えていたのは現地中海地域に存在した都市国家「ポセイディア」。詳細はよく分からないけど、ライバルの国家や領土を攻撃して荒地にして、最終的にハイソサイエティな人々だけが生き残って都市国家で何事も無かったように暮らしていたのではないか、と、セッションで見えてくるアカシック情報から、感じています。そこに介入していた宇宙から飛来している存在たちが「神」として、神殿や政治の中枢部に働きかけて、ある意味で人間を「堕落させた」経緯があるように見ています。

その、末期のローマ帝国のような(あるいはこれからやってくる近未来もその危険を孕んでいる)社会で、自分たちの欲と都合で「純粋なもの」を「利用し侵害する」事が横行し、ここで傷ついたソウルたちは多かった。レムリア期の源泉エネルギーや、レムリア種族なども、テクノロジーで再生されて、悪用されるような事が、起きていたようです。

レムリアの記憶・・だけではなく、レムリアのシェイプシフトとして、このアトランティス末期に「再生」されて、利用され侵害されたという、ソウルの傷は、おそらく今の文明期に入ってからの転生で、虐待や性の侵害、権力による不当な扱い、などのトラウマを抱えて、そのテーマを繰り返すというパターンも、あるのではないかと。場所を変えて、時代を変えて、原型テーマは同じものを繰り返し現象界に映し出すのです。

 

「海の女性性」の癒しで重要なことは、本源的な意味で、そのカルマの源流に関わっている「進化させない母たち」原型エネルギーとの、契約や、愛着、繋がり、かつて結んだ契りを、解除すること。それが為されないと、ずっと囚われてしまうのではないかと。プログレッシヴ『乳海攪拌』や『さくらしおん』のクライアントワークブックで、そのへんは説明をして来ていますが、ここ一ヶ月ほど、ニンフやケンタウロス、そして海に関するソウルの原型的癒しがテーマとなって来て、セッションで見えてくる更に新しい情報から、その必要性を改めて感じています。

ところが、「母たち」はむしろ「女神」のように人間には近づいて来ますし、そのような直感、ガイダンスを与えることも。ここ数日、まったりした眠気と、高く持ち上げてくれるような周波数の高いエネルギーが来ていて、「高次(自分のシステム)から何か来ている?」と、受け取るために横になって眠ってしまったり、瞑想中にカクンとなってしまったり。その後、周波数がとても引きさがってしまい、「ああ!」とトラップに気づいて。その感覚は前にも何度か体験済みで、そこから「成長させない母」原型を検証し、ジェネシスにおいて定義づけたのでした。久しぶりだったのでつい、引っかかってしまった。。。

 

この体感はテストだったかも・・と思っていて、昨日のお客様セッションで、「母」原型エネルギーがポセイディアの「レモン色マーラ(セイクレッドレイキの光線のひとつ)」を扱うマーラ神殿の聖職者たちにインスピレーションを与え、また、そこと契りを結ぶ祭祀、イニシエーションが行われていたという場面を見て。そこから、神殿関係者たちの堕落が始まり、聖なる精神は失われ、太古由来のマーラエネルギーの悪用が横行する。そこで、レムリアの海の種族たちは(何らかの技術で生命を再生されて)酷い目に遭い、セクシャリティに傷を残し、また人間が怖い、社会や権力者が怖い、という性質を、転生パターンとして刻んだかもしれません。海の種族のソウルグループの広い範囲で癒しが起きた昨日のお客様セッション後、私のほうでも非常にスッキリして、脳に操作しようと接近されるような感覚が消えていました。

ただ、このタイミングには意味があると思うので、マジカルな力が作用して、なにやら現実がおかしい、とか、トリッキーな出来事に巻き込まれた、というような自覚をされている人は今、多いのかも。全体で起きていることなのかもしれません。ゆえに、そのカルマの元になっている種が自分の中にあった場合に、「成長させない」力ではなく、「進化へと向かわせる」力を、選択できるかどうか。全体で試されているのかもしれません。全体、とはどこまでを指すのか。日本の人々、かもしれない。日本はその「(月の)母」の力にかなり強く、抑えられ(ある意味守られ)ている文明だと思うから。

