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「エルたち」の転生と幻惑

2023 / 05 / 19  22:21
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こんにちは。小さなサイクルでお天気がぐるぐる回るような日々。

気温のアップダウンも大きくて、体も自律神経も、何やら鍛えられているかのようです。

14日には前回の記事「男女性のバランス」を書いて、16日には「白い聖堂第12回」参加者へのシェアリングを終えて。そのあたり、11日の聖堂、いやその少し前からの「情報が流れ込んだり摩擦したりしてゴウゴウ言っている」感じが続いていて、地震もあったので脳や耳で感じる違和感なども継続していましたが、だいぶそれも落ち着いて来たように感じます。この雨のお影でしょうか。

情報が流れ混む時には、光で描かれたヘブライかホツマ文字のようなものがシャワーのように上から降ってくるように見えるのですが、お客様のセッションやグループワークでもない、個人的な瞑想の最中でも頻発していたので、瞑想後もぐったりするような日もありました・・が、今日はだいぶ軽く感じます。次のサイクルに向けての、ほんの少しだけの(笑)小休止、かも。

 

「白い聖堂」でのシェアには書かなかった、けれど今回の聖堂がらみで体験していた個人的な雑感を少し。

「客観視」「見直し」というような、キーワードを繰り返し強調されることが多かった。時には度が過ぎる感じさえして、これまで全く気づいていなかったようなエネルギーや意識のアンバランスを、強烈に感じて自分で急に呆れて(自分自身に)しまったり、「目が覚めた」と思うようなことも。度が過ぎる、というのは、人間って客観視をし尽くしてしまうと、何が自分の意思だか個性だか分からなくなってしまうと思うのです。あまりにも自分が見えていないのは困るけれど、他者や世間の目を気にするような客観視の仕方をすることは、結局、自分を失うことだし、

「思い込みも、思い込みつづければ現実となる」というような考え方が割と好きなほうで(笑)、自分が決めた道をどこまでも・・それでいいのではと、どちらかというと普段はそう思うタイプ。けれど、やや自虐的なまでに客観視をして、バランスを少しでも修正していくことで、今後もっと自分が「大人に」なれるのであれば、それをやってみようという感じで、箱ごとひっくり返すような。そんな思考の遊び、実験をしていたような時期でした。

 

私のような、不動星座で頭が頑固な人間だと、時折そんなことも必要かもしれません。ジェネシス原型でいう「アンドロ」のモデルというのは他ならぬ私自身、そして周囲に集う中で自分と似たタイプの人々ですが、その特徴として、エンパス気味だったり他者にエネルギーの主導権を(表面上は)譲るような、ふわっとした印象がありつつも、芯の部分ではその逆で、絶対に譲らない自分が頑として在る。表面上のふわっとした部分のパーソナリティで、ヒーリング以前の過去の時間においては自尊心や自己評価のコツを掴めていなくて、自分でもその辺りが悩みのように思っている傾向。

けれど、むしろ本当は人よりも、中核は強くてソウルを自分でよく知っていたりする。というか、言い方を変えるとやはり「アンドロ」強めの人というのはソウル中心で生きていると思うのです。その状態で生まれて来たというか。だからこそ、物質人間として生きるほうが何かと強くいられるこの世界では、ソウルが人間界のコツを掴めていないうちは、生きづらくて、結果、傷ついてきた経験で自尊心が弱っている。けれど、ひとたびスピリチュアルに生き始めると、水を得た魚のようになる。

 

肝心なのはそこから先。アンドロ強めさん、は、そうでない人格が主導権を持っている一般的なタイプの人々とは、全く違った道を辿るのではないかと、思っています。いっそのこと、魂の道をまっしぐらにと決めてしまうと、迷わないし、安全。けれど、スピリチュアルという自己肯定できる世界と出会って元気になった時、人並みに強く楽しく人生をこなせるようになったことを喜び、安堵して、そこ(人間界での楽しみや喜びや成功、安定)に今度は執着するようになる・・・事が多い。ヒトである以上は当然の心理です。

そうなると、なかなか、困難な山坂の始まりになるのではないかと、思います。人格のエネルギーよりも、ソウル強めで生まれて来たということは、スピリチュアルに生きていくことになっている、そう自分で決めて来ている、のでしょう。それを、スピリチュアルをツールにして、元気に強く生きられるコツを知った時に、それ自体に固執する時間にはまってしまうと、多分、しばらくは良くても、そのうちにソウルが「おい!」と言い始める。そして何か、歯車が狂い始めるのかもしれません。

 

私もヒーラーをしてきたこの16年の中で、何度か、そういった責任(目に見えない世界の代弁者として人々の役に立つような道)から外れようと考えたことがありました。が、やはり運命がそちらには向かっていかない。軌道に戻されるというか。今でも、スピリチュアルな仕事と、それ以外のこと、の配分や両立、使い分けには日々注意を払います。客観視をして、箱の中身を全部ひっくり返しても、結局、また同じように箱に戻す。そうしないと、自分が自分でないようで、気持ち悪くなってしまう。

むしろそれを確認するために、度が外れたような客観視や、バランスの組み直しのようなことを、教えられているようなこの一ヶ月(白い聖堂11回の終了後〜12回の前後まで)でした。

 

「自分探し」と世間では言うけれど、探さなくたって最初から全て分かっている。分かり過ぎていて、迷うことも無いまま進んで来ているけど、敢えて全く自分とは違う人々の視点や思考を想像してそのフィルターで自分を見てみて・・・という、思考的な試み、練習問題が続いていたように思います。・・これは結構、自分のことでは余り迷わない私としては、珍しいことでした。しかしながら今思えば、さすが聖堂で。自分自身の為、というよりは、自分と似たようなタイプの人々の「その迷い」を、理解し、寄り添って行く為に起きたプチ体験だったようにも思います。

というのは、今回聖堂でもっとも強く響いて来た高次からのメッセージは、「本来は地球と人類のためにと決めて転生サイクルに入っているのに、人間界に埋もれてしまいその役目を果たせなくなっている魂たちに、目覚めてもらわなくてはならない」というものでした。『自由意志』とは言いながら、その自由な意志で選びとるというのと、物質界の幻惑や思い込みに囚われているのとは、また別の話です。

 

もともと余りスピリチュアルで在る事に迷いもなく、その道に乗ってからも恐らく人よりは逸れる事も少なかった為に、地上的な利己主義に惹かれてしまうソウルたちの「気持ち」に対しても、やや距離があったかもしれません。それを、短い期間に集中的に仮・体験しておくと、体感としても心情や感覚としても理解につながる。聖堂、すごいなと改めて思ったのは、「これが大事なので進めなさい」と宿題を出されると同時に、その為に自分に不足している感性や力量を補う体験がちゃんと現実で連動して起きる。いつもですが、今回はとても深く実感されました。

これからの長いスパンでの、仕事をして行く上でのコンセプトに繋がる「宿題」を貰っただけに、「不足要素を補う練習問題・トレーニング」も強烈に感じました。慌てずに乗り切りながらその高次の意図を察して腑に落ちたのは、ひとえに自分を導いている力、地球全体で進められているソウルたちの壮大な計画、その中枢にあるロゴスや、間に立っているマスターたちへの信頼に他ならず。これは仏教にいう「菩薩道」と同じだなと思いました。「ライトワーカー」というのはそのような「道」にあることを言うのでしょう。

 

関係なさそうで、アースワークとも繋がっていそう。結局、アースワークをしていてもジェネシス原型に通じるので。宇宙レベルも含めてアイデンティティの再確認、のようなワークが起こります。アトランティスから、つい最近までの、過去生たちの姿が走馬灯になったり、瞑想していても(上にも書いたように)アカシックデータが流れ込んだり、垣間見たりで、ザワザワしていた時もありました。情報を「書き換え」たり、癒しが起きることで過去が変わったり、という訳ではなくても、「視点」というものがそもそも、フレキシブルで縦横無尽に動いて変化することが出来る。

そちらのほうを動かす・・「パーソナリティ」という幻惑を超えて、捉え直せばいかようにも「真実」は変わっていく。そんな、脳と意識とソウルの冒険を垣間見て、その先にいつかたどり着く「全感覚」のような世界の一端に、ちょっとだけ・・ほんの少しだけ、触れ得たような瞬間もありました。

 

間接的に、この時期に学んだことが、同じようにエルの精神、マヌの魂、地球というひとつの大きな生命を守りたいのだと深い部分では決めているソウルたち(けれど大方それを忘れて、自分はニンゲンである。ニンゲンであることが重要だ。と思いこむことで、本来の目的を忘れてしまったソウルたち)に、目覚めてもらい、本来の目的を思い出すよう手助けをすることの、役に立って行きそうな気がしています。今回、12回の「聖堂」では、「エルの魂たち(=本来は地球と人類のソウルの守り手たち)」に目覚めてもらう・・という大きな目標を持って行くべしと、これまで以上に強い高次の導きを、受け取りました。

意外にも、アースワークがそのために必要だったりもする。土地や歴史的カルマに、縛られていることが原因で、ソウルたちが自由になれないというケースも多いので。自然界や歴史のカルマを解くことで、時には集団レベルで、幻惑が外れて、ソウルが自由になれる=地球と人類の進化を導くはずのソウルたちが、本来の仕事に着手できる、という。その方向からのアプローチも起こり得る。

 

スピリチュアルに生きる、ソウルで生きるということを、決めることが出来た場合に。そうでない視点で客観視をすると、ただただ、無限に終わりない「自分探し」のループに入っていくでしょう。その道を決めたらば、人と比べる、世間と比べる、人からどう見えるかを気にするのは、出来れば(何度か行きつ戻りつしたとしても)終わりにする。ソウルで生きるということは、ソウルが決めたように生きることなので。

 

  『白い聖堂・シャンバラ光の学校 第13回』

こちらからお申し込みください。

初参加の方は詳細ページもご一読くださいネ:https://arganza.biz/free/whitetemple

and 参加12回ごとに希望者に発行するフレーム入りのディプロマ、画像がまだ撮影できていないので、後ほど(今日か明日)ツイッターで画像とお代を載せてお知らせを出しますね。希望の方は画像とお代を確認の上、ご連絡ください。

 

心穏やかな週末を。

Love and Grace

Amari