 

 この三次元世界で見えていることはすべて、私たちのソウルが体験し、やがてここを卒業していくために選択をしつづけ、その結果を受け止めつづけるというプロセスです。絶対にこうだ、という答えは無く、常に自由意志が与えられている。けれど・・「本当はそうじゃないのにそこに取り込まれていく」という、選択とも言い難い、「ただ流されていく」ようなあり方は、しないでいよう。

 

地球の7割は海であり、ガイアは海を纏った水の惑星である。そしてガイアの女性性を映し出したものが、海の女性性であると、言うことも出来る。女性性の歴史を癒すことは、海を癒すことでもあり、ガイアを癒すことでもある。

 

『白い聖堂』4月の「海の癒し」、『アースメディテーション』4月に出ていた「純粋なもの、無垢なものへの侵害」、同時に直感的にエナジャイズを施した「セオリツ(水の女性性)」、明日の第二回石ラボのテーマとしている「ガイアの癒し」、そして、ここ一ヶ月の間にお客様セッションで少しずつ出ていた内容、女性性の癒し、アトランティスやレムリアにおけるそれらのカルマ原型・・・が、すべて繋がりました。

多層的、多次元的で、イメージしづらいかも分かりませんが、部分的にでも、ご縁の方々には響くところがあるかも、お役に立てるかも・・ということで、書いてみました。

 

 

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Love and Grace

Amari

 

トップの写真は海・・ではなく草原と森ですが、夕焼けがレムリアの海のようだったので。21日(日曜日)の夕空です。ただいま、大きな地震がありました。引き続き、気をつけましょう。

and 関連する内容を Diary に書きました:https://arganza.biz/diary/63173

 

「エルたち」の転生と幻惑

2023 / 05 / 19  22:21
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こんにちは。小さなサイクルでお天気がぐるぐる回るような日々。

気温のアップダウンも大きくて、体も自律神経も、何やら鍛えられているかのようです。

14日には前回の記事「男女性のバランス」を書いて、16日には「白い聖堂第12回」参加者へのシェアリングを終えて。そのあたり、11日の聖堂、いやその少し前からの「情報が流れ込んだり摩擦したりしてゴウゴウ言っている」感じが続いていて、地震もあったので脳や耳で感じる違和感なども継続していましたが、だいぶそれも落ち着いて来たように感じます。この雨のお影でしょうか。

情報が流れ混む時には、光で描かれたヘブライかホツマ文字のようなものがシャワーのように上から降ってくるように見えるのですが、お客様のセッションやグループワークでもない、個人的な瞑想の最中でも頻発していたので、瞑想後もぐったりするような日もありました・・が、今日はだいぶ軽く感じます。次のサイクルに向けての、ほんの少しだけの(笑)小休止、かも。

 

「白い聖堂」でのシェアには書かなかった、けれど今回の聖堂がらみで体験していた個人的な雑感を少し。

「客観視」「見直し」というような、キーワードを繰り返し強調されることが多かった。時には度が過ぎる感じさえして、これまで全く気づいていなかったようなエネルギーや意識のアンバランスを、強烈に感じて自分で急に呆れて(自分自身に)しまったり、「目が覚めた」と思うようなことも。度が過ぎる、というのは、人間って客観視をし尽くしてしまうと、何が自分の意思だか個性だか分からなくなってしまうと思うのです。あまりにも自分が見えていないのは困るけれど、他者や世間の目を気にするような客観視の仕方をすることは、結局、自分を失うことだし、

「思い込みも、思い込みつづければ現実となる」というような考え方が割と好きなほうで(笑)、自分が決めた道をどこまでも・・それでいいのではと、どちらかというと普段はそう思うタイプ。けれど、やや自虐的なまでに客観視をして、バランスを少しでも修正していくことで、今後もっと自分が「大人に」なれるのであれば、それをやってみようという感じで、箱ごとひっくり返すような。そんな思考の遊び、実験をしていたような時期でした。

 

私のような、不動星座で頭が頑固な人間だと、時折そんなことも必要かもしれません。ジェネシス原型でいう「アンドロ」のモデルというのは他ならぬ私自身、そして周囲に集う中で自分と似たタイプの人々ですが、その特徴として、エンパス気味だったり他者にエネルギーの主導権を(表面上は)譲るような、ふわっとした印象がありつつも、芯の部分ではその逆で、絶対に譲らない自分が頑として在る。表面上のふわっとした部分のパーソナリティで、ヒーリング以前の過去の時間においては自尊心や自己評価のコツを掴めていなくて、自分でもその辺りが悩みのように思っている傾向。

けれど、むしろ本当は人よりも、中核は強くてソウルを自分でよく知っていたりする。というか、言い方を変えるとやはり「アンドロ」強めの人というのはソウル中心で生きていると思うのです。その状態で生まれて来たというか。だからこそ、物質人間として生きるほうが何かと強くいられるこの世界では、ソウルが人間界のコツを掴めていないうちは、生きづらくて、結果、傷ついてきた経験で自尊心が弱っている。けれど、ひとたびスピリチュアルに生き始めると、水を得た魚のようになる。

 

肝心なのはそこから先。アンドロ強めさん、は、そうでない人格が主導権を持っている一般的なタイプの人々とは、全く違った道を辿るのではないかと、思っています。いっそのこと、魂の道をまっしぐらにと決めてしまうと、迷わないし、安全。けれど、スピリチュアルという自己肯定できる世界と出会って元気になった時、人並みに強く楽しく人生をこなせるようになったことを喜び、安堵して、そこ(人間界での楽しみや喜びや成功、安定)に今度は執着するようになる・・・事が多い。ヒトである以上は当然の心理です。

そうなると、なかなか、困難な山坂の始まりになるのではないかと、思います。人格のエネルギーよりも、ソウル強めで生まれて来たということは、スピリチュアルに生きていくことになっている、そう自分で決めて来ている、のでしょう。それを、スピリチュアルをツールにして、元気に強く生きられるコツを知った時に、それ自体に固執する時間にはまってしまうと、多分、しばらくは良くても、そのうちにソウルが「おい!」と言い始める。そして何か、歯車が狂い始めるのかもしれません。

 

私もヒーラーをしてきたこの16年の中で、何度か、そういった責任(目に見えない世界の代弁者として人々の役に立つような道)から外れようと考えたことがありました。が、やはり運命がそちらには向かっていかない。軌道に戻されるというか。今でも、スピリチュアルな仕事と、それ以外のこと、の配分や両立、使い分けには日々注意を払います。客観視をして、箱の中身を全部ひっくり返しても、結局、また同じように箱に戻す。そうしないと、自分が自分でないようで、気持ち悪くなってしまう。

むしろそれを確認するために、度が外れたような客観視や、バランスの組み直しのようなことを、教えられているようなこの一ヶ月(白い聖堂11回の終了後〜12回の前後まで)でした。

 

「自分探し」と世間では言うけれど、探さなくたって最初から全て分かっている。分かり過ぎていて、迷うことも無いまま進んで来ているけど、敢えて全く自分とは違う人々の視点や思考を想像してそのフィルターで自分を見てみて・・・という、思考的な試み、練習問題が続いていたように思います。・・これは結構、自分のことでは余り迷わない私としては、珍しいことでした。しかしながら今思えば、さすが聖堂で。自分自身の為、というよりは、自分と似たようなタイプの人々の「その迷い」を、理解し、寄り添って行く為に起きたプチ体験だったようにも思います。

というのは、今回聖堂でもっとも強く響いて来た高次からのメッセージは、「本来は地球と人類のためにと決めて転生サイクルに入っているのに、人間界に埋もれてしまいその役目を果たせなくなっている魂たちに、目覚めてもらわなくてはならない」というものでした。『自由意志』とは言いながら、その自由な意志で選びとるというのと、物質界の幻惑や思い込みに囚われているのとは、また別の話です。

 

もともと余りスピリチュアルで在る事に迷いもなく、その道に乗ってからも恐らく人よりは逸れる事も少なかった為に、地上的な利己主義に惹かれてしまうソウルたちの「気持ち」に対しても、やや距離があったかもしれません。それを、短い期間に集中的に仮・体験しておくと、体感としても心情や感覚としても理解につながる。聖堂、すごいなと改めて思ったのは、「これが大事なので進めなさい」と宿題を出されると同時に、その為に自分に不足している感性や力量を補う体験がちゃんと現実で連動して起きる。いつもですが、今回はとても深く実感されました。

これからの長いスパンでの、仕事をして行く上でのコンセプトに繋がる「宿題」を貰っただけに、「不足要素を補う練習問題・トレーニング」も強烈に感じました。慌てずに乗り切りながらその高次の意図を察して腑に落ちたのは、ひとえに自分を導いている力、地球全体で進められているソウルたちの壮大な計画、その中枢にあるロゴスや、間に立っているマスターたちへの信頼に他ならず。これは仏教にいう「菩薩道」と同じだなと思いました。「ライトワーカー」というのはそのような「道」にあることを言うのでしょう。

 

関係なさそうで、アースワークとも繋がっていそう。結局、アースワークをしていてもジェネシス原型に通じるので。宇宙レベルも含めてアイデンティティの再確認、のようなワークが起こります。アトランティスから、つい最近までの、過去生たちの姿が走馬灯になったり、瞑想していても(上にも書いたように)アカシックデータが流れ込んだり、垣間見たりで、ザワザワしていた時もありました。情報を「書き換え」たり、癒しが起きることで過去が変わったり、という訳ではなくても、「視点」というものがそもそも、フレキシブルで縦横無尽に動いて変化することが出来る。

そちらのほうを動かす・・「パーソナリティ」という幻惑を超えて、捉え直せばいかようにも「真実」は変わっていく。そんな、脳と意識とソウルの冒険を垣間見て、その先にいつかたどり着く「全感覚」のような世界の一端に、ちょっとだけ・・ほんの少しだけ、触れ得たような瞬間もありました。

 

間接的に、この時期に学んだことが、同じようにエルの精神、マヌの魂、地球というひとつの大きな生命を守りたいのだと深い部分では決めているソウルたち(けれど大方それを忘れて、自分はニンゲンである。ニンゲンであることが重要だ。と思いこむことで、本来の目的を忘れてしまったソウルたち)に、目覚めてもらい、本来の目的を思い出すよう手助けをすることの、役に立って行きそうな気がしています。今回、12回の「聖堂」では、「エルの魂たち(=本来は地球と人類のソウルの守り手たち)」に目覚めてもらう・・という大きな目標を持って行くべしと、これまで以上に強い高次の導きを、受け取りました。

意外にも、アースワークがそのために必要だったりもする。土地や歴史的カルマに、縛られていることが原因で、ソウルたちが自由になれないというケースも多いので。自然界や歴史のカルマを解くことで、時には集団レベルで、幻惑が外れて、ソウルが自由になれる=地球と人類の進化を導くはずのソウルたちが、本来の仕事に着手できる、という。その方向からのアプローチも起こり得る。

 

スピリチュアルに生きる、ソウルで生きるということを、決めることが出来た場合に。そうでない視点で客観視をすると、ただただ、無限に終わりない「自分探し」のループに入っていくでしょう。その道を決めたらば、人と比べる、世間と比べる、人からどう見えるかを気にするのは、出来れば(何度か行きつ戻りつしたとしても)終わりにする。ソウルで生きるということは、ソウルが決めたように生きることなので。

 

  『白い聖堂・シャンバラ光の学校 第13回』

こちらからお申し込みください。

初参加の方は詳細ページもご一読くださいネ:https://arganza.biz/free/whitetemple

and 参加12回ごとに希望者に発行するフレーム入りのディプロマ、画像がまだ撮影できていないので、後ほど(今日か明日)ツイッターで画像とお代を載せてお知らせを出しますね。希望の方は画像とお代を確認の上、ご連絡ください。

 

心穏やかな週末を。

Love and Grace

Amari

